2011年8月21日日曜日

ぼんやりゾンビ、進歩で虚

将門webに、

吉本隆明鈔集193「対馬忠行ソ連論の弱点」
というアップがあった。
吉本隆明さんの
対馬「ソ連論」の最大の弱点は、レーニン軍隊論を鵜呑みにしたその軍隊論にあった。というよりも対馬がレーニンと(部分的にはトロツキー)に依存してスターリン以後のソ連の実現を批判するという非自主性を脱却しえないところにあった。「情況への発言-ひとつの死に関して」1979.12「試行」53号掲載 「追悼私記-対馬忠行-駈けぬけた悲劇」1993.3JICC出版局に収録された
という記述を紹介し、

  対馬忠行のやった仕事は、現在の世界の情況をみるとき、かなり先駆的な意味があった。だがどうしてこんな模範にもなりえない国家の考察に彼は情熱をかた むけたのだろうか。やはり世界最初の社会主義革命をやったというソ連を、なんとかしたいと強烈に思っていたのだろう。それがいくら研究批判したとしても、 その相手にさらに幻滅していくとき、彼の死がおとずれたわけだと思う。本来レーニンに依拠してスターリン主義とやらを否定したって、それは何にもなってい ないのだ。しかし、これはひとり対馬のみならず、日本の新左翼に共通するところなのだ。
とコメントしている。
ほとんど知らないのだが、対馬忠行はかなり早い時期からトロツキストで、トロツキーの思想を紹介して来た人だったはずだ。そういう人が自殺したのだが、吉本さんは追悼文を公表した。引用はその一部である。
今から見ると、トロツキーのような人物に生涯をかけるなんて無意味で無残に感じられる。その無垢さがあまりに痛々しい。ロシア革命に、打ち込むべき点などどこにもないのだ。
そこらの薄ら進歩派は、何となくロシア革命が良くて、レーニンが偉くて     などとぼんやりと、しかし、無検証が故に強固に思い込んでいて(思い込みの強さが冷静な検証の代わりになるという心理的なすり替えが働くからだろう)、ついでにアメリカが悪くて、物質主義で、とも思い込んでいて、その思い込みが自分の進歩性の証明のように感じているように見受けられるのだが、対馬のような人は、誠実さゆえに、突き詰めて行った。
ドイツから資金を得ていたレーニンや、アメリカから資金を得ていたトロツキーらの攻撃で潰えたため、本当のところはわからないが、ケレンスキーの革命ならロシア人を解放したかもしれないが、ボルシェビキ革命は、ポル・ポトに数倍するものと言っていい蛮行と愚行の塊だった。
物質主義であり、非人間的な科学主義はソ連のものだ。なにせ唯物論なのだから。それに反して、アメリカ社会は信心に明け暮れているところがある。どうしてだか、日本人の多くがそこを誤解している。
レーニンは良かったのに、スターリンが革命をだめにしてしまったなどという見方は、贔屓の引き倒しというやつで、レーニンもスターリンも同志で、同じ穴のムジナだというのが本当のところだ。スターリンは、レーニンの正統な継承者であり、当然、許しがたい人物だった。もちろん、トロツキーも変わるところはなく、ただ、跡目争いに負けただけに過ぎなかった。
ぼんやり/強固な人たちは、柔軟性がなく、しかも、ものを考えることを放棄しているせいで変わることができない。対馬のような人には、山中に庵を編んで遁世しといった晩年があれば良かったのだが、悲しく無残なことに、クリアになったところで死ぬしかなかった。
そして、ぼんやり/強固な人々は、ダメで終わったものなのに、そう認識できず、何かあると、ダメなものに復帰してしまう。マルクスが正義者同盟(ブント)に依頼されてゴーストライティング(代作)した『共産党宣言』(普通はゴーストライターが、頼まれ仕事(賃労働)で書いたものを自著にリストすることはないのだが)にある幽霊云々という部分を、ゾンビにすれば、その光景の描写にできなくもないかもしれない。ゾンビ/進歩派は、その空虚さゆえに危険かもしれない。