2017年6月29日木曜日

山盛りご飯に箸立てて

 去年あたりから、日本で一番ポピュリズムに弱いのはマスコミだという事があからさまになった。
 マスコミが高齢者層への影響力を駆使し、若者層はその動向から離れて行く。

 アメリカのトランプ大統領は、ポピュリストと言われているが、マスコミと対決し、大衆の支持を得ている。その理由はアメリカの大衆が、マスコミをエリート層に属していると見て反感を持っているからのようだが、日本の高齢層とマスコミは、感覚的に近いようだ。高齢層は、考えるのが面倒になっているだろうし、考える訓練などしていない時代の人々だから感覚なのだが、マスコミ人の凝り固まった視野と価値観がその感覚にフィットしているのかもしれない。それを別の言い方で表現すると、戦後という事になるのかと思う。
 安倍晋三首相は「戦後レジームからの脱却」を掲げているから、戦後さんたちは取り残されると不安に取り憑かれてしまったのかもしれない。

 スキャンダルにもならないスキャンダルを針小棒大に取り上げたり(注1)、森元首相や自民党都議連やその決定を悪役に仕立てる(注2)やり方は、ポピュリズムそのものと批判されているが、マスコミは自分たちが正義(注3)だと信じ切っているから、まったく意に介さない。

  • 注1:針小棒大という言葉は、針ほどに細いものを、棒の太さだと大げさに言い立てる事をあらわしている。森友などの騒ぎには、針ほどの根拠もない。せめて針程度には実のある話を持ち出してくださいね。
  • 注2:森元首相や自民党の爺さまたち、態度が偉そうだし、説明は下手だし、そういう所で政治家の資質の低い人たちだったからいいようにされてしまった。政治家というのは口説の徒なんだから、長い間、みんなで話し合って決めた事で、その内容は議事録にきちんと公開されているという事を、理解しやすく説明しなくてはいけない。だから、議会で決まった事、つまり、立法府で決まった事は、行政は粛々と実行しなくてはいけないとはっきりさせなければいけなかった。それが出来なかったのは、まあ、頭が悪いのと、感覚が古すぎるのと、もうひとつ、爺さまだから人相が悪かったのとという風に理由が重なってしまったね。それに、挨拶を拒否してみたり、子供じみた行動をしたのもマイナスだった。政治家は政治サービス業に志願して就職しているだけの人だという自覚を持ち、ストレスに耐える事、冷静さを保ち、感情的にならない事、仕事をする事、言葉に重々気をつける事、身ぎれいにする事といった諸々を守れなければいけない。
  • 注3:マスコミが正義だとふんぞり返っていられたのも戦後的感覚だね。マスコミの正義というのは、事実を掘り起こして来る事によって担保されるしかないが、そのあたりが転倒してしまうと、善悪を先に決めてしまって、印象に依存した報道に走ってしまうのではないかと思う。それは「印象操作」といった高度なものではなくて、ただ印象に依存しているだけだ。だから、その印象に依存しない人、印象を共有しない人には、何やってんだ? としか見られない。たとえば、森元首相や自民党都議連がいくら感じ悪くても、悪人に見えたとしても、違法行為、背信行為をしたという事実をつかんだのでないなら、安易に悪役に仕立て上げてはならない。それこそ、おそらく戦前のドイツ人には悪い印象しか持たれていなかったユダヤ人を大虐殺するまで悪役にしたてたのが、ドイツのポピュリズムだった。マスコミは、嫌いだからといって、また、自分と違うからといって、それを理由に悪役を作り上げてはいけない。その意味で、去年あたりから、マスコミは顕著にタガを外している。
 マスコミは、自分たちが正義だから、自分たちが嫌いな存在は自動的に悪になってしまうのだろう。そういうマスコミ様を信心しているのは高齢者らしいから、絵としてはまとまっている。昔から、婆さんは信心に熱心になるものだ。そして、若者が信心など見向きもしないのもあたりまえの話だ。

 これまでは自民党の爺さまたちも、マスコミも、左翼も、省庁も戦後を共有して来た。これにヒビが入ったのは、戦後というパイが縮小しているからだろう。だから押しのけあっている。しかし、まともだったら、もうそれは食えないから、新しく日本がみんなで食えるようにして行こうよとなる。そんな事もわからないようだから、戦後にしがみつく人たちは、まともな人々から冷たい目で見られて当然だ。

 破綻した正義が、破綻していないものは悪だと決めつけ、襲いかかる姿は、信心の世界で言うと餓鬼と表現する。南無阿弥陀仏。