2017年6月29日木曜日

オレ、航空会社じゃなくて良かった

 昔から、左翼がさんざん身障者をダシにして行政やら企業に因縁つけて来た。そういう中に長い間いたら、それがあたりまえだと心得るようになってしまう人が出てきても当然だ。左翼は自分だけは特別だと無意識に思っている人が多いから(正義だからね、始末がつかない)、そういう無意識も共有する。身障者である事はおそらくつらい所が沢山あるだろうから、そういう無意識は慰めになるだろう。
 しかし、行政と企業、社会と個人の区別をつけられない場合、正義はわがままに転落する。
 格安とバリアフリーがトレードオフになってしまうが、事前に連絡すれば対処がなされるのに、連絡なしに行って対処を迫るというのは、主観的に正義であっても、わがままの押しつけでしかない。

 行政の人間とかは、そういう事は知っているだろう。でも、議会が認めて予算がつくのならそれでいいだろうし、何となくバリアフリーの正義に逆らうのも気が引けるし、物言えば唇寒しだから黙っている。
 企業も、風評が怖いから、お詫びぐらいする。どうせ、設備の拡充を行っていたところだったというし、拡充の寸前にやられたという事で割り切れない感じは残るだろうが、そこにこだわっていてもビジネスで得にはならない。悪うございましたと頭を下げ、早く終わらせる方が利口だと判断したのだろう。普通、そうする。

 昔、故吉本隆明が、講演中に、うまくしゃべれない身障者に質問され、聞き取れないので聞き返したところ、「差別だ」と言い出す者がいた。結局、吉本は怒って、講演を中断したという。
 これはあたりまえだ。これを差別だと言い出す異様な空間を良しとし、馴染めるのは、悪い意味で奇特な人でしかない。

 日本は江戸末期から差別をなくそうと取り組んで来た。紆余曲折があったとはいえ、延々と取り組んで来た。ポピュリズムで差別に与する方が安直であっても、人道から外れる事を良しとしないで来た。そのせめぎあいは続いている。

 バニラエアで掟破りをやった人は、バリアフリーが絶対的な至上の正義だという感覚を持っているのかもしれない。それを事前連絡という形にされると、ありがたみが減るね。 

 バニラエアは対処しないと言っているのではない。対処するために事前連絡をしてくれと言っているだけだ。それは、対処する側にも都合があるという、あたりまえの話でしかない。

 差別などない方がいいに決っている。そして、事前連絡は差別ではない。