2017年6月2日金曜日

ほどほどとか、そこそことか・・・

 森羅万象を政治に取り込もうとするのを全体主義という。

 全体主義の問題で、抑圧だとか、人権の侵害とか、そういう倫理的な部分は副次的だ。一番の問題は、何から何まで政治が関与するなんて不可能だという事だ。
 不可能を可能だと思い込み、推進すると、破綻する。
 そこで諦めればまだ救いはあるが、破綻を隠し、成功しているかのように嘘をつく。理想のためには隠蔽も嘘もやむなしとする。でも、無理な事は無理だから、最終的な破局は大きくなる。

 ソ連・東欧や支那、北朝鮮などの社会主義全体主義、ドイツのナチス国家社会主義など、失敗例しかない。
 政治ではなく、信仰で世界を包み込んだ中世欧州も、カトリックからプロテスタント諸派が分岐派生し、国家が世界から分離した事で終わった。

 政治などよりも、はるかに強力で深みのある宗教で出来なかった事を、どうして政治で出来ると思い込んだのか不思議だし、ここでまた宗教を持ち出しても無意味だ。

 でも、人間には、どうも全体主義に向かう傾向があるようだ。また、その傾向は理想と関係がありそうだ。そういう事で、しばらくすれば、誰かが何か持ち出して来るはずだ。

 まったく理想もないようなのも嫌だけれど、理想だけで押し切られても迷惑だ。
 理想は劇薬で、その劇薬を何によって、どれくらい希釈すればいいのか・・・桃屋のめんつゆなら瓶のラベルに書いてあるが、学問とかは濃くする事しか考えていない。勉強するとおかしくなるというのは一面の真理だ。カウンセラーだと薄すぎる・・・

 これは答えの出ていない問題なのか、こちらの無知か・・・さて?