2017年7月3日月曜日

南千住は


将門Web というサイトに いつも姪に言われていました という記事があった。


2017年07月01日

いつも姪に言われていました

   私はいつも会うたびに言っていたのです。姪が南千住の大きな素敵なマンションに住みだしたときから、
       南千住の駅前の飲み屋には、『「地下足袋の方お断わり」という紙が貼ってある』と言いまして、

「周ちゃんはいつもいうけれど、それは一体いつの話だ」と言われてあきれはてていたものでした。
  でもこういう偏見も忘れちゃあ、いけないよなあ。こういう偏見は確かにひどいですね。周ちゃんはいつも偏見だらけのひどい伯父さんになっていました。


 楽しく、しみじみする記事です。
 南千住は山谷のドヤ街がある所でした。駅前の通りは骨通りと言います。それは江戸時代に小塚原の処刑場があった所だからです。吉田松陰はここで処刑されています。墓はここの回向院にあります。また、2・26事件の青年将校の墓もここにあります。
 皇道派将校たちが、回向院で会議を開いた事があるとも聞いています。
 回向院には、吉信ちゃんの像もあります。

 泪橋の交差点が台東区と荒川区の境になります。泪橋は、小塚原の刑場に送られる罪人の縁者が、ここまでは付き添っても許されたけれど、この橋で別れねばならない、そういう涙を流す橋だというので言われるようになったのです。鈴ヶ森の刑場にも泪橋はあります。
 江戸の刑場は日本橋に置かれたのが最初で、それから鈴ヶ森と小塚原まで、何度も移転します。それは江戸が膨張を重ねた事を示しています。
 南千住の電柱には、「路上で酒盛りをしない事」などと書かれていました。区が違うので、台東区側と荒川区側では、違う掲示がありました。
 昔は街が臭かったのですが、最近通ったところ、感じませんでした。
 飲み屋の張り紙は知りませんが、どんな店でも軍手を売っていたのを覚えています。もうそんな楽しい事はなくなってしまったようです。

 南千住は再開発されたのですが、その時、骨通りを掘ったところ、本当に沢山の人骨が出て来ました。掘りきれないので、結局、まだ沢山埋まっているといいます。
 近くの桜並木は綺麗です。