2017年7月20日木曜日

ああ、はいはい、またその話ですか、いいんですよ

 産経新聞のサイトに、【不破哲三・共産党前議長講演概要(1)】「共産党は絶対主義的天皇制の弾圧と戦ってきた」という記事があった。不破の7月19日(2017)の講演の概要を紹介した記事だ。
(リンクは↓)
【不破哲三・共産党前議長講演概要(1)】 「共産党は絶対主義的天皇制の弾圧と戦ってきた」

 この講演で不破は、
「安倍晋三政権下で国政全体が『ウルトラ右翼』の潮流によって私物化されている」と述べ、政権の打倒と野党共闘の推進を呼びかけた。
のだが、話は戦前戦中終戦直後の事ばかり、それで唐突に現政権の話に飛ぶ。この飛躍、耄碌というのか、まだらボケというのか、まあ、ありがたがって聞くような話じゃない。でも、共産党員とかは、不破の声を聞くと病気が治るとか、そういう摩訶不思議な現象が起き、信心を新たにするのかもしれない。

 しかし、共産党はズーッと、延々と戦前戦中の話を、そればっかり繰り返して来たんだね。その話、大抵嘘だからいくらでもふくらませる事が出来るのかもね。
 戦前の共産主義運動なんて、やっていたのは金持ちの子弟ばかりで、 ちょっとうるさいハエ程度のものだった。アナーキストを加えても、まったくたいした事はなかった。
 それが一時流行したにしても、留学帰りの外国かぶれでしかなく、流行は終わって行った。底が浅かったんだね。
 共産主義やアナーキズムにかぶれた層についてもう少し言えば、国権派の子弟で、転向後はそこそこいい所に職を得て行った。青春の遊びは終わったんだね。
 戦時中は、日本浪曼派の保田與重郎の方が、一兵士として招集されたりしてひどい目にあってる。陸軍は、身体の丈夫でない文学者とわかっていて招集したのだから、ひどいものだ。でも、保田は黙って招集に応じている。

 宮本顕治がずっと刑務所にいたのは、人殺しだったからでしかない。そして、戦後、宮本顕治を刑務所から出したのは、朝鮮人の暴徒であって、日本人ではない。みんな転向してしまっていて、日本人の左翼などどこにもいなかったからだ。

 GHQが三国人を支援したので、朝鮮人が幅を利かせていた時期、日本共産党は朝鮮人左翼の指導下にあった。朝鮮総連を作った金天海が日共のナンバー2だったが、それは実権を握っていたという事だ。

 日本共産党の歴史など嘘八百だ。戦後、GHQの傾向を見ても、こっちのが見込みありそうだと判断した者たちが、再転向したりして入って行っただけで、そこそこ続きはしたが、結局、一時の流行にすぎなかった。
 その流行の期間、シベリア抑留中に洗脳された兵士たちが帰還したのもあって、トラック部隊や山村工作隊といった暴力テロ部隊が活発に活動し、反対する者に暴行したり、殺したりしていた。共産党が力を持つと、徹底的に国民を弾圧する。

 そうして支持を失い、嫌われ者となった共産党だが、今になっても不破あたりが世迷い言を言っているのは、惨めというか、無残というか、老害というか、お迎えはまだかというか・・・

 日共って、結局、戦後のアダ花、アプレ政治だったんだね。
 戦後は終わるから、日共の存続理由もなくなる。良かったね。