2017年7月14日金曜日

前稿補足

 戦前=悪という進歩派モデルが需要されたのは、占領政策にとって都合が良かったという理由と、もうひとつ、国民の側に「負けちゃったからなぁ」という混乱があったためだろう。一度需要されたこのモデルは、ひとつの物差しとして超越的に使用された(気取って言うならば、ふるまいはじめた)。
 この基準の寿命がつきかけているという話なのだが、その現実的な理由は、草の根レベルでこの進歩派モデル=基準を支えて来たのが、シベリア抑留された旧日本兵だった事だ。ソ連は、国際法に違反して、捕虜とし、捕虜を虐待し、洗脳した上で帰国させた。日本革命のためだった。そして、その謀略が失敗した後、彼らは共産党支持者やシンパとなって行った。そのため、彼らと彼らの子供までは進歩派モデルの影響が強かった。だが、三代まで洗脳の影響が続く事はないらしく、よほどの例外的存在だけが三代目進歩派になっているように見える。この場合、外れ値は放っておくのが情だろう。

 戦前=悪という政策と教条の結合が日本人の精神のくびきとなっている。欠点ばかりの多い人の歴史なのだから、丸ごと善ではありえないし、丸ごと悪という事もありえない。ただ、きちんと処理しなければ、時間が経つだけでは次に行った事にならない。とどめをさし、供養してやらなければ、亡霊がそこらをうろつきはじめる。
 だから、日本はいつまでたっても敗戦後のままにとどまっている。
 共産党は、最も適した生存条件がそこにあるから、いつまでもとどめておきたいだろうが、それを考慮しなければならない義理は誰にもない。

 戦後に過剰適応してしまった人々も、システムの老朽化を認識しなければならない時が来る。だが、それまでの時間は無駄だ。不効率を累積させる浪費に耐えるいわれも、誰にもない。


 戦後も、ここまでくだらなくなったら、もうお役御免だろう。硬直した教条でしかない進歩派モデルも、もう使い道はない。