2017年7月18日火曜日

9条を変えよう

 憲法9条って、自分から戦争を仕掛けないというだけの話で、防衛しないという規定ではない。防衛のためには先制攻撃もありえるから、
「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」
「国権の発動たる戦争」ではなく、国権の発動に条件付けられた「武力による威嚇」、そして、国権の発動と武力による威嚇に条件付けられた「武力の行使」でなければ、まったく問題がない。
 つまり、
「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」て、中東に完全武装した自衛隊を展開し、イスラム過激派、テロリストを殲滅する事は、現憲法にまったく抵触しない。
 もちろん、イスラム過激派殲滅のためにフィリピンの要請があれば、フィリピンに行く事に問題のあろうはずもない。
 支那に蹂躙されつつあるベトナムやフィリピンを守ってもいい。
「国権の発動」というのは、自国の都合を相手国に押し付けるという事で、そのために武力を使わない、利害の衝突を武力で解決しないというだけの話だ。
 核武装した北朝鮮が、日本の領海にミサイルを打ち込みまくっている時に、それをやめさせるのに武力しかない場合、これを9条で言う「国権の発動」とは言わない。

 9条を守れとか、9条を信心している人々は、自分の頭でものを考える事が出来ない人たちだろうから、9条はわかりにくいから、すっきりとわかりやすくして、誤解・誤読が国防の邪魔にならないようにしましょうというのにも反対するだろう。
 そういうのを9条の物神化という。宗教的に言うなら、物神化は悪魔信仰でしかないから、一神教ではこれを厳に戒める。
 憲法は人間が決め、書いたのがあきらかであるから、これを信仰してはいけないという事だ。もちろん、神の言葉ではないのだから、必要とあらば変更を加えるのに何の問題もない。宗教的にも、法的にも問題はない。
 共産主義者にたぶらかされて、悪魔信仰に走った愚か者たちだけが9条を崇め、国防を邪魔するため、本気でもないのに守ろうとしている。

 9条守ろう教は邪教である。