2017年7月15日土曜日

もう死刑囚の脳みそをつけた饅頭を病人に食わせたりしてないよね

 支那の民主化活動家・劉暁波が死んだ。中共によって殺害された可能性が高いが、よしんば病死であったとしても、病気の過程は殺人と同じだったと想定できる。
 中共にとっては、支那には民主主義は必要ないのだろう。そして、ノーベル賞など取っていようがいまいが、活動家など殺したとしても、すぐに人は忘れてしまうと判断したのだ。そもそも、支那には、劉暁波を知らない人民が何億もいるだろう。彼らが劉暁波を知る事はないかもしれない。

 どう横暴にふるまっても、民主主義よりは経済を取る人々は知らん顔をするし、人権を持ち出して騒ぐのが得意な進歩派も、相手が支那だと権力を支持する。劉暁波の死はきっと無駄死にに終わる。
 また、権力内部にいるはずの劉暁波の支持者は、彼を守れないほど弱かった。現状維持派の強硬さは凄まじいようだ。

 支那も毛沢東の時よりははるかに良くなったし、支那人を統治できるのはとりあえず中共だけだ。漢民族が誰からも嫌われる存在だという事が中共の権力を支える。
 中共は、馬鹿で傲慢で無知で未開な漢民族には、永遠に民主主義など無理なのだから、永遠に自分たちが支配すると考えているのだろう。
 中共は、誰にとっても迷惑な支那という問題の、現実的な解決策というわけだ。

 でも、当面の解決策が、長きにわたる、根本的な解決策として支持されるかどうかはわからない。

 劉暁波の死で、どうしてか宋教仁を思い出した。
 北一輝が行動を共にし、孫文に暗殺された辛亥革命当時の革命家だ。同じ革命派の同志だったはずだが、孫文は粛清した。宋教仁が生きていたら、蒋介石のような人望のない馬鹿と違って有能だったから、国共合作などせず、毛沢東に支那を取られる事もなく、辛亥革命を推進し、支那人を幸せにしただろう。
 殺すという下策を取ることで、後々自分の首を絞める結果になるかもしれない。中共は、いまだにそんな下策に走るほど愚かで虚弱なのか、まだまだじゃな。