2017年8月15日火曜日

2つの情報工作と日本 3

 二重の工作によって歪んだ日本の思考を見直す時、民主主義も含めて、戦後の諸制度、諸思想は自分で獲得した自前の思想・制度ではないため、日本に合っていない部分がある事に気が付かざるをえない。
 比喩で言えば、良い品だこれを着ろと与えられた服に身体を合わせようとして来たのが戦後だった。
 だが、もちろん、本来なら身体に合わせて服をしつらえるのがあたりまえだ。

 戦前、民主主義につながっていく可能性のある動きとして、民権運動=国粋主義という十分に根付いたものがあった。薩長国権派に対抗して、選挙を実現するなど、堂々とした歴史のある動きだった。だが、占領軍は、これを悪者にして、改めて「戦後民主主義」という枠組みを移入した。日本にとって無理のある移入だった。
 日本の民主主義、ないし、民主主義の萌芽だった民権=国粋主義が、アメリカの民主主義と対決し、日本が負けた。それだからと言って、日本の民主主義が間違っていて、アメリカの民主主義が正しかったとするのは無理に決っている。
 だが、その「真相」工作を、「総連/日共」工作は小躍りして喜んだだろう。日本には民主主義がないとして、彼らの言う「民主化」に邁進した。もちろん、彼らの「民主化」とは、左翼化であり、さらに言えば「総連/日共」を盲目的に支持する事だった。彼らが「主体的」にと言う時には、自分から進んで盲目的になれと命令しているだけだ。
 日本を丸ごと「悪」にしてしまうより、国粋主義を悪とする方が簡単だったし、便利だったのだろう。それは国権派と「総連/日共」にとって非常に都合が良かった。

 今でも「極端な国粋主義」といった言い方がある。これは「激しい排外主義」と言っているか、あるいは、「極端な国家主義」と言っているように思える。
 まず、国家主義は国権派のものだからこの意味合いは当たらない。
 また、国粋主義は、元々、国権派の極端な欧米かぶれに対する批判から始まっているもので、日本にも沢山いいところがあり、いいものがある。日本人はこれを出発点にして、自分の力で国を良くし、豊かにし、やって行く以外にない。欧米先進国のものを取り入れるにしても、日本人の間尺に合うか合わないか吟味し、合わないものは合うようにしなければならないだろうという考え方で、排外的な国粋主義者がいたとしても、それは例外的な存在だ。また、そうした例外なら国権派にもいたと思う。

 国粋主義というのは、わざと言っているのだが、民権主義と言い換えても同じ事で、どこの国にもいい所も悪い所もある。一方がすべて良くて、一方がすべて悪いなどという事はない。それでは、先人の努力をあまりにないがしろにしているという事を言っているだけだ。互いの美点を認めようという事のどこにも排外などない。
 何でもかんでも欧米がススンデいて、正しく、日本は遅れていて、間違っているという考え方、これを自虐史観などと言うらしいが、ここでは拝外主義、あるいは排内主義とでも言おうか、排内主義の方がはるかに異常だろう。

 日本がすべて悪いとされた時に、国粋主義は沈黙を敷いられ、すべての責任を負わせられる事となった。だが、戦時軍部は、統制派が支配していたのだ。国粋主義の影響下にあった皇道派は粛清されていたのだ。

 自前の草の根民主主義であった国粋主義が沈黙した事で、制度の部分は国権派が、思考の部分は「総連/日共」が独占した。こうして、戦後民主主義は上から押し付けられる、何だか気持ちの悪いものだが、逆らえないものとしてあり続ける事となった。

 自分で思考するのではなく、規格化された思考に自らを合わせようとする無理を続けた挙句、左翼などに見るような極端で異常な思考に至る人々が現れるようになった。
 これは、戦後民主主義が基盤として来た、歪んだ戦後パラダイムの破綻を示している。

 私たちは、ここで国粋主義=民権思想について再検討を行ってもいい場所にいる。日本の何もかもを否定し、欧米、あるいは、共産主義国からの輸入ですませた方がいいというのでは、すべてが意匠の問題となってしまう。そうではなく、自前の理想、自前の思想を未来につなげて行くのでなければ、日本は日本たりえず、日本人は日本人たりえない。