2017年9月10日日曜日

small talk:だから反ヘイトは嫌われる

「何だかツイッター社におしかけて差別ツイートの野放しをやめろと圧力をかけた団体があったらしいね」
「その団体のそんな行為を批判する人がいるのは当然だ。「ヘイトスピーチは表現の自由にあたらない」などとプラカードを掲げたらしいが、この考えの浅さがこうした団体の中身のなさを物語っている」
「高級な表現しか守るに値しないというのは理解できるが、間違っている。何が高級な表現かを決めるのは誰になるのかという問題を考えていないという点で、バカだ」
「きっと自分たちが決めるというつもりなんだろうな。表現が許されるか許されないかの裁定者になりたいんだろう」
「昔のロシアだったらKGB、戦前の日本だったら特高警察の管轄だな」
「うん、KGBならシベリア送り、特高警察なら竹刀叩き、IS支配地域なら殺される」
「ツイッター社はそのどれでもないから、彼らに対処させるなんて無理だろう。そんな事を言って圧力をかけるなんてモンスターもいいところだ。いや、ツイッターから金でもせびり取ろうという魂胆か?」
「ツイッターの検閲顧問に収まって収入を得たいのかね」
「昔の総会屋みたいだな」
「そうだな。総会屋の生き残りが反ヘイト屋になって復活するかもね」
「表現の自由というのは面倒くさい問題で、ヘイトスピーチだろうが何だろうが自由だとするのが一番簡単なんだ」
「表現というものがそれほど高級だと考えちゃいけないんだよ。どうしようもないクズがかなりはいっていると見ておいた方が確かなんだ。だが、それでも、そういうものの自由を守る事が表現の自由を守る事なんだ」
「守るべき表現というのは、守るべきではない劣性の表現に対する、優生の表現という事にしかならないんだ。表現の優生思想さ」
「表現の優生思想は自由とは対立するんだ」
「もうちょっとこだわって言えば、ある表現がヘイトスピーチであると決めるのは誰なのか、決める手順があるのか、その手順を決めるのは誰なのか、そういった問題があるんだ」
「そして、その問題をたどって行くと、その表現が守るに値するかどうかを決めるのは、結局、権威ある共産党か、北朝鮮労働党か、イスラム宗教指導者か、カトリック教会か、みたいな事になって、権力の問題に行き着いてしまう」
「ある時は表現の自由を、またある時はヘイトスピーチをダシにして、本当は自分たちの勢力を増やそうという野心があるだけなのさ」
「政治的な勢力、つまり権力を求めるのは、勝手にやればいいさ。だが、表現や差別に対する薄っぺらな正義を振りまくのは見過ごせない。反ヘイト団体にはものを考えた事のある者はいないのか?」
「ものを考えた事のある人間なんて、そんなのは憲法九条を守る会だっけ? あそこにだって一人もいないじゃないか」
「ああ、寒々しい人たちがいたな」
「脱原発も含めて、北朝鮮の核実験、ミサイル実験で、あの人たちが沈黙してしまったんで、せめて反ヘイト運動だけでも何かしようといった程度の事なんだろうけど、ダメさをさらけ出してしまった」
「あの人たちの知力と怠惰さでは表現の自由を云々するのは無理だと宣伝したようなもんだった」
「何を言うのも自由だ。だが、人に相手にしてもらえる自由というのはないし、また、他者には反論する自由もあるというだけでいいんだよ」
「その自由の範囲は、例えば、シャルリー・エブドはいくらでも宗教を小馬鹿にする自由を持っているが、イスラム教徒は襲撃をもって反論に代える自由がある。ただし、テロはテロとして対処される事になる。死刑のないEU圏では、その対処は現場での射殺となるという事だ。表現の自由を守るという事は、そうした血なまぐさい面を持っている」
「ヘイトだ何だというレッテルを張って、自分の正義を主張すればいいという程度の話ではない。そんなレベルで終始したいんだったら、おとついおいでという事だよ」
「そういう事だ。本気でもないのに、感情的になって自分の正義を主張したいだけなんだ。こりゃ嫌われるわな」