2018年11月30日金曜日

戦争を語り継ぐなんて、もう、やめよう

 戦争を語り継ぐ事はいい事だとされて来ている。でも、語り継ぐ事で日本人の戦争観は前の戦争に固定されてしまっている。そして、その戦争観は占領軍と日共が認めたものでしかない。つまり、「語り継ぐ」中身は戦前の日本を、いや、日本そのものを否定的に見るものでなければ認められないで来た。
 さて、大東亜戦争、あるいは、第二次大戦、ここではどちらでもいいが、あの戦争の後、いくつも戦争があり、マスコミが扱わなかったり、扱いが小さかった紛争も沢山あった。その結果、戦争は飛躍的に変化している。今、世界には国家間ではなく、国家とテロ組織との戦争まである。戦争観も更新されなくてはならない。そうでなければ戦争について考えられず、阻止したくても手も足も出ない。
 だが、日本では、戦争観を更新する事が戦争への道だとされ、きちんと考えようとする者は右翼だとか、反動だとか非難される状態が続いている。
 それは「語り継ぐ」事が、戦争観を独占支配し、更新を許さない事と表裏だ。

 もう、あの戦争を語り継ぐのはやめよう。貴重な体験が、このままでは繰り言にしかなっていないからだ。そして、戦争観を更新しよう。そうすれば、あの戦争の見方も変わる。その変わり方は、戦争観の更新を許さず、貴重な体験を繰り言に貶めている人々が嫌がるものになるだろうが、彼らを気遣う必要などどこにもない。




 

本日の敗北

前を歩いていたオッサンが屁をこいた。
先を越された。