2011年12月28日水曜日

ターザン映画のチンパンジー、チーター没

この12月24日、ターザン映画のチーター役だったチンパンジーが、80歳で死んだという。  今年、ここに来て色々と死亡の報にふれる。しかし、まさかあのターザン映画のチンパン、チーターが生きていたとは知らぬ仏のお富さん、驚いた。  内輪の話だが、ターザンはアテレコが面白く、ターザン言葉と称して 「ターザン行く、ジェーン待つ」  という感じでしゃべって遊んだ。  段々とみんなに感染して、この喋り方になる。時々、流行した。  ついでに、猿の惑星ごっこで 「オイラ、コーネリアス」  なんてのも思い出した。  で、言葉遊びを介してターザンとチンパンがつながり、チーターが80歳まで生きて良かったと思った。  これは本当に大往生だ。ご苦労さん、チーター。  やっぱり最後は
 アーアーアーア~~~

2011年12月21日水曜日

金正日の葬式

金正日の葬式の光景だ。  後継者の金正恩の姿もある。若いのに太りすぎだ。食べる事でストレスを晴らしているのだろう。病気で早死するかもしれない。  金正日は拉致問題を放置したまま死んで行った。まだまだ、朝鮮の共産党である北朝鮮労働党のグロテスクな独裁体制は終わらない。

2011年12月1日木曜日

くもわざ書店 電子書籍販売開始!

電子書籍のダウンロード販売を開始します。

 第一弾は魚服記殺人事件 と 血の翳り - Eclipse of the blood です。

 魚服記殺人事件 魚服記殺人事件
 太宰治の冒険。
 目森一喜著。
 価格500円。

血の翳り - Eclipse of the blood 血の翳り - Eclipse of the blood
 目森一喜著。
 価格500円。

 こぞってお買い求め下さい。

2011年11月15日火曜日

支那の無意識と荒廃

  ちょっと前、ニクソンの著書を読んでました。元米大統領のリチャード・ニクソンです。 その本の中で、ソ連を食い止めるためには、毛沢東の政体がいくらどうしようもないものであっても、中国と手を結ぶしかなかった。相手を選ぶ余裕はなかったのだとありました。  とてもオーソドックスな地政学なのですが、日本で地政学を口にする人たちは、言葉を振り回すだけで、まったく理解していないか、好戦的に気分を高揚させるために地政学用語を口走っているだけというのが多いので、ああ、ニクソンという人はとても勤勉だったんだなと感心しました。
 盗聴なんて、やってない大統領はいないのに、なぜあの人だけがやられたのか、やはり疑問です。
地政学といえばマッキンダーですが、とても冷静で頭に地球が入っているものの見方をしています。
で、支那ですが、毛沢東に煽られて文化大革命という愚劣な暴力沙汰に血道をあげていた頃からすれば、ずいぶんと良くなったのだなと思った次第です。
 あの頃は、殺人、略奪、強姦といった蛮行に明け暮れたのですから。元々、人肉食をしていた低水準の支那文化が、さらに劣化しても不思議ではありませんでした。
 そこからすると、経済のおかげで社会が少しでも開かれ、その分だけ良くなっているんだと思います。
 別の言い方をすると、文化の劣化というのは無意識の荒廃ですが、それは外から見て嫌な感じを発散させるのです。瘴気を出すわけです。お金が回るようになると、そのために社会が開かれていかなければならない。サブカルチャーではやっていけなくなる。その開かれた分、無意識の荒廃は癒されましたが、ベッグで政策的な統制が布かれている分だけ荒廃が生み出されてもいる。今はそういうところだと思います。
 支那で怖いのは、考えた戦略的な動向ではなくて(そんなもの、あの近視眼的な人たちのすることですから、イザとなったら、布石のほとんどは死にます)、無意識の荒廃と混沌です。

2011年11月13日日曜日

サバス再結成?

ブラック・サバスが再結成して、CD出してツアーするらしい。  冗談のようだけど違う。  デビュー当時は安っぽい音で、安っぽく活躍してて、笑えるキワモノだったんだけど(その前に、アーサー何とかっていう、頭に火のついたヘルメットかぶって、ファイアーという曲を歌うキワモノ歌手もいた。あの人は事故で自分の頭に火がついてしまったというニュースがあったけど、その後の消息は知らない)、今になって再結成か・・・生きてるって凄いことだ。

2011年11月11日金曜日

色々あるんですが

色々とアップしたい事、あるんですが、どんどん仕事が遅くなっていて、間に合いません。  今日、テレビに甲野善紀さんが出てました。楽しみました。  ところで、テレビがつまらないので、地テジにしてません。見たいのはほとんど海外ドラマなので、レッドカーペットのなくなったテレビなんかいらないという感じです。金がないからでしょう、スペシャルと銘打って、これまでならカットしてた部分の垂れ流しで4時間も見せられたんじゃ退屈でしかたがない。  テレビが自殺して行ってる姿が面白いわけでもないし、ホントにもういらない。  テレビも見てないのに、色々間に合わないなんて・・・俺って、ホントに手が遅せえ!

ねこ時計

ねこ時計、つけました

2011年10月27日木曜日

News Spider

マドンナの兄は浮浪者、橋の下で暮らす
(米ニューザー 2011/10/24)

News Spider

サイエントロジー、サウスパークのストーンとパーカーを調査
(米ニューザー 2011/10/24)

News Spider

海上風力発電 初期原子力発電超える力
(独スピーゲル 2011/10/21)

News Spider

連続強姦魔はプレーノーの女子学生クラブ同窓会員を狙っているのか デントン
(ダラスニュース 2011/10/21)

News Spider

右翼ポピュリスト支持下がる スイス選挙
(独スピーゲル 2011/10/24)

News Spider

契約労働者、全イスラエル人の個人情報盗む
(イスラエル/エルサレムポスト 2011/10/24)

News Spider

地球の水は宇宙から来た
(露プラウダ 2011/10/22)

News Spider

42万4000ドルの金塊、ロシアで見つかる ボストーク鉱山
(露プラウダ 2011/10/17)

News Spider

スーザン・サランドン、教皇ベネディクト16世をナチ呼ばわり
(露プラウダ 2011/10/18)

News Spider

ヒラリー・クリントン、ガダフィの死に大笑
(露プラウダ 2011/10/21)

News Spider

警察スパイ、でっち上げの活動家話で恋人をひっかける
(英ガーディアン 2011/10/23) 1980年代、ロンドン警察特別版に所属していたボブ・ランバートは、抗議運動に潜入するため、ニセの身分を使った。

News Spider

英暴動解析、ギャングは中心的役割を演じていない
(英ガーディアン 2011/10/24)

News Spider

MI5情報部員サイト、セキュリティー不手際で閉鎖
(英テレグラフ 2011/10/23)

2011年10月11日火曜日

中国、上院法案に「貿易戦争」の警告

(2011/10/10 Newser)

    中国が人為的に元安にしている事を罰する法案をアメリカ上院が制定しようとしている事に対して、中国高官が「貿易戦争」につながると警告を発した。


ジョブスの死因

(Newser 2011/10/10)

アップルはスティーブ・ジョブスの死因を公開していないが、サンタクララ公衆衛生局が公開した死亡診断書は、他の臓器に転移した膵臓癌が死因だと示している。ジョブスはカリフォルニア州パロアルトの自宅で亡くなったという。検死は行われていない。

シベリアに出現 雪男!

・・・の「証拠」
(Newser 2011/10/10)

シベリア当局が雪男の証拠があると発表。

dlvr.it

 dlvr.it というサイトに登録し、ブログとフェイスブック、ツイッターの連携を強化しました。

2011年10月1日土曜日

1日?歩

 江戸は迷路として設計された近世都市だった。攻めこまれた時に敵が迷って手間取るようにという意図があった。江戸が薩長に占領され、東京になっても、道が変わったわけではないので、迷路の多くが残った。東京に住むというのは、迷路の住人になる事なのである。
迷路を巡るのが東京の散歩というもので、迷路の暗がりが伝承や悲劇、悪や倫理を分泌しているのを肌に感じながらぐるぐると回っているうちに大川から室町に上がって、コレドに入った包丁の木屋をひやかし、八重洲に行ってブックセンターで本を買って帰った。

買ったのはHTML5の本と『「放射能は怖い」のウソ』という本で、タイトルからわかるように、福島の原発事故で出ている放射線なんか問題ないという内容だ。
危機をあおれば人につけ込めるのは占い師もメディアも同じなので、さも福島が危険であるかのように喧伝されているが、 根拠が薄弱な話ばかりだ。
今のところ、東京はもちろん、福島も心配ない。ただし、事故を起こした原子力発電所はどうかわからない。おそらく安全に廃炉になって行くよう、多くの人々が多大な努力をしていると思うが、判断するには材料が足りない。
  そんなところなんだと思う。不安に駆り立てられる必要などない。


蔵前あたりがかわって来ている。教会の一角が喫茶店になっていたり、川沿いのビルがケーキ店になっていたり、横山町あたりにかけて、少し面白い。

教会と言えば、東南アジアのキリスト教国と言えば、フィリピンと韓国だ。東京にも韓国系の教会は多く、たいていキムチを漬けている。そうか、韓国だと、修道院でキムチをつけてるかもしれないと想像したりする。フィリピン人は英語でミサをやる教会に行くそうで、東京には数少ないそうだ。

2011年9月18日日曜日

山月記ではない話



英テレグラフ紙から。 提供されていたエンベッドで貼りつけています。

中国の動物園で犬が虎の赤ちゃんを育ててます。
虎と言えば中島敦だけど、こういう話はなかった。

2011年9月10日土曜日

年寄りの避難=難

 福島で、年寄りも避難させている。
被曝したとしても、そのために死ぬよりも先に寿命が来るに決まっている人たちだ。
いや、年寄りは、避難所の生活の不自由、ストレスに耐えかねて、確実に寿命を縮めている。
何でもかんでも一律にしたがる中央集権的な文化の人々は、避難させているつもりで、難をもたらしているのだ。
現場では、年寄りがかわいそうだという話が出て来ているらしいが、昨日、教えてもらうまで知らなかった。
年寄りは、本人が望むなら、避難所にいさせるより、帰宅させるべきだ。
避難を難儀にしてはならない。

2011年8月21日日曜日

ぼんやりゾンビ、進歩で虚

将門webに、

吉本隆明鈔集193「対馬忠行ソ連論の弱点」
というアップがあった。
吉本隆明さんの
対馬「ソ連論」の最大の弱点は、レーニン軍隊論を鵜呑みにしたその軍隊論にあった。というよりも対馬がレーニンと(部分的にはトロツキー)に依存してスターリン以後のソ連の実現を批判するという非自主性を脱却しえないところにあった。「情況への発言-ひとつの死に関して」1979.12「試行」53号掲載 「追悼私記-対馬忠行-駈けぬけた悲劇」1993.3JICC出版局に収録された
という記述を紹介し、

  対馬忠行のやった仕事は、現在の世界の情況をみるとき、かなり先駆的な意味があった。だがどうしてこんな模範にもなりえない国家の考察に彼は情熱をかた むけたのだろうか。やはり世界最初の社会主義革命をやったというソ連を、なんとかしたいと強烈に思っていたのだろう。それがいくら研究批判したとしても、 その相手にさらに幻滅していくとき、彼の死がおとずれたわけだと思う。本来レーニンに依拠してスターリン主義とやらを否定したって、それは何にもなってい ないのだ。しかし、これはひとり対馬のみならず、日本の新左翼に共通するところなのだ。
とコメントしている。
ほとんど知らないのだが、対馬忠行はかなり早い時期からトロツキストで、トロツキーの思想を紹介して来た人だったはずだ。そういう人が自殺したのだが、吉本さんは追悼文を公表した。引用はその一部である。
今から見ると、トロツキーのような人物に生涯をかけるなんて無意味で無残に感じられる。その無垢さがあまりに痛々しい。ロシア革命に、打ち込むべき点などどこにもないのだ。
そこらの薄ら進歩派は、何となくロシア革命が良くて、レーニンが偉くて     などとぼんやりと、しかし、無検証が故に強固に思い込んでいて(思い込みの強さが冷静な検証の代わりになるという心理的なすり替えが働くからだろう)、ついでにアメリカが悪くて、物質主義で、とも思い込んでいて、その思い込みが自分の進歩性の証明のように感じているように見受けられるのだが、対馬のような人は、誠実さゆえに、突き詰めて行った。
ドイツから資金を得ていたレーニンや、アメリカから資金を得ていたトロツキーらの攻撃で潰えたため、本当のところはわからないが、ケレンスキーの革命ならロシア人を解放したかもしれないが、ボルシェビキ革命は、ポル・ポトに数倍するものと言っていい蛮行と愚行の塊だった。
物質主義であり、非人間的な科学主義はソ連のものだ。なにせ唯物論なのだから。それに反して、アメリカ社会は信心に明け暮れているところがある。どうしてだか、日本人の多くがそこを誤解している。
レーニンは良かったのに、スターリンが革命をだめにしてしまったなどという見方は、贔屓の引き倒しというやつで、レーニンもスターリンも同志で、同じ穴のムジナだというのが本当のところだ。スターリンは、レーニンの正統な継承者であり、当然、許しがたい人物だった。もちろん、トロツキーも変わるところはなく、ただ、跡目争いに負けただけに過ぎなかった。
ぼんやり/強固な人たちは、柔軟性がなく、しかも、ものを考えることを放棄しているせいで変わることができない。対馬のような人には、山中に庵を編んで遁世しといった晩年があれば良かったのだが、悲しく無残なことに、クリアになったところで死ぬしかなかった。
そして、ぼんやり/強固な人々は、ダメで終わったものなのに、そう認識できず、何かあると、ダメなものに復帰してしまう。マルクスが正義者同盟(ブント)に依頼されてゴーストライティング(代作)した『共産党宣言』(普通はゴーストライターが、頼まれ仕事(賃労働)で書いたものを自著にリストすることはないのだが)にある幽霊云々という部分を、ゾンビにすれば、その光景の描写にできなくもないかもしれない。ゾンビ/進歩派は、その空虚さゆえに危険かもしれない。



2011年7月15日金曜日

放浪の蜘蛛業

 Spider job | 蜘蛛業 のサイトを引っ越しました。今度は jimdo です。
 アドレスは、http://kumowaza.jimdo.com/です。

もう脱民主党しかないかも

 牛が体内被曝したための、出荷牛肉の放射能汚染の犯人は、政府の通知ミスによるものだった。畜産農家には事故発生前に刈り取った牧草だけを与えるよう通知していたのに、エサの稲わらを供給する稲作農家は通知対象に入っていなかったというのだ。
 こういう馬鹿な事は農林水産省の役人が低能だから起きた失敗で、無能責任をとるべきだ。もう頼むから死んでくれとお願いしたい。だが、そもそも、馬鹿な役人を監督できなかった事に問題の根がある。
 委員会だ何だは沢山作ったが、結局、この体たらくなのは、有効な対策などほとんどないのと一緒だという事は、それなのに、増税だけは(官僚主導内閣だからだと思うが)サッサと決めて行く。
 原発の事故発生後の成り行きは、すべて人災で、東京電力と菅直人、そして民主党内閣に責任がある。
 将来は大切だが、そのためにも今すぐが重要だ。今、民主党に席を置く人々は、もう政治に関わらせるべきではない。自民党はダメだが、民主党は、さらにダメだった。ともかく、今は脱民主党しかない。

 鹿野道彦農林水産相は15日の閣議後の記者会見で、福島県白河市の稲作農家が販売した高濃度の放射性セシウムに汚染された稲わらをえさとして与えていた畜産農家2戸が、聞き取り調査に対して、福島第一原発の事故を受けて国が示した飼育管理方法を「知らなかった」と話していることを明らかにした。
 原発事故後の3月19日に「乾いた牧草を家畜に与える場合は事故発生前に刈り取ったものだけを使う」との通知を出した。ただ、通知は畜産農家向けに出たもので、稲わらを供給する稲作農家は通知の対象外だった。
稲わらの提供制限「知らなかった」 畜産農家2戸明かす(asahi.com)

2011年7月5日火曜日

松本龍辞任

 松本龍が辞任した。
 菅直人は、
・・・何があっても辞めなければ居座れるものを、何やってんだろこの人・・・
 と思ったに決まっている。

 でも、まあ、あんな男が辞めて、宮城県ばかりでなく、九州の人にとっても良かった。

 しかし、民主党、人を嫌な気持ちにさせる人材の宝庫だね。次は、どんなカスが出て来るかな~?

2011年7月4日月曜日

今日は、松本龍の否定と市橋達也の否認の日

復興担当相の松本龍が、
「知恵を出さないやつは助けない」
「九州の人間だから、何市がどこの県とか分からん」
 と暴言三昧。
 九州の人間、そういう非道い人ばかりだと、お大臣がおっしゃってる事になる。
 で、非難されると、本気でもないお詫びをして見せて、辞任を否定した。

 リンゼイ・アン・ホーカー殺しの市橋達也も、殺意を否認した。

 民主党のような人非人を政権につけた国民が悪いのか、あの夏、弱すぎた自民党が悪いのか?

2011年6月12日日曜日

ゼロ首相と日本

 菅直人は政治的空白そのものだと感じる。首相の位置にいることで空白が生じている。空白総理というか、ゼロ首相とでも呼ぶよりない。
 ただし、これは本人の資質や努力から来ていることではなく、状況が露呈させてしまった事だ。
 戦時中は大政翼賛会だった市川房枝を「進歩派」として担ぎ出す程度の政治家が、政界遊泳術にだけ長け、首相に上り詰めた。ゼロ首相の念願は長期政権で、小泉首相と並び、超えるのが夢だったという。
 ゼロ首相にあったとすれば、この政権への妄執だけだった。こういう相手を引きずり下ろすのは、かなりの汚れ仕事で、なまじの者には歯がたたない。鳩山は「なまじ」もいいところだった。
 無能で決断力も判断力もなく、責任感も知能も、事態に正面から立ち向かう意志力もないのは、しかし、ゼロ首相だけではない。東京電力トップも無能なジジィたちだとバレたし、原子力委員会も馬鹿の寄せ集めだと判明してしまった。
 これまでふんぞり返っていたお偉いさんたちが、軒並み役立たずだったのである。
 これはどういう事だろうか? 指導者がこれほど無能というのは、日本人が民族的に劣等だという事なのだろうか?
 いやそうではない。ただ、無難な人が上に行く傾向があり、それがあからさまに裏目に出たのだと思う。
 彼らの無能は彼らのせいだが、それを言っても、今から能力が向上するわけはない。彼らにはどうしようもないので、さっさといなくなってもらうしかないだろう。

 ゼロ首相だといいのは、官僚たちで、思う存分働いているだろう。でも、やはりさほど能力があるわけではないし、欠損のある人格の者が多いし、空白が埋まるわけではない。

 歴史的にトップが軒並み無能だった例は多々ある。革命期のロシアでは、レーニンの無能のせいで、ウクライナで600万人の餓死者が出た。それでも政権は維持されてしまうわけだから恐ろしい。そこで為政者にタカをくくられてはたまったものではない。

2011年5月8日日曜日

浜岡原発停止って、おかしくないか?

 とりあえず、暫定的な安全基準を作って原発を稼働させ、本格的な安全基準ができ次第、できるだけ早く基準を満たすようにする方がいい。法的な基準でない限り、わけのわからない話になってしまう。
 菅直人は味方がいなくなって来て、浜岡停止を言い出した社民党を味方につけたいだけなのだ。政権亡者は、今のところ社会的に立場の弱い電力会社に無策の尻を持って行ってるだけに見える。
 福島原発事故は「人災」だという意味は、政府と東電幹部の無策・無能を指している言葉だ。

2011年4月29日金曜日

エネルギーー転換は後の話じゃないのか?

 東日本大震災で福島第一原発が事故を起こし、大変な事態に陥っている。
 それは心底大変な事なのだけれど、だが、だからと言って、これまでほぼ順調に稼働して来たと考えられる福島第一以外の原発も停止させてしまうのは話が違うと思う。
 震災後の復興に電気は必要に決まっている。日本のすべてのパフォーマンスがいい状態なら、それだけ被災地に振り向ける力が大きくなり、復興も早くなる。
 転んだ人の手足を縛って、さあ立ち上がれというような真似はやめて、とりあえずの安全確認ができたら、稼働できる発電所は、火力だろうと水力だろうと、原子力だろうと、すべて稼働させ、電力を供給すべきだ。
 今は手持ちのリソースをすべて使って、難局を乗り切るべき時だと思う。
 そして、もし、エネルギー転換が必要だと、日本の多くの人が思うなら、復興がひと段落した後に十分な議論をし、決定すればいい。今、思いつきであれこれ言ってもはじまらない。もちろん、ここで言っているのは順序としてそうなるという事で、今、エネルギー転換を口にしても悠長な話ではないかというだけだから、いつであっても、エネルギー転換についての話を、したい人はすればいい。それは止めるところではない。
 原子力や火力の代替になるには、まだまだどの技術も時間とお金がかかる。明日にでも使えるものなどないのだ。エネルギー転換をするにしても、当面、原子力や石油を使い続けなければ、空白ができてしまう。
 震災で大きく、深い衝撃を受けている日本を、さらに痛めつけるような事をしてはいけない。
 転換を行うにしても、緩やかに行わねばならないと思う。

2011年3月20日日曜日

またひとつ、さようなら

政府チグハグ対応なお 「冷静」呼びかける一方で不安増長 野党の不満もますます
 という記事に

「・・・政府の中央防災会議は一度も開かれていない。
 中央防災会議は首相と全閣僚、日銀総裁、日本赤十字社社長、有識者らで構成される正式機関。自民幹部は「首相はそういう会議があることを知らないのではないか」といぶかしがる。
 にもかかわらず「官邸主導」をアピールしようと矢継ぎ早に本部を設置した。被災者生活支援特別本部、原子力災害対策本部、電力需要緊急対策本部-。これら本部からバラバラに指令が飛びかっており、ある経済官僚は「指揮命令系統が混乱を極め、わけがわからない」と悲鳴を上げる。
 しかも枝野氏に情報を一元化するあまり情報発信は滞っている。福島県では自前で計測した水道水モニタリングデータの発表が遅れ、民主党出身の佐藤雄平知事は政府の災害対策本部で「しっかりやってくれ」と怒りを爆発させた。」

 とあった。
 管直人だったら中央防災会議を知らない可能性はかなり高い。あの男はコスさに脳みそのすべてを注ぎ込んでいて、心底馬鹿だからだ。過去、管直人と張り合うぐらいの馬鹿は村山富市ぐらいしかいないだろう。

 上っ面ばかり取り繕おうとしやがって、民主党の人間たちは鈍感だから、自分が何をやっているのかもよくわかっていないのだろう。

 魯鈍というか、暗愚というか、議員というのは馬鹿が多いが、民主党は底なしなのが怖い。元自民党の与謝野なんかは、根性真っ黒というか、腹の黒さと人望のなさ、程度の低さ、見境のなさと、色々な面で民主党の水があっているだろう。

 民主党のような無能な政党を政権の座につけた事のツケはあまりにも大きい。
 同時に、これは大きな政府の終焉だという事は見すえたい。
 ともかく、もう二度と民主党は見たくない。

政府チグハグ対応なお 「冷静」呼びかける一方で不安増長 野党の不満もますます
政府チグハグ対応なお 「冷静」呼びかける一方で不安増長 野党の不満もますます 2

2011年1月3日月曜日

2011/01/02

 2011年になった。今年も大変な1年になるだろうけれども、見方によっては面白い年でもあると思う。
 大変さと真剣に向き合い、面白くやって行きたいと思う。
 何をするにも手が遅くなってしまったけれど、たどりつけないだろう場所にとぼとぼと向かう歩みが早かろうはずもない。
 のんびり、だらだらと、つまり、のんべんだらりと、例年のごとく、また今年もあるのだろう・・・