2018年10月12日金曜日

曲線の近似計算において・・ええと・・・だから・・・

「幼女戦記」を見た。
 溺れるといけないから1日1話だけに決めて見た。
 シーズン1は三日で見終わった。

・・・つまり・・・3話しかなかったという事だろう。



2018年10月11日木曜日

これだけだと突っ込みどころ満載だけど、面倒だから相手にはならないのでよろしくね

 差別関係は面倒くさい。どうして面倒くさいかというと、差別はいけないと糾弾をする人たちの意に沿わなければならないようだからだ。差別を糾弾する人たちと同じ思考をせねばならず、同じ考えを持たなければ怒られてしまう感じがあるからだ。問題によっては同じ考え方をしなければ殴る蹴るの暴行を受けた人もいたと、耳にした事がある。

 そういう事だから、嫌な思いをしたくないので、たいていの人がそのあたりを避けるようになる。差別は嫌な事だからない方がいいし、差別はいけないと言っている人たちに反対はないのもあって、私はちょっと忙しいので、どうぞ存分におやりになってくださいという風にして、関わりを持たない。

 この対処は基本的に姑息だけれど、しかし、正しくもある。差別を必死に糾弾する人たちの真剣さ、深刻さは疑わないが、だからといっていい結果に結びつくかどうかはわからない。

 ひとつの思考を人に強要するのは、マルクス主義に顕著だが、これはすでに歴史にいくらでも事例を見られるように全体主義の思想だ。マルクス主義は入党しない者、同伴しない者、賛同しない者らに、「ブルジョア」「反動」「ファシスト」「権力」「軍国主義」「反人民」といったレッテルを貼り、自分たちが貼ったレッテルに合わせて人を批判というより、罵倒して来たし、今でも罵っている。
 でも「反動」と言われる人たちが、世の中を進歩させているし、自衛隊は中国や北朝鮮が日本に戦争をしかけて来ているのを、かろうじて防いでいる。
 そういう事実は、レッテルを貼る側には気にする必要はないのだろう。本当の反動は「進歩派」を自認する彼らの方であって、いたるところで進歩を邪魔しようとしている。徹底的に適応力に欠ける彼らは、良くなろうとどうしようと、とにかく変化を好まない。
 これはひとつの思考を受け入れた結果かもしれない。思考の効率が著しく低下したためだ。中央が変化を受け入れ、適応する事を決定しなければ、誰も適応などできないのだ。先に適応したりすれば査問され、スパイのレッテルを貼られて糾弾対象となり、場合によってはリンチまでされてしまう。もちろん除名だ。
 こうして、党や党派は遺物と化す。ソ連の崩壊や、北朝鮮の現状からその中身が無残なものだと明らかになったのだから、その遺物は嫌悪の対象でしかない。それを何かいいものであるかのように言っているのは、ツブしの効かない連中だけだろう。害毒でしかない。敵対の価値すらない人たちだ。

 日本は世界的に珍しく、先進国では唯一の仏教国だが、仏教はヒンズー教のカースト差別を否定して出て来た平等の信仰だ。
 社会主義諸国で差別がなくなった事はなく、それどころか、強化されていた事と、日本での差別撤廃への取り組みを比べる能力があれば、マルクス主義と仏教のレベルの違いは明らかだろう。マルクス主義は下等すぎる。

 幕末において、吉田松陰が師と仰いだ佐久間象山は、今でいう部落差別の撤廃を主張していた。「尊王攘夷」というスローガンの中に、こうした平等思想が貫かれていた事は明治維新の核心として繰り返し言及する価値がある。この底に仏教がある。
 日本は、古代において平等思想たる仏教を受け入れた。中世期にもそれを推進し、うち固めた。そして、明治維新においてそれを現実の射程に入れ、平等を推し進め、広めて来た。これは、とにかく日本を悪く見ようという共産教史観に惑わされず、素直に日本の歴史を見ればわかる事だ。
 このようにして、遅々とした歩みながら、日本はたゆまずに平等に向かって進んでいる。もしかしたら、差別反対関係が面倒くさい理由はここにあって、いいよ、もうやってるよ、という事かもしれない。


何か、ミもフタもない理由かな? だったら、ごめんね。

 原子力発電に反対するのは信心だから、理性や理論、事実では説得できない。感情の方が優先されてしまう。だから、脱原発の人々が感情的に政治的な力を行使するのを止める事は出来ない。日本が民主主義国家だからだ。
 これが中国とか、ロシアとか、旧社会主義陣営の東欧圏、あるいは、南米のキューバ、ニカラグラ、ベネズエラといった国なら、ああ、もちろん北朝鮮もだね、そういう国々なら、国民、市民、庶民、人民、大衆・・・何でもいいけど、そういう人々を無視して、政府がどんな決定でも出来る。
 で、どうしようもないものであっても、国民の意向が尊重されるのと、権力者の決定だけが尊重されるのと、どちらがいいかははっきりしているので、原発は動かした方がいいけど、動かさないでいても我慢する。いくら動かした方がいい理由が沢山あり、止めておく理由が無知と蒙昧と迷信と政治宣伝だけだったとしても、しかたない、民主主義システムの維持のために我慢する。もちろん、原発を動かした方がいいと、機会があれば、また、その気になったら、当然、発言するけれども、でも、現実として無知だったり、人の無知を利用している人たちのせいで原発が動いていない事には我慢をする。

 脱原発で、マルクス主義は正式に宗教化し、日共も新左翼も共産教となった。元々そういう体質だったが、もう信心とみなすしかない。つまり、面倒くさいから、良くて適当にあしらう程度、普通はまったく相手に出来ないものとなった。それで困る人はいない。

 さて、どうして我慢なんかができるかというと、脱原発を支持していたり、日本のリベラルを支持している、ほぼ重なっている層が高齢であり、また、その層はほぼ後継者のいない層だからだ。つまり、数年で勢力が大きく後退し、10年もすれば、まあまず無力化してしまうからだ。
 それまでは、中国や北朝鮮など、近隣の軍事大国の危険な動きに対して、外交で対処して行くしかない。5年10年で改憲の環境は整うだろうから、そこをしのげば東アジアの平和と安定に貢献できる防衛力を整えられるようになるだろう。
 どうせ時間のかかる事をするのだから、感情に身を任せる水準の人々を相手に事を構えるだけ無駄だ。今は、無理なく進められる事だけを進めておけばいい。