2021年8月27日金曜日

チャーリー・ワッツ追悼

ちょっと忙しくしていたら、チャーリー・ワッツが亡くなっていた。2021年8月24日の事で、年齢は80歳だった。

ローリング・ストーンズのリズム・セクションは強力で、抜群の推進力を持っていた。その推進力を担っていたのがチャーリー・ワッツだった。もう辞めてしまっているビル・ワイマンは今となっては目立たないベースに感じられるかもしれないが、ワッツとピッタリ合ったビートを出していた。ローリング・ストーンズのリズム隊が他の人達だったら、彼らはもっとつまらないバンドになっていただろう。事実、ワイマンが抜けた後のローリング・ストーンズはもうひとつつまらなくなっていた。

ローリング・ストーンズのワクワクする音楽は、ワッツとワイマンが支え、作っていた。

ワッツは元々ジャズをやりたい人だったから、これからはそっちの方でいい音楽を作ったかもしれない。いくつか残っている音源を聞くと、くつろげるジャズを演奏している。

ローリング・ストーンズはビートルズが解散した後、ロック音楽を引っ張ってきたバンドだった。イギリスのバンドは、アメリカ市場で受けて、アメリカで稼いでやっていくものなのだが、アニマルズやデーブ・クラーク・ファイブのように拠点をアメリカに移さずに人気を保って来たのはさすがだった。そのローリング・ストーンズを支えた唯一無二のドラマーとして、チャーリー・ワッツは記憶すべき音楽家だった。

ロック音楽が高齢者のものとなり、まあ、終わった今、かけがえのない人を失った事を、高齢者たちは気がつかないかもしれない。もちろん、その一切が若者には関わりのない出来事だ。



2021年8月26日木曜日

ガンダーラ陥落。文明の灯火は消えるのか?

タリバンは、反動と言うなら、もう正真正銘の反動だ。しかも、アメリカとの会談を時間稼ぎに使い、結局、約束を反故にする狡っ辛い野蛮人だ。話をするには、鞭で折檻しながら保育園から教育を施すしなさないといけない連中だろう。そんな野蛮人がアフガニスタンを掌握するに至ったのには、ちょっと歴史がある。

アフガンはソ連の友好国だった。だが、政府に反対する勢力が過激化し、治安が不安定化したため、ソ連軍がアフガンに侵攻した。反政府勢力が勢いづいたのは、アメリカがベトナムに供与していた武器をアフガンに送ったためだった。当時はカーター大統領の時代だったかな? 

ソ連の侵攻でアフガンが戦争状態となり、アメリカは、ベトナムの仇をアフガンでとエキサイトした。アメリカは反政府勢力を支援し、パキスタン経由で武器援助を行った。中国製の武器まで送っていた。ロレッタ・ナポリオニによると(「テロ株式会社」未邦訳)、武器の大半は途中のパキスタンで消えたら。

昔々は、日本もアメリカも大使館を置いていた。段々と大使館施設の近くにミサイルが飛んでくるようになり、アメリカ大使館が退去するというので、日本大使館も退去した。

アフガン・ゲリラの戦いで、ついにソ連軍が退却したのだが、今度はゲリラ同士の争いが起こり、とどまるところを知らなかった。アフガン・ゲリラと言っても、部族ごとの部隊が戦闘していただけだったから、ソ連がいなくなって見ると、横で戦っていた奴は隣村で、昔から仲が悪かったという感じだったかもしれない。

アメリカは仲介に手を焼き、結局はタリバンを支援した。部族よりもまとまった勢力だったのか、アフガン・ゲリラの部族を退け、アフガンを掌握した。

タリバンというのは神学生の意味だと聞いたが、後に与太者化し、強姦や強奪をするようになったので、アレ? という感じで見ていた。結局、野蛮人の集団となった。もちろん、こんな程度の低い連中に統治などできるわけがなく、アフガンはイスラム・テロの巣となった。

その後、9/11の後、アルカイダの根拠地だというので、アメリカが、かつてのゲリラを再結集し、北部同盟として立て、アフガン侵攻を行った。

アメリカの猛攻でタリバンは兵員を2割にまで落とし、パキスタン情報部の手でパキスタン内に逃げた。元々ケツ持ちだったんだろう。とすると、タリバンの中枢はパキスタンの工作員、あるいは、協力者と見た方がいいかもしれない。他は野蛮人だ。

そこでパキスタンだ。パキスタンは核保有国だが、パキスタンの核開発には中国、北朝鮮が協力している。パキスタンを介して、中国とタリバンは、かなり前からつながっていた可能性がある。そして、北朝鮮も関係していたかもしれない。北朝鮮は、イランの核開発にも関係しているし、アサド派シリアに派兵している国でもある。

で、今回、タリバンは従来のアフガニスタン政府を倒し、再び権力を掌握したわけだが、野蛮人が文明人になったわけではない。つまり、前回同様、まともな統治などできるわけがない。前は、アメリカも権力を取らせてしまった経緯もあったが、今回はない。資産凍結、経済封鎖をするだけだろう。

アフガンのように、暴力で押さえつけられたら、黙って従うしかない。何の後ろ盾もなく戦うなんて、映画の中だけの話で、今でも、世界中で人々は、ただ黙って従っている。反政府のデモなどがありえるのは、政府が野蛮な暴力で人々を抑圧してしまう国ではない。また、外国の秘密支援がなくては抵抗運動など組織できるものではない。

今後、第三世界のテロ勢力がタリバンとつながり、アフガンに入るようになるだろう。統制など取れるわけがない。

パキスタン、中国、イランが、どんな役割を果たすのか、果たさないのか、彼らの手に負えるのかどうか、遠くから見ているしかない。

邦人を脱出させた後は、我が国は、野蛮国などに関わり合わないでいいんじゃないだろうか。現地は色々可愛そうだけども、本気でタリバンを皆殺しにするための戦争をするというのじゃなければ、人道など通じる相手じゃないんだから。

彼の地には、もう文明の灯は絶えたんじゃないかと思うが、どうなんだろうか?



2021年8月25日水曜日

沈黙は金

 コロナ対策は、今年も厳しい自粛を求められる状態が続いている。武漢ウイルスがデルタ株になり、感染力を強化したためだ。今年は去年にも増して気を引き締め、怠りない生活をしなければならない。去年と違って、マスクが1万円するという事もなく、ホットケーキ粉が店頭からなくなるという事もなく、消毒液も買える。そういう面の不安はなくなっている。

だが、知人に感染者が出たなどという話が出ていて、感染爆発という言葉が実感を持つ。

それでも、今年はワクチンがあるのがまったく違う。去年、アメリカのトランプ大統領がワクチン開発に注力していなければ、そして、安倍さんが製薬会社と話をつけてくれていなければ、今、日本でワクチン接種など行われていない。

家族全員が2回のワクチン接種を済ませているという安心感は大きい。ただ、ワクチンで免疫を獲得したというのは、コロナに感染しても症状がほとんどないだけだから、感染したのに自覚がなく、コロナを撒き散らす側になる危険があるという事だ。やはり、ワクチン接種率が上がって行かないと自粛する以外にない。

延々と対策のための自粛を続けなくてはならないので焦れている人達も多いようだが、それで当たられたり、無謀な事をされても迷惑なだけだ。防疫とはこういうものなのだと受け入れるしかない。

マスコミや左翼政党は何が悪い、何がいけないと、馬鹿げた犯人探しを続けているが、世の中ギスギスするだけだからやめたほうがいい。悪いのはインチキばかりの中国なのははっきりしてるんだから、今、誰もが耐えなければいけない時に、余計なゴタゴタを増やさないでもらいたいものだ。本当に邪魔な人たちだ。

少しは役に立つ事を考えてみたらどうだ? 黙ってるだけでもいい。



2021年8月4日水曜日

近代日本における軍事の意味

黒船の到来で江戸幕府が旧来のやり方ではやっていけない事実を突きつけられたのは軍事と科学でした。江戸時代は、今の中国、北朝鮮など足元にも及ばないどころか、欧米すら凌駕する自由で活き活きした文化・社会を達成していました。欧米に及ばなかったのは軍事と科学でした。


少々寄り道です。日本はすでに軍事と科学以外はどことも遜色ない社会でしたが、無能な留学組が何事も西欧が上だとする事で自分の価値を高めようという意識を持ち、西欧かぶれぶりを発揮した事が国粋主義思想のきっかけでした。「馬鹿を抜かすな、このすっとこどっこいの唐変木」というのを名称にするわけにもいかず、国粋主義となった・・・というのは今作ったことですが、事情としてはそういう経緯です。


そこで、近代日本の改革は軍事に重点を置いたものにならざるをえませんでした。他の東アジアと同じく、欧米列強の植民地となるか、軍事優先の国家となって独立を守るか。当時の情勢はふたつにひとつでした。いえ、どちらかを選ぶような贅沢は存在しませんでした。当時の日本の国力では軍事優先で行くしかありませんでした。

欧米から身を守るために、欧米から学ばねばならない。近代日本は、多くの屈辱と苦しみに耐え、それをやってのけました。

明治時代に清=中国、帝政ロシアに勝利した日本は、その後、アメリカ以外の対戦国は、これをことごとく退けるまでに己を鍛えあげたのでした。

ですが、大東亜戦争の敗戦により、日本は徹底的に武装解除されました。

日本は軍事を破壊されただけでなく、共産主義という毒も注入されました。科学に流れ込んだその毒のありようを、私たちは、つい先ごろ目撃しました。

戦前の共産党は、仲間を殺したり、党の中心が逃げた先で腹を減らし、犬を鍋にして食ったりしながら消滅して行きました。最終的にはほとんどの党員、賛同者が転向しました。最後まで転向せず獄中にいたのは、仲間殺しで転向もできなかった宮本顕治など数人だったようです。(吉本隆明は3人だと書いていました)。

朝鮮人が刑務所を襲い、違法に脱獄させていた宮本顕治などを中心に、占領軍は日共を再建させました。秘密のナンバー2=実質トップは朝鮮人の金天海だったようです。

そして、ソ連が違法に抑留し、洗脳した日本兵を帰還させた事もあって、一時期の共産党は大きな勢力となりました。

しかし、朝鮮戦争で北朝鮮軍、中国軍と戦い、少しは目を覚ました米軍が馬鹿なやり方を改めたため共産党の拡大は止まります。シベリア抑留日本兵の大方も洗脳が解けた事でしょう。戦後、占領軍に迎合しようと共産党入りした知識人たちは、米軍が誤りを正したのを「逆コース」などと非難しました。国と国民のためになる事をすると難癖をつける今の野党と同じです。


共産中国の建国(現代の中国はあの時点で建国され、それ以前の歴史を否定し、踏みにじりはじめました。中国二千年などという駄法螺も、もう通用しません)、朝鮮戦争と、今に続く共産主義勢力の展開で東アジアの緊張が高まり、軍事を破壊された日本でも警察予備隊が設立され、自衛隊に発展しました。

ですが、自衛隊は手かせ足かせを課されています。今のままではまともな防衛活動も出来ません。法律がなかったり、邪魔をしているためです。自衛隊は超法規的に行動するのではなく、法律に従って活動します。今のままでは国を守るという目的を達成できなくされています。有事立法の整備は、国民にとって緊急の課題です。


近代日本における軍事と科学は、文明開化の核心でした。日本の文明開化とは、軍事と科学の発展の謂でした。

同時に、大東亜戦争によって西欧列強の植民地化によって踏みにじられていたアジアを解放するのは尊皇攘夷の大義でした。インドまでの東アジアを解放した事でその大義は半ばではあっても果たされました。科学の開化も申し分ないでしょう。破壊されたとは言え軍事の開化も一応は達成しました。残るのは、破壊された軍事の修復です。それは日本が国際社会で復権する事でもあります。

軍事的拡張主義冒険主義に走る、傲慢、かつ軽率極まりない共産中国によって緊張の高まる東アジアで、日本は、軍事を復興し、周辺の安定を維持し、文明を守らねばなりません。

同時に、これは近代日本の主題を終わらせる事でもあります。維新の完成とは、平和な東アジアの達成なのです。

中国の手先が、科学と軍事を攻撃し阻止を目論むのは、日本とアジアを、歴史の本道ではなく、袋小路に迷うこませようという意図あっての事です。

かつて西欧列強の植民地とされ苦しんだアジアが、今度は中国の圧政下に喘ぐ事となるのか、あるいは、日本と手を携え、平和と繁栄を手にするのか、これが現在の、歴史の分岐点です。そして、この分岐点は大きく太平洋の分岐点でもあります。太平洋が暗黒に閉ざされるのか、それとも、平和と繁栄と安定に開かれるのかは、大きくはありますが、答えのはっきりした問いかけです。



2021年8月2日月曜日

近代日本の主題と現在の課題

 日本の国粋主義は、よく誤解されていますが、排外主義ではなく、留学帰りが西洋カブれで薄っぺらな事を言い散らかし、日本を軽んじる反日傾向に対抗した思潮です。戦前の自由民権の思想でもあり、近代日本を良くしようという改革派でした。維新の完成という近代日本の主題に取り組んだ中でも重要な思潮ひとつです。

江藤淳が保守を作ろうとしていたのは、日本には保守思想がなかったからです。戦前の革新官僚が維新の完成を意識し、大正維新、昭和維新を唱えたのにも見られるように、近代に入ってからの日本のメインストリームは改革でしたし、それは今も変わっていません。

日本では改革がメインストリームで保守がない理由は、明治維新の未完にあります。明治維新は尊皇攘夷の徳川と尊皇攘夷の薩長土肥の戦いでした。どちらも尊皇攘夷なのに戦うというのはおかしいと感じる人もいるでしょうが、そうだったんです。割と近い関係にあると争いが起きやすいのかもしれません。薩摩藩などは、関ヶ原で負けたのが悔しく、「チェストー!」と叫んで江戸時代を過ごしたと言われていますが、それが維新の時に反徳川となって出たのかもしれません。ここは細かく理解するのは専門家に任せ、私たちは結果を受け入れて済ませましょう。

徳川幕府も、黒船の到来で、これは今までの通りではやっていけないと考え、改革を志向し、薩長土肥も改革を志向し、その方向は尊皇攘夷で概ね一致していたのが明治維新でした。

維新後、政府は近代国家を作るための改革に乗り出します。薩長が中心でしたが、優秀な人間がそれほどいるわけもなく、たいていは愚劣な連中でした。その手の人間にふれるのは字がもったいないので、やりません。自由民権派に対して、薩長を国権派と呼びますが、国権派の改革は概ね了解できるものだったと思います。ただ、色々と無理や横暴があったのも確かで、対抗勢力として自由民権運動が出て来ます。こちらの方では、自由民権運動と困民党運動が対立していましたが、細かな事情は不勉強もあってよくわかりません。まあ、主流は民権運動としておいていいでしょう。

明治維新で成立した近代日本の大きな主題は、維新の完成でした。国権派は日本の欧化をもって維新の完成を目指したと言っていいでしょう。それを国権の発動による強力な手法で行おうとしたのが国権派であり、それに異を唱えたのが民権派だったと見てもいいでしょう。改革という点では両者は一致していますし、その方向が欧化であるのは仕方のない事だという理解も一致していたと思います。その上での対立は、明治維新期の対立から来ているものだとする事も出来るでしょう。ここでは国権派と民権派の対立に踏み込むよりも、双方が改革派だった点を見ておきましょう。

明治以降、欧米列強に脅かされていた日本には改革の急だけが意識され、保守の余裕はなかったと言えるでしょう。その事情は大東亜戦争まで変わらなかったと思われます。

尊皇攘夷の攘夷論はアジア主義にもつながって行きますが、欧米列強からアジアを解放するとしたアジア主義は必然的に大東亜戦争につながります。

民権諸派と国権派が合同したのが大東亜戦争の大政翼賛会で、これが後の自民党になったと見る事が出来るかもしれません。

戦後、占領軍(連合軍=国連軍)によってやっと保護された日本共産党(連合軍に日本共産党の本部のソ連が入っていました)は、自分たちを「革命派」=革新派=改革派と自己規定していましたから、彼らが敵対する近代戦前期の日本すべてを保守としました。

そうした彼らの規定が、言葉の本当の意味とはかけ離れた無意味なものであった事は説明の必要もありません。彼らの「革命」はソ連に日本を侵略してもらい、占領後(略奪後でもあります)、ソ連の衛星国として、共産党に傀儡政権を作らせてもらう事でした。それをやりやすくする事、ソ連の侵攻・占領に道をひらく事が革新であり、改革の意味でした。確かにそういう「改革」と、近代日本の主題としての改革には意味の開きがあります。でも、自分たちが「改革」の本山だと取り違えた人たちには、改革が「保守」に見えたままでした。

現在のリベラル派も、共産党の派生ですから、本来のリベラルとはまったく趣を異にしていても平気です。おそらく不勉強で、元々のリベラルの意味は知らず、左翼の事をリベラルだと思いこんでいるのでしょう。

いや、最近は改革派として本流であるはずの自民党までが、共産党的な間違った言葉の意味で、自分たちを「リベラル」だとか言い始めています。よくも馬鹿が揃ったものです。

近代にあって日本を改革して来た人々、改革を担って来た人々は愛国者でした。彼ら先人は、根気よく、現実に向き合い、現実を改革して来たのです。口先ばかりで何も出来ず、混乱を撒き散らすだけの左翼とは違います。

「改革派」、「革新派」を標榜する左派は、自称としてその言葉を使っているだけで、未熟で馬鹿げた事しかしていません。時には、菅直人が原発を止めさせたような違法行為すら平然と行っています。

江藤淳はアメリカの大学で教鞭をとった人でもあり、勉強家でもあったため、世界をよく知っており、晩年は保守の創造に取り組んでいました。江藤淳は、日本に保守を望んだのでしょう。江藤淳の日本に保守がないという認識は鋭いものでした。ただ、維新の完成という近代日本の主題からすれば、保守は維新の完成の後にやって来るものです。まだ望むべくもありません。

日本のメインストリームである真の改革派は、黙って改革を進め、実行します。言葉だけの左派「改革派」は、改革を邪魔し、邪推し、誹謗し、止めようとし続けて来ました。極めて保守的で、変化を嫌う体質だからです。彼らの絶頂期から現在まで、ほぼ座して死を待つ状態で何もしないで来たのを見てもわかります。彼らは必要であり、自分たちのためになる現状把握、体質改善すらしないで、ひたすら「改革派」「革新派」の、無意味な看板だけを掲げてここまで来ました。実にバカバカしい連中です。

維新の完成=改革にとっての現在の課題が憲法の不備の改正である事は論を待ちませんが、同時に、民主党政権の負の遺物である原子力発電停止の終了と、原子力発電の再開である事も又緊急かつ重要な課題です。経済の大きな足かせとなっている、非科学的な原子力停止の解除すら出来ずに、憲法改正が出来るはずもありません。

尖閣への領土侵犯を繰り返し、台湾侵攻を目論む中国の野望を阻止するためにも、以上の国内問題の整理は緊急の課題でしょう。