2017年12月23日土曜日

small talk:カラオケ昭和歌謡

「ちょっと前の毎日新聞に柄谷行人のインタビューが掲載されてた。憲法9条の話だった」
「毎日新聞2017年11月27日、東京朝刊の「そこが聞きたい 憲法9条の存在意義 ルーツは「徳川の平和」 思想家・柄谷行人」というインタビューだ。ひどいもんだったね。柄谷行人て、ありゃ、馬鹿だったんだな」
「柄谷行人というと、こっちもちょっと構える所があって読んだんだが、この人、この程度だったのかと情けなかった」
「宮台あたりだったら、どうせチャラチャラしてるんだから読まなくてもいいかとなるんだけど、とりあえずこのくらいなら読んどかないととは思って読んだ。だが、いちいちあげつらう気にもならないような内容で、呆れるというよりも心配になった」
「わざと宮台なんかの名前を出すなよ。あれは誰でも馬鹿だと思ってるんだから」
「柄谷の憲法9条の存在意義のインタビューを読んで、東大全共闘を思い出したよ」
「あいつらの何をだ?」
「安田講堂の攻防の時、他の大学から来た連中が機動隊とぶつかっている時に、東大の連中は歌を歌ってたという話だ」
「ああ、外人部隊だった連中はよくボヤいてたな。いかにも東大生らしい話だ。で、柄谷の言ってる事は、その歌みたいなもんだと言いたいんだな」
「そういう事だ。それで考えてみたら、今は取っ組み合ってる連中はいなくて、みんなで歌歌ってるだけだと納得した」
「だったら、柄谷だけじゃなく、あいつら、みんなカラオケ教室にでも行った方がいいな」
「ああ、その通りだ。頑張って昭和歌謡を稽古するといい」
「昔は憲法なんて踏みにじって、天皇制打倒とか言ってたくせに、旗色が悪いとなると9条でございって、原則も何もない連中だ。何が「9条の会」だ」
「柄谷も含めて、めでたくやってりゃいいよ。もう邪魔ですらないんだからさ」



(毎日新聞2017年11月27日 東京朝刊)

2017年12月22日金曜日

一番腹減るのは何歳ぐらいかな???

僕は二十歳だった。 それがひとの一生でいちばん美しい年齢だなどとは誰にも言わせまい。
 というのは、フランスの作家ポール・ニザンの作品『アデン・アラビア』にある言葉だけど、この言葉に触れてわざわざ

人生でいちばん美しい二十歳

と言った人がいそうな気がする。

そうだね、せいぜい7番目だね

なんてのもありだね。

 ポール・ニザンはエマニュエル・トッドのお祖父さんだけど、ちゃんと読んだ人は少ないらしい。
 まあ、青春が美しいとかどうとか言われてもね、ただ若いってだけで美とかあんま関係ないからね。



2017年12月14日木曜日

あの日の後

 震災の後ちょっとして、獣医さんからパニックになった犬や猫への鎮静剤の投与で忙しいと聞いた。
 当日、一匹だけでマンションの留守番をしていた猫が、怖がってマンションにいたがらないので猫を連れて実家に帰った女性の話は、別の所で聞いた。
 その頃飼っていたウチの猫は平気だったので、あの時、人が一緒にいたからだろうという話になり、あんたでも役に立つことがあるんだねと、女房に妙な感心をされた。

 福島の原発が停止に失敗した事故で、あれだけの大地震で事故はたったの一件で、他の原発は無事停止して安全を示し、しかも、事故を起こした福島でもその程度はさほどでもなく安心したが、難癖をつけて騒ぐ連中はいるだろうな、嫌だなと思っていたら、やはり左翼と新興宗教が騒ぎはじめた。
 驚いたのは、その騒ぎが影響力を持ってしまった事だった。犬や猫も鎮静剤を必要としたのだから、パニックを起こした人たちが、闇雲な恐怖心から馬鹿げた行動に走ったのも自然かもしれない。その影響力までは測れなかったが、そういう事が起きるのは予想できたという意味でも、あたりまえの成り行きだったのだろう。

 脱原発は、原発事故への反応というよりも、震災のショックに根を持つように思えてしかたがない。脱原発は、観念的に科学を否定し、文明を否定する考え方で、それを選択したという事は、日本では、非常に偏った情報空間に生きる事を選択したのと同じ意味を持った。情弱というのは、そうした選択をした人たちと言ってもいいかもしれない。
 脱原発をしかけた左翼は、日本を否定し、北朝鮮や支那の味方をしたい人たちで、支那や北朝鮮の核兵器や原子力発電、科学や統制社会、言論弾圧、軍国主義などは肯定しているから、情弱層を作り出さなくては嘘が通用しない。情弱の罠は脱原発が入り口だったと言える。そして、そんな罠に引っかかってしまったのは、震災の恐怖と、あまりに大災害で錯乱していたからだ。犬や猫までがパニックに陥ったのは、その恐怖や錯乱が根源的だったからだ。
 でも、実際は文明の中でしか生存できないのだから、いつまでも恐怖という自然に縛られているわけにはいかない。時間はこっちの味方だよと歌う "Time is on my side" は、いい曲だなと改めて感じたりもする。




311、あの日に 5

 東日本大震災の日・・・

 家にいた。グラグラと揺れはじめた時、あ、地震が来たなと思った。いつもなら、その思ったあたりで揺れが収まるのだが、そこから激しかった。
 ドンと縦に揺れた後、グラグラと横揺れがあったように感じた。
 驚いて、テレビをつけた。それから、数日間、インターネットとテレビに釘付けになった。
 余震が断続的に続いた。落ち着かないと言ったらなかった。

 その頃、群馬県の館林という所で仕事をしていた。東武伊勢崎線で通っていたのだが、数日間、電車が不通になった。電話も通じない。毎日、何度も電話をかけ続けた。
 勤め先の事務の女性は、あの日の夜、ご夫婦で牛丼を食べに行ったら、もの凄い人でかなり並んだと言っていた。
 群馬あたりだと車で出る。揺れが続く中、人のいる場所に行きたかったのかもしれないと思って聞いていた。
 その後、ガソリンが値上がりしたのか、地元の人たちは、どこでガソリンが買えるといった話をしていた。

 電車や駅で、どこかに届けるのだろう、沢山のヘルメットをかかえている人を何人か見かけた。そんな人をぼんやり見ながら、ああした物も売り切れになっているだろうから、買える所で買って、必要な所に持って行くのかもしれないなどと思っていた。のんきなヤツだった。

311,あの日に 4

 東日本大震災の日、あるガス設備屋さんは・・・

 セミナーで品川の東京ガスにいた。
 揺れた後、屋上に避難するよう指示され、屋上に出た。
 高速道路が見えた。火を吹いている車がいた。
 その後、解散になり、仲間と駅に向かった。
 途中の商店街では、どの店も無料で通行人に飲み物を配るなどしていた。
 電車には乗れなかった。ホテルに行ったが満室だった。
 カラオケに飛び込んだら、運良く入れた。
 家族に電話をしようとしたが通じなかった。
 朝までテレビを見て過ごした。

 翌朝、かなり遠回りすれば帰れそうなので電車に乗った。



2017年12月13日水曜日

311、あの日に 3

 東日本大震災の日、ある主婦は・・・

 掃除をしに実家に行っていた。
 揺れた後、これは家に帰ろうと決めた。
 バス停に行った。若い男が一人いた。
 バスは来なかった。
 しかたなく歩いて家に向かった。
 途中、隅田川が逆流しているのを見て、怖かった。

 

311、あの日に 2

 東日本大震災の日、ある呉服屋さんは・・・

 最初の揺れがおさまってすぐに、とにかく食べ物を手に入れようとコンビニに行った。
 もう何もなかった。棚が空になっていた。
 電車が止まったというので車を出し、従業員を家に送り始めた。
 道路は混雑しており、ほとんど動かない場所も多かった。
 朝までかかってみんなを自宅に送り届けた。

 コンビニの棚が空っぽになった光景が忘れられない。



 

2017年12月12日火曜日

311、あの日に

 東日本大震災の日、牛丼屋さんで働いていた人は・・・

 交通機関が止まり、帰宅できなくなっていた。店は営業を続けていたので、そのまま働いていた。どんどん客が来て、しばらくすると食材が底をついた。
 店を閉め、従業員全員で別の店舗に移動した。
 その店にも客がつめかけていた。その店でも応援として接客した。
 また、食材がなくなった。再び、別の店に行った。
 こうして、小さな店舗から大きな店舗に向かって移動して行った。客は切れる事なく、どの店もいっぱいだった。
 朝まで働き、電車が動くようになったので帰宅した。

 ある店で、みんなに慕われているおばちゃんが、若い店員を心配して、食べ物を持って、自宅から店に自転車でかけつけたという話を後で聞いた。



2017年12月11日月曜日

科学が到達していない場所

 東日本大震災の衝撃から抜けられない知人が、除染が進んでいないと、その進行の遅さを嘆き、安倍首相を批難していた。
 その姿は、古くからの庶民の像そのものであり、ある種素朴でもあった。
 少しうんざりしながら、安倍政権が批判されるとしたら、非科学的で無意味な除染を続けている事だと思った。
 除染などやめ、さっさと安全宣言を出し、こんな問題ですらない問題を終わりにし、原発を再稼働させればいい。それが最良の方法だというのはわかっているはずだ。
 そうでないとしたら、延々と除染を続け、何十年も、いや、百年以上も無意味な作業を続ける事になる。いくら馬鹿げていても、行政はやるとなったらやるだろうが、やったからといって意味が発生するわけではない。
 日本の足を引っ張る事にだけ血道をあげる日共にかぶれてしまった人たちのために、馬鹿な事を放置する必要はない。さっさとケリをつけた方が彼らが熱病から覚めるのも早いのではないか・・・
 などと、そんな事をつらつら考えながら、この私の考えは知人とは正反対に見えるのだろうなと、その事実にいつも通り少し困りつつ、話が終わるのを待っていた。
 その日は、色々なものが終わるのを待っていた。
 その後に期待しているものがあったためだ。
 震災以来、こんな場面が多い。



2017年12月9日土曜日

政治に関心があるなんて、不幸なだけの話だ

 東日本大震災時の原発の停止中断事故で起きた事のひとつに、多くの人が感情によって政治的になり、日共や左翼(つまり、マルクス主義カルト)や宗教カルトの勢力拡大に簡単に加担してしまうという現象があった。
 言い方を変えれば、政治は感情によって動いてしまうという事だ。
 とりわけ、左翼は二言目には「怒り」を持ち出して人の感情を煽ろうとする。彼らの政治運動の中身は感情とグロテスクな進歩意識から出て来るものだ。
 感情に左右されるというのは政治のありようとしては原始的というか、野蛮な状態と言える。感情に左右されてしまうと、政治は簡単に暴力を呼び込む。感情的になって、暴力に流れてしまうわけだ。
 そこを越えて、政治に理性を据えるとする。これは見方を変えると、利害の問題となる。利害の調整を政治の役割とするのはこの段階にあたる。
 感情に左右される、原始的な政治のありようを、別の見方から見れば、理想主義的な政治ともなる。政治に理想の追求を求めるのは、利害を度外視する事にもつながる可能性がある。この場合、利害は理性だから、理性を振り捨てて感情のままに振る舞う事を政治に許す結果となる。
 理想主義の究極は神聖政治で、造物主たる神のためには、被造物たる人間の生命存在など無に等しい事になって、いくら人間が死のうとも神のためには惜しくなどない。これは一神教にとって当たり前の話であって、実際、歴史にあって何度も繰り返されて来た。
 現在では、聖戦などと言ってテロを繰り返しているイスラム過激派が理想主義的な政治を実行している。
 このように考えて行くと、理想主義的な政治よりも、せせこましく、汚れた利害の政治の方が理性的であり、よりまっとうだと見るしかない。
 多数の利害に沿った政治が行われるのが民主主義だとすれば、そこに民主主義のいい所がある。そこに、組合などを通じて、党派的な理想などを持ち込んで利害をそっちのけにする行為は、共産党や社民党によって行われて来たが、理性的に見れば、そうした行為は民主主義にとってのノイズでしかない。また、理性ではなく、理想=感情に左右されているという意味では、政治の反動的なありようでもある。

 信仰や理想は、個人の自由の範囲にあるべきもので、それが社会性を持つところまでは許容範囲になりうるが、政治との区別を見失うと有害だ。

 今のところ、政治は感情で動いているようなので、こんなものにつきあうほど根気のある人以外にはオススメできる代物ではない。興ざめするほど馬鹿馬鹿しいものだ。
 若い人は、政治などに興味を持たず、恋愛や遊びや趣味に力を注ぐのがまともだと思う。不満の毒を吐き散らす妙な人たちは避け、嫌だなと感じながら避けているのが、人生の積極性だ。


2017年12月8日金曜日

ジャズと演芸、あるいは、電撃戦と比島決戦、そして、朝鮮戦争


 イメルダ・メイからメイつながりで、ウナ・メイ・カーライルを思い出した。
Una Mae Carlisle という綴りだから、ユナと読む人もいるが、ウナでいいと思う。
1915年生まれで、1956年死亡だから、41歳という若さで亡くなった事になる。
10代の時から、ファッツ・ウォラーなんかに引き立てられて歌っていたらしい。作曲もするし、ピアノも弾く。でも、やはり歌が抜群にいい。とても個性的な歌唱で癖になる。
「Blitzkreig baby」(電撃戦の可愛子ちゃん?)という曲が最初に気に入ったが、ドイツ軍をからかった戦意高揚の曲なのだろうか、

電撃戦ベビー、あんたは私を爆撃できないわよ
 こっちの言い分は当たり前なんだから
こっちが銃をとったら、あんたは目の前からいなくなっちゃう
電撃戦ベビー、あんたは私を吹き飛ばせないわよ
電撃戦ベビー、かわいいね
 みんなあんたのパラシュートを着て、
さあ、政治宣伝しよう
電撃戦ベビー、あんたは私を爆撃できない
そうだとしたら、日本ならさしずめ「比島決戦の歌」みたいなものだ。
 また、この話になるが、東京コミックショーは、出し物にまぎれて将校クラブで米軍相手に「比島決戦の歌」を口ずさんでいたという。
「これ聞いてたあいつら、みんな朝鮮で死んじまった」
 ショパン猪狩はこんな風に言ってた。
 笑えるけど、悲しくて、戦後の薄暗さを感じる、何とも言えない瞬間だった。

 話はかなり外れてしまったけれど、ウナ・メイ・カーライル、いい音楽家だから、機会を作って聞いてください。スポティファイに入っていて、無料で聞けます。

「una mae carlisle」の画像検索結果

イメルダ・メイの "Life Love Flesh Blood" がいい

商品の詳細
 前から好きだった歌手イメルダ・メイの新作(2017)「Life Love Flesh Blood」が素晴らしい出来だ。日本語に直訳すると「生、愛、肉、血」となるタイトルだが、「生命、愛、身体、心」という感じに読めばいいのかな?
 歌唱力は抜群で、特徴のあるいい声で注目していた。ロカビリーなんかやってて、凄く可愛かったのが、もうお姉さんになってしまった。
 それでだろうか、声の特徴は少し引っ込んでしまって残念だが、歌唱力は深みが出てきた。曲もいい。
 何だか嬉しい作品だ。


2017年12月6日水曜日

不可能は誰に対しても平等であって、努力する人にもしない人にも同じく不可能だ

 例えば、政治がうまく行っていれば、誰でもがフーリエ解析を理解できるようになるといった事は起きない。まったく別の系に属する事柄だからだ。
 ならば、どうして政治に、例えば幸せを求めるのだろうか、幸福という主観的な価値観は個人的であり、政治がそれをどうこうできるなどありえない。
 政治的な問題があって、国民が政治的不平等下に置かれているといった不幸に陥っているのならば、例えば北朝鮮や、ソビエト崩壊前のロシア、東欧諸国、あるいは、大躍進や文化大革命時代、毛沢東指導下の支那などを想起すればいいと思うが、その場合はソビエト崩壊に匹敵する変化が必要だが、ソビエト崩壊がKGB(現FSB)という巨大政府秘密機関が計画立案実行した行動だったように、政治的不幸に陥った国家において、その不幸を解決する方法は、必ずしも民主的な方法、つまり選挙によって解決できるものではない。いや、政治的不幸の状態にもよるが、最もその解消を必要とする状態であればあるほど解決方法も解決能力も、国家内のどこにも存在しない可能性すらある。

 肥大化した社会保障制度、産業の国有化による不効率、既得権確保にのみ走る組合といった問題で「病人」と呼ばれたかつての英国は、民主的な選挙でマーガレット・サッチャーが政権についた事で解決の方向を見出したが、あれは西側先進国だから出来た事であって、そのまま世界に広げて一般化できるものではないだろう。せいぜい、日本にあてはめる事が出来るくらいかもしれない。
 英国病は、北海油田の成功で英国が産油国に転じた事で解決したとされるが、今の日本でなら、稼働していない原発を再稼働させる事で経済に大きなはずみをつけられる可能性が高い。

 まあ、政治に出来るのはせいぜいそこまでだ。政治は政治・経済問題に対処する以外の事は出来ない。利害の政治的調整だ。これがひとつの考え方。

 これとは別に、政治は理想を実現する手段だという考え方がある。
 社会問題をはじめ、様々な問題を政治的に解決しようという考え方だ。これは立法によって法規制を行うという方向になるだろう。

 政治を利害の調整サービスと考えるか、理想追求の手段と考えるかは大きな違いがある。小さな政府を目指す立場は利害の調整サービスの側になるだろうし、理想追求の側は大きな政府になる傾向がある。
 政治に理想追求など無理だから、政府は小さい方がいい。これは原則だと思える。例えば、社会的な問題を政治的に解決しようとするのは、例え目的が良かったとしても、あまりいいやり方とは考えられない。
 何故かと言うと、良い目的であっても、それを法律で社会に強制する事になるからだ。権力で社会を統制するという事だ。目的が良くても、そのやり方では目的の良さを損なってしまう可能性が高い。しかも、目的の達成は不十分な水準にとどまるだろう。

 大きな政府が国民を丸抱えして、何でもかんでも面倒見ますなんて、うまくいくわけがない。いや、それ以前に出来るわけがない。それは社会主義が失敗するのと同じ理由だ。
 そういう次第で、政府は小さくして、法規制は少なくし、何から何まで行政が面倒を見るなんてことは考えない方がいいんだけれど、ここで戦う気はないから、大きな政府が好きな人たちが失敗して行くのを止める事はしない。

 お互いに、死にそうでも、助けないでいようね。


婆さんは象徴ではないけど・・・

 つい先頃、女房が歩いていたら、ヨボヨボの婆さんが、両手に大きなスーパーの袋を持ってヨタヨタと進んでいたのが、ついに息が切れたか止まってしまったという。
 慌てて近寄り、声をかけると、
「あたしゃ人の世話になるのが嫌いだし、まだまだ大丈夫なんだよ」
 と意地を張っている。それでも荷物を持つと抵抗するわけでもないので二つの袋を持ったところ、後から来た若い男が、自分が持つと言って持ってくれた。
 そこで、女房は婆さんを支えて歩き出した。
 この婆さんはすぐ近くの四階建てのマンションの四階に住んでいた。四階建てというのはエレベータがないという事で、婆さんは両手に大荷物を持ち、階段を登るつもりでいたのである。
 そもそも、どうしてそんなに沢山買い込んでしまったのか、浅い疑問は次々と浮かんで来るが、婆さんの思い込みの前では、そのような疑問など消え去るのみ。ともかく、その場が無事におさまったのをよしとする他なかった。
 老婆は、まだ、自分は歩ける。天皇陛下と同じ歳だが、陛下がまだ頑張っていらっしゃるんだから、自分も平気なのだと、飛躍した論理を口走っていたという。

 今日、女房と乃木将軍は偉い人で、奥様の辞世の歌もいいなどと話をしているうちに、ふと、その婆さんを思い出した。
 陛下の退位の決意は、私たちにその存在を強く意識させた。陛下の御退位と婆さんのむやみな自立心が重なり、わたしたちをはさみこむ。

救いがあるような、ないような

 菊池寛が
「代数は役に立たなかった。世の中で役に立つのは小学校でやった算数だけだ」
 といったと、数学者の遠山啓が書いている。実に菊池寛らしい。
 遠山は面白いと感じ、苦笑いをしながら紹介しているのだが、こちらとしては、菊池寛は本当に馬鹿だなと、ガッカリしながら頭を抱えるしかない。遠山のような温かい目で菊池寛を見るだけの高みにはいないからだ。
 遠山よりは菊池寛にはるかに近い、低~いところにいるから余裕がないという事も大きい。
 という事で、実は自分にガッカリしているわけだが、今さらとりもどせるものでもない。それでも、
「世の中で役に立つのは小学校でやった算数だけだ」
 などとは言うまいと思う。
 そんな事を言う人は、代数などロクにやっていないに違いないし、算数だって、本当は怪しいものだからだ。
 数学をけなしても、自分が勉強をしなかった言い訳にはならない。勉強すべき時に勉強しなかったのは、怠惰だったからだと、いやでも認めるしかない。
 それで、自分の怠惰さを戒めるのが正しい道で、開き直って、怠惰を邁進するのは間違った道なのだが、ゆるく戒めて、時々、少し開き直る凡夫の道もない事はない。
 で、たいていは凡夫の道を歩むのかもしれない。