2018年1月31日水曜日

やはり生産性は低い気がする

 1日、手間な事をやっていて、明日も続けなければならない。いや、明日で終わってくれればいいなというのは願望だった。
 ここを抜けられると、少し楽になるのだけれど、まだ抜けられるかどうかわからない。
 何の話か、人にはわからないだろうけど、ただの愚痴だからつまびらかにはしない。



2018年1月30日火曜日

生産性の低い月曜日

 昨日夜更かししたので、今日は寝坊してしまった。
 生産性、極めて低し・・・

 京大の風車技術の先生が、電力会社の送電網について頓珍漢な事を言ったのを朝日が取り上げて話題になっているのを知る。朝日新聞はもう最初から救いようがないが、京大の先生もダメっぽい。ガンバレー、みたいな・・・

 ブレンダ・リーから始めて、タミー・ワイネットの「スタンド・バイ・ユア・マン」を聞いた。ワイネットの曲は、映画「ブルース・ブラザーズ」で、カントリー音楽をからかう場面で使われていた。映画のあれはカントリー・ミュージシャンの方が面白がったんじゃないかと思う。
 ワイネットはすごく好きな歌手だ。もちろん、ブレンダ・リーも大好き。昨日はダスティー・スプリングフィールドを聞いていた。「Only want to be with you」や「You don't have to say you love me」なんかだ。「You don't have to say you love me」は、プレスリーも取り上げたあの曲、「When I say I needed you~」と始まるヤツ。邦題は「この胸のときめき」だったっけ? 元はカンツォーネで、男性歌手が歌ってるから、エルヴィスが歌う方が正解かもしれない。でも、最初にスプリングフィールドで聞いたから印象が強い。
 スプリングフィールドは、ただのポップス歌手ではなくて、リズム・アンド・ブルースなんかもよく歌っていた。ああ、007の「Look of love」なんかも歌ってる。あれは凄くいい。邦題は「恋の面影」。バカラックの曲だ。バカラックって、あの人が音楽を手がけると、映画が豪華になる作曲家だった。もうそういう人はいない。

 この冬は寒くて、着るものが欲しいんだけど、ネットで探して、ちょっといいかなと思った服が、次の日にはサイズがなくなっている。もう考えてちゃ買えないみたいだ。寒いせいで、衣類が売れているのかもしれない。

 ああ、ダラダラと書いてたら、明日になってしまった。ええと、まだ29日の設定です。よろしく。



2018年1月28日日曜日

『「反原発」異論』を読んでいる

 吉本さんの『「反原発」異論』を読んでいる。長崎浩さんとの対談からはじまって、つい全部読んでしまっている。
 前書きを副島隆彦氏が書いているが、太田龍もどきのヘタな陰謀論よりも、はるかにいい事を書いている。感情的な人のようだから、自分を抑えて冷静に思考を進める事を学ばないとすぐに限界が来るんじゃないかと思うけど、ともかく、ここではいい所を見せてくれた。
 この本で、「反原発」の背景にあるマルクス主義が主題で、マルクス主義がダメだという認識は吉本さんも、長崎さんも同じだ。その上で、人類と科学の関わりをかなりの所まで、つまり、ここから先はないかもしれないという所まで考え、話している。
 全学連や全共闘は、長崎さんより猿に近かったんじゃないかな。

 吉本さんは、マルクス主義を否定するけど、マルクスは否定しない。
 ロシアで革命が起き、途中からのこのこと帰国したレーニンが、革命指導部に背後から襲いかかり、革命を乗っ取った後、マルクス主義は革命思想の主流となった。
 それまではアナーキズムが革命思想の主流であり、マルクスは知らない人の方が多かったし、マルクスを知る人には、マルクスを嫌う人の方が多かった。
 マルクスは、身勝手で頑固で偏屈で、人を見下していたから、嫌われて当然だったと思うが、異常なところがあり、人望のないマルクスが、思想的にも孤立していたのは性格的な問題ではなく、やはり思想的に魅力がなかったからだと思うのだが、吉本さんは、その、革命思想の主流になる前の変人マルクスさんの思想を評価している。
 その評価というのは見かけより大きな事だと感じるのだけれど、今は謎と言うしかない。ここで妙にわかったふりをすると、底の浅さがバレる気がする。
 ただ、革命以前のマルクスさんなら、福島を「フクシマ」と表記して、何もないのに何事かありそうな演出をするたぐいの連中や、わけのわからない反原発派を吉本さんと同じように「恐怖を組織する」者たちと否定しただろうという気もする。おそらく、もっと凄まじい罵詈雑言を投げつけただろう。

 マルクス主義など、もうどうでもいいものだが、科学の問題は興味深い。そこは、後で、吉本・長崎対談について考えてみる事にする。




2018年1月25日木曜日

長崎浩なんて、誰も読まないかも

 西部邁が自殺したというので、ああ、ブントがまた一人死んだなと思ったら、長崎浩を思い出した。久しぶりに読んでみようと思い、吉本隆明の『「反原発」異論』を読み直しはじめた。それと『乱世の政治論 愚管抄を読む』も読んでみようと思っている。



2018年1月23日火曜日

今日は朝から雪かき

 Eva Cassidy と Chuck Brown のデュエットを聞く。やはりいい歌手だ。
 チャック・ブラウンも歌上手いけど、エヴァも負けていない。それに、2人とも歌の解釈が高度で重層的な音楽を作り出す人たちだ。そんな事もあって、いい共演になっている。
 朝から雪かきで節々が痛むところを、楽にしてくれて感謝した。



アルバム名:
The Other Side

曲名:
    Let The Good Times Roll
    Fever
    You Don't Know Me
    I Could Have Told You So
    Gee baby, Ain't Good To You
    I'll Go Crazy
    You Don't Know What Love Is
    Drown In My Own Tears
    God Blues The Child
    Red Top
    Dark End Of The Street
    The Shadow Of Your Smile
    Over The Rainbow
    You're Changed


2018年1月20日土曜日

看護婦、いや、もとい、看護師

「看護婦と女房、どっちがいい?」
「考えるまでもなく、答えは決まっている。いや、これは先に答えの決まっている質問で、誘導尋問だ」





条約

「誰か、韓国は約束なんか守らないぞって、北朝鮮に教えてやれよ」
「大丈夫だろ。北が守るわけじゃないから」



フィンちゃん、またね

 ICANという、通信講座みたいな名前の団体のフィンさん、日本に来たけど、ウチの方でも前に佐藤栄作という人が同じ平和賞もらったんですよ。ええ、それで、日本は基本的にはその政策を受け継いでね、ここまでやって来たんです。はい。
 基本的にというのは、大体、自民党政権だという意味です。時々、間違って左翼が政権につきますがね、それが無能だし馬鹿ばかりで困ったもんなんです。おや、愚痴になってしまいましたね。
 とにかく、お互いに平和を望む者同士、また、ノーベル平和賞をもらった者と、その後輩という間柄です。仲良くしましょう。これからはフィンちゃんと呼ばせていただきます。
 あ、もうお帰りですか。それでは、さようなら。



2018年1月19日金曜日

頑張っても無駄かも・・・

 差別はどこの国、地域にもあるが、そのように一般化しないで言うならば、旧社会主義圏には、古い型の差別が強く固定されていた。これは統治のために意図的に放置したのかもしれないし、社会主義では差別などないという事にしてしまったために無理やり無いフリを続けたため、かえって酷い形で野放しになっていたのかもしれない、もしかしたら、近隣への侵略的な意図があって、軍事行動への共感を醸成するために政治的に差別の固定を計っていたなんて事もありえる。
 もちろん、各国の共産党の考えはソビエト・ロシアの共産党が、このように考えろと指示した通りの統制された思考だったので、ソ連には差別などないという隠蔽に、世界中の共産党が協力した。こうした画一性、宣伝を事実の上に置く党派的思考、嘘と隠蔽は共産党の体質と言っていい。その意味で、新左翼も共産党と同じ体質だったから、彼らの存在にたいした意味はなかった。
 そういう次第で、共産主義には差別が組み込まれている。
 現在、支那や北朝鮮では強い差別意識が政治的に醸成されていると考えていい。
 日本で言うなら、デタラメな反原発のために福島や福島の人々の差別を作り出したのは、それに近い人々を含めて、共産主義のやり口そのものだった。

 さて、もっと一般的な差別、誤解を恐れずに言うならば「自然」な差別(やはり少し恐れて言葉を足そう。差別する事が自然というのではなくて、どこにでもあるようなものとして歴史的に一定に定着した差別)は、相対的なものであり、流動的なものでもある。
 これは差別が社会的なものだからそうなる。何となく差別が普及し、何となく続く。常識というか、空気というか、コードというか、サブカルチャーというか、そういうものとしてある差別だ。
 こういうものを扱うのは難しい。どうしてかというと、よくわからないからだ。
 いつ始まったのか、なぜなのか、なぜなくならないのか、あるいは、なぜなくなるのか、全部わからない。色々と説明はあるが、これといったものはない。
 酷いのになると、日本人は差別が好きな、差別的だからだという乱暴な話まであった。これは支那の事例を出せばすぐに粉々になってしまう阿呆な言説で、左翼らしい、まったく話にならないしろものだった。そんな事で差別がなくなるなら誰も苦労はしないよ。苦労を知らない人は物事を台無しにするもんだな。
 なぜわからないかというと、ひとつには、差別をなくす事に性急で、そのための議論として語られるばかりという事情もあった。その型の議論だと、結論が先に決まっているようなものだから、発展などする余地はなかった。
 差別をなくそうという党派性が、かえって議論の深化を阻害したわけだ。
 また、問題が問題なだけに、今、そこにいる人が傷ついてしまう可能性があり、とりあつかいに神経を使わなければならない。そういう事も含めて、面倒臭いし、近寄らないのが一番だという、当然の判断があって問題が放置されたという事もある。
 差別は社会的なものだが、社会運動によってなくせるものかどうかはわからない。多くの人が、差別は嫌だな、なくなるといいなと思っているが、すぐにはなくならない。それは差別が無意識のものでもあるからだろうと思える。
 無意識と言えば、「差別は悪い事だ」と思う人がいるとする。これはあたりまえの話だ。そして、「悪い事だから、自分はしない」と考えるとする。これも気持ちとしては理解できる。だが、「だから、自分はしていない」と思い込むようになると、待てよ、浅すぎるだろうと言うしかなくなる。
 教員なんかにも、こういう人はよくいるが、社会運動をやっている人にも、この手がいる。無意識という事がわかってない。あまりにも簡単に考えている。で、それはソ連の嘘と一緒の運命をたどる。その人が意識せずに差別していた場合、それをなくすのは大変な骨折りになる。まず、ないはずのものがあるという所から始めなければならないのだ。こういう人によって、ゴールは余計に遠くなってしまう。
 文化を歌舞音曲だなどととらえていたら大間違いだ。階層的に歌舞音曲となって表出もするが、文化というのは、その社会なり共同体の成員の無意識としてある共通の感覚のようなものと、とりあえず比喩的にしか指し示せないもののようだ。
 差別は、かなりいい加減なものだが、意図的になくす事が出来るかどうかはわからない。そういうものだと考えるしかなさそうだ。
 だから、ほかの社会問題と同じく、政治的に、つまり、力で解決しようとしても効果は見込めない。社会問題を解決すると触れ込むたぐいの政治家は絶対に認めないだろうが、政治の効果は極めて限定的だ(政治に過大な期待をするのは後進性の現れだから、そろそろやめるべきだというのは、こういう理由だ。しかも、過大な期待を温存する後進性は、同時に利権などが絡む場所でもある)。しかも、日本では、共産党系、社民党系、新旧民進党系の政治家や活動家が生産的な結果をもたす能力がない事ははっきししている。
つまり、リベラルと目される人々にはほぼ何もできない。
 だが、本質的にあまり関係ない、そうした動向とは別のところで、今ある差別は、いつか、いつの間にか、何となく、よくわからない形で消滅するのではないかと思う。ひどく時間がかかるという大きな欠点はあるにしても、問題はこの形でしか解決しないのではないかと思える。



2018年1月18日木曜日

ジョン・オーツに舌を巻く

 John Oates の Bluesville Sessions を聞いて、完璧と言える出来栄えに舌を巻いた。ホール・アンド・オーツは好きなグループではあったが、それほど気にした事はなかった。若くはなくなってもハードロックばかり好きだったせいだと思う。
 それが、Bluesvills Sessions というアルバムタイトルに惹かれて聞いてみたら、負けた。
 Serchin' こう来るかぁ・・・All Shook Up 、来たぁ・・・
 解釈が面白くていいし、演奏力に問題があるはずはないし、凄いと言うしかない。
 で、つい、エルビスの All Shook Up 聞いて、やっぱ凄いと、もう一度尊敬したりした。

 ホール・アンド・オーツ、気にしてなかったって、俺、やっぱ、しみじみ浅かった・・・


アルバム名:
Bluesville Sessions

 曲名:
 Mississippi Mile
 Searchin'
 Come Back Baby
 It's Alright
 All Shook Up
 Please Send Me Someone To Love
 Something You Got
 Deep River
 Sittin' On Top Of The World
 He Was A Friend Of Mine
 Dance Hall Girls
 Maneater

嫌な感じ

 黒塗りで物議をかもし、ダウンタウンは美味しい思いをしているけど、騒いでる人たちは、文化的文脈を理解していない感じがあるな、おやおやといったところから、段々とおかしくなって来て、硬直した普遍主義を振り回し抑圧的に振る舞いはじめているように見える。
 そういうのは嫌な感じしかないなぁ・・・





いくつかの記事を追記しました

 ここのところのアップで、バンドの事を書いてましたが、バンド名だけじゃ素っ気なさすぎるので、アルバム名と曲名を追加しました。



The Jive Aces

アルバム名:
 Amazing Adventure
 It's Skiffle Time
 King of the Swingers


 :It's Skiffle Time
  曲名:
  Mama Don't Allow
  Uklele Swing
  I'm Satisfied With My Gal
  Mr. Sandman
  Get Me to the Church On Time



Earl Seratte & The Blues Kings

アルバム名:
 Verite

  曲名:
  Why Don't You Love Me
  She Walks Right In
  Walkin' In Your Sleep
  That Girl
  Complicated
  4:59 In The Morning
  Just A Little Bit
  Bendin' Like A Willow Tree
  Walking By Myself
  Keep On Movin'
  Don't Drink The Water



The Dixie Tabernacle

アルバム名:
 Nashville Swamp

  曲名:
  Sixty Five Days
  Taht Aint Right
  Aint Living Long Like This
  Supply and Demand
  Shake a Log Mama
  Something Else I Don't Need
  Creeper (a True Story)
  Waiting On You
  North Little Rock Blues
  It Was All a Lie
  The Long Goodbye




2018年1月17日水曜日

The Jive Aces もいいよ

  T Rex 以後の英国の音楽はあまり聞かないのだけれど、もちろん、いくつかの例外はあって、The Jive Aces はよく聞く。何だか、ポピュラー音楽の老人市場にぴったりはまってる気がするけど、しかたがない。ウインウッドとクラプトンのマディソンスクエア・ガーデンのライブを聞いて、ああ、ブラインド・フェイスよりいいかもなんて感想を持つんだから、マーケターの狙い通りに反応しているのは確かなんで、どうしようもない。
 で、The Jive Aces もいいよ。



以下のアルバムを聞きました。(2018/1/18 追加)
アルバム名:
Amazing Adventure
It's Skiffle Time
King of the Swingers

曲名が多くなるので、曲数が少ない、そして、「時間通りに俺を教会に連れて行ってくれ」という、大好きな曲が入っているという2つの理由で It's Skiffle Time というアルバムの曲だけを紹介します。「Get Me to the Church On Time」は「マイ・フェア・レディ」というミュージカルの中の曲です。

Mama Don't Allow
Uklele Swing
I'm Satisfied With My Gal
Mr. Sandman
Get Me to the Church On Time

2018年1月16日火曜日

Earl Seratte & The Blues Kings いいよ



 Earl Seratte & The Blues Kings。
 名前の通りブルースバンドで、昔風に言うならブルーアイド・ブルースとなるのかな? ポリコレだとどう言うか知らない。要するに白人バンド。いいです。

以下のアルバムを聞きました。(2018/1/18 追加)
アルバム名:
Verite
曲名:
Why Don't You Love Me
She Walks Right In
Walkin' In Your Sleep
That Girl
Complicated
4:59 In The Morning
Just A Little Bit
Bendin' Like A Willow Tree
Walking By Myself
Keep On Movin'
Don't Drink The Water





2018年1月15日月曜日

The Dixie Tabernacle がいい

 The Dixie Tabernacle というバンドがとてもいいのだけれど、CDが売られていない。スポティファイにも登録がない・・・バンド名は、南部の幕屋という意味になるのだろうか、音楽は、おそらくスワンプ・ロックというのだろう、素敵なブルース・ロックだ。


以下のアルバムを聞きました。(2018/1/18 追加)

アルバム名:
Nashville Swamp

曲名:
Sixty Five Days
Taht Aint Right
Aint Living Long Like This
Supply and Demand
Shake a Log Mama
Something Else I Don't Need
Creeper (a True Story)
Waiting On You
North Little Rock Blues
It Was All a Lie
The Long Goodbye

2018年1月11日木曜日

しかたがない。来るなら戦おう

 北朝鮮か支那が(もしかしたらロシアもかな)日本を攻撃し、攻め込んで来たら降伏するとか、逃げるとか言っている人がいるようだ。考えてみよう。

 北朝鮮、支那、ロシアの軍隊の場合、略奪、強姦、虐殺といった事が行われる可能性が極めて高い。おそらく、やると考えておくべきだ。また、降伏を受け入れず、攻撃を行う可能性もわりとある。ロシアなどは、シリアでの行動をリファレンスすると、非戦闘員と戦闘員の区別はしない。
 つまり、降伏すれば、運良くそれが受け入れられた場合でも、略奪、強姦、虐殺の憂き目にあう。女性や子供の場合、さらに人身売買の商品にされる可能性がある事もつけくわえておく。

 つまり、降伏するよりは戦う方が生き延びる確率は高い。

 次に、逃げるという選択だが、戦う事に退却は含まれているのでそこは除外して、ただ逃げるという選択を考える。
 いつ逃げるかによるが、攻め込まれた時点で逃げる事を選択したとすると、相当な資金を持っていなければ逃げられないだろう。円が下落していた場合、別の通貨か金、あるいはダイヤモンドといった物が必要になる。
 つまり、金があるなら逃亡は選択肢になりえる。
 で、飛行機に乗れた場合はいいかもしれないが、船しかなかった場合、太平洋横断をしなければならない。翻訳でいいからレヴィ・ストロースの『悲しき熱帯』の最初の方を読むと、たかが大西洋を渡ってアメリカに行くだけで大変な思いをしている。船は考えない方がいい。
 さて、飛行機で逃げられる人は逃げればいいが、おそらく庶民は飛行機に乗れないだろう。つまり、逃亡という選択肢は狭き門なのでこっちが選択しても、弾かれてしまう可能性が高い。

 生き延びたければ戦うしかない。
 これは好戦的とか違うとか、そういう問題ではない。選択の余地などないという事だ。
 危機になると韓国の金持ちは子供をアメリカに留学させるという。北朝鮮軍の虐殺を恐れての事だろう。
 今の危機を危機と感じ、選択できるうちに逃亡を選択したいなら、日本で発言などしていないで、さっさとどこかに行ってしまう事だ。
 日本にいて、逃げるだの降伏するだのと言っているのは、結局、意匠でしかない(ここで、意匠はかつての小林秀雄と同じ意味あいで言っている)。

 危機管理とは、今のうちに逃げてしまうといった事で、結果として危機が発生しなくても管理は成功したとなる。何かが起きてからドタバタともみ消しをはかるようなのは危機管理と言わない。何も起きないように、あらかじめ手配りをしておくのが危機管理であって、なかった事にするのではない。
 昔風に言うと、そこんとこよろしく。



2018年1月10日水曜日

北朝鮮選手団、素直にドーピング検査受けるかね

 平昌オリンピックに参加を巡って韓国と北朝鮮が会談やってるけど、あれってオリンピックと政治が一緒くただよな。
 まあ、構わないんだけどね。

 しかし、もう、韓国ってどうでもいいね。関わり合いにならない方がいいだけだね。



2018年1月8日月曜日

最近は放っておくんだけどね

 探検隊を捕まえた人食い人種が、探検隊を煮る鍋をかけた焚き火の周りで、槍を持って踊ってるのって好きだ。探検隊は、たいていイギリス人かフランス人だが、どちらが食通をうならせたかの記録は見た事がない。人食い人種のレポーターの女が、一口食ってすぐに「うーん」と無理に声を出し、「フランス人はまったりとしたコクがありますね」とか「英国人は食感ですね。とても歯ごたえがあります」とかやると、今のテレビになる。
 ところで、日本に一番近い人食いの食文化って、支那のものなんだよね。
 多文化って言うけど、この食文化も多様性に入るのかな?
 表面つら物分りの良さそうな顔してる奴ら、食われてもいいな。
 つまり、多様性なんか認めない人たちを、多様性の名で認めるというのは、矛盾でしかないけど、その矛盾を指摘する事を頑迷さの現れとして退けるのは知的な荒廃だという事で、つい、馬鹿は引っ込んでやがれと言ったりしてしまうが、それは一見上品そうなみかけで知的荒廃というか、知的認知症というか、薄らボケを誤魔化すのが見てられないからだ。
 これは多文化主義に限った事ではない。

些細な話なのだが

 お湯にうまいまずいがある。
 電子レンジで沸かしたお湯はまずい。
 電気ケトルのお湯もまずい。
 ガス台で沸かしたお湯はうまい。

 お茶やコーヒーを入れる時にはガス台で沸かしたお湯の方がおいしい。
 電気ケトル屋さんは、ただ水を高温にするだけでなく、おいしく沸かす機能を工夫したらいいと思う。



2018年1月6日土曜日

本質を欠く礼を何と表現するのだろうか?

` 池坊の膿婆ァが「礼」を欠いていると貴乃花を批難したそうだ。
 さて、どうだろうか?
 暴行があった。これは刑事事件だ。相撲協会の内規よりも法が優先されるべき事態だ。貴乃花は規範通りに行動した。
 貴乃花には、相撲協会に対する不審があった。暴行事件をうやむやにされてしまう危惧があった。そこで協会の手を触れさせない方向に持って行った。
 おかげで、私たちはその後の成り行きをかなり知る事が出来た。
 ここは強調しておきたい。貴乃花がああした行動に出なければ、事件そのものがなかった事にされた可能性すらあるからだ。
 そして、事態の推移から、相撲協会、危機管理委員会、そして、評議員会といったものが、気味悪く癒着している臭いを嗅いだ。
 貴乃花に対する処分は、貴乃花の危惧が当たっていた事を証明したと言える。

 池坊膿婆ァは、貴乃花が八角理事長からの電話に応答しなかった事を「著しく礼を欠いている」としているが、貴乃花はやり取りをすべて文書で行う事として証拠を残し、後で言った言わないの泥仕合になる事を避けた。
 貴乃花は相撲協会に不審を持っており、その不審を理由として危機管理委員会による弟子の聴取に応じない姿勢をとった。つまり対立があったわけだ。
 対立を前提としているのだから、貴乃花の行動は礼にかなっている。証拠の残らない所で脅しでもかけようとしたのか、安易に電話をかけてくる八角の方が礼を失しているのだ。
 また、大きく、貴乃花の行動は相撲に対する礼から一分も外れていない。それに比べて、相撲協会、危機管理委員会(しかし、笑わせる名称だ)、評議員会には、無理を通して道理を引っ込ませてでも現状を維持しようという欲があるだけだった。「礼」などとよくもまあ言ってのけたものだ。

 池坊膿子の言う「礼」というのは、形骸化して中身のない、その本質とは正反対で誠のないシロモノでしかない。
 何かね、池坊の流儀ってのは礼なんかどうでもいいのかね? たいしたもんだね。




2018年1月4日木曜日

池坊の糞ババァ、ウミを出すって、てめえが膿だぞ

 日馬富士の暴行事件から始まった相撲協会の騒動、貴乃花親方を理事解任したけど、相撲協会、腐りきってる感じがする。
 それと、危機管理委員会、何だか薄汚い。おまけに、あの池坊の婆ァ、ありゃとことん糞ババァだな。
 何だか、大好きな相撲、嫌いになっちゃって来たな。



四文字言葉 マルクス

 マルクス主義を信じる人たちは、1989年に最後のチャンスを得た。これはソビエト・ロシア崩壊おめでとうの200%引きバーゲンと言うべき大サービスだった。だが、それで反省し、マルクス主義を捨てなかった人たちがいた。検証能力がなく、また怠惰、かつ鈍感、あるいは単に頭がおかしかったのだろう。
 ソビエト・ロシアでも、支那でも、東欧でも、北朝鮮でも、マルクス主義が人に強制と暴力と死と不幸をもたらす厄災であり、しかも、それが好転する見込みはまったくないという事実は明らかだったのに、何も感じない人たちがいた。
 マルクス主義とその影響下にとどまった人はまったくの馬鹿か、人類に害を及ぼしたい悪意の人か、とにかく異常者だと判断する以外にない。
 マルクス主義は出来もしない事を出来ると思い込み、あげくに失敗に失敗を重ね、歴史を後退させ続けた。マルクス主義を信じる人、何となくいいと思っている人たち、つまり、そのシンパもふくめた左翼は、今にいたるもせっせと人類の足を引っ張ろうとしている。まったくタチが悪い。
 まあ、それ以外、マルクス主義に出る幕はないのだから自然の成り行きではあるが、邪魔だし、困ったものだが、社会主義国ではないので、収容所に入れたり、殺してしまったりするわけにはいかないので、困り続けるしかないのだろう。
 今、日本で停滞していたり、形式主義だったり、不効率だったり、統制的だったり、風通しが悪いのは、左翼が浸透した部分だ。役所などにはけっこういる。
 そういう部分を見て、それを「日本的」だとか、「社会主義」だとか言う人がいる。
「社会主義」であるのは、左翼が浸透した部分だからその通りなのだが、それを「日本的」だと言うのは誤解だ。それはシロアリの巣を見て、それを家だと思うのと同じだからだ。
 シロアリの巣などどしどし駆除した方がいいのだが、シロアリというのは例えで、本当は人間なので乱暴は出来ない。まったくやっかいなのだ。
 ここでは、投票による多数決という民主主義を毛嫌いするくせに、「民主的」とだけはやたらと口にするリベラルや、過去にしがみつき、現在に背を向ける「進歩派」などもふくめて、左翼をマルクス主義に入れた上で言うが、少なくとも日本では、「マルクス」は四文字言葉だ。

2018年1月2日火曜日

small talk:2017年を振り返って

「めずらしく去年一年を振り返ってみた」
「そろそろお迎えが近いか・・・で、どうだった」
「一番感じるところがあったのは内山高志の引退だった」
「ボクシング選手だな」
「そうだ。長い間チャンピオンだったが、先一昨年(2015)、ジェスレル・コラレスというパナマの選手に負け、一昨(2016)年の再戦でも勝てず、去年(2017)に引退した」
「確か、そのコラレスという選手、一度計量に失敗するとか、この体たらくで大丈夫なのかという印象だったな」
「そうだ。だからまさか内山が負けるなんて誰も想定していなかった。内山はボクサーとして最高峰に立っていると誰もが感じていた。それまでの試合内容がずば抜けていたんだよ」
「コラレスとは格が違うと思っていたわけか」
「まさしくそうだ。だから負けた時、何が起きたのか、まったくわからなかった」
「それで、続けて同じ相手と再試合したんだな」
「再試合については、チャンピオンが挑戦者の国に来て試合をしたという点でコラレスは賞賛されていいと思う」
「何だか頼りないだけじゃなくて、いいところもあったわけだな。で、試合は」
「うん・・・コラレスは逃げ回るんだよ。内山がそれを追う。何も知らずに見ていたら、内山がチャンピオンだと思っても不思議ではないという内容だった」
「だが、追い詰めきれなかったのか」
「おそらく、追い詰めたと思った瞬間、相手の術中にはまっているという感じになるような相手だったんだと思う。内山もうかつには飛び込めなかったんだろう」
「逃げているのか誘っているのかわからないわけだ」
「俺たちからすればチャンピオンらしくない戦い方だが、あっさりと否定されてしまったね」
「弱い選手というわけではないんだろ」
「当然だ。今はもうチャンピオンではないが、内山以外にも防衛している」
「だが、横綱相撲ではなく、実を取る戦い方をするわけか」
「そうだ。例えて言えば、内山は最強の正規軍でコラレスは中南米のゲリラだった」
「非対称戦だな。正規軍が苦手とするのが対ゲリラ戦と言われている」
「それだ。内山は、前にも妙な戦い方をするフィリピンの選手相手に手を焼いた」
「聞いていると、本来なら避けるべき相手と戦ってしまったように思えるね。戦略的な過ちだ」
「どうしてもやらなければならないなら、勝てる戦術を取るべきだったという事か」
「ああ、一本調子だったんじゃないのか」
「戦略がなく、戦術的に柔軟性に欠けるというのは日本の問題とされる所だな」
「日本はオペレーション・リサーチでもかなり遅れを取っているからね」
「内山の引退とそういう事がつながっているという事か」
「うーん・・・かつての三矢研究で想定された事態が現実味を帯びて来たんで、話がそう流れたとも言えるし、どうかはわからないが、考えてみても無駄ではない所だとは言えそうだ」
「ともかく、大晦日に内山の試合がないというのは寂しいものだったよ。超一流の選手の引き締まった試合で一年を締めくくるのはいいものだった」