2021年11月30日火曜日

「陰謀」は都市伝説にすぎないが、もしかしたら、アレは・・・

 キリスト教、イスラム教はユダヤ教の分派だが、反ユダヤのユダヤ人マルクスの共産主義も、ユダヤ教から派生したカルト教団と見た方が現実に即しているかもしれない。ポール・ジョンソンの『ユダヤ人の歴史』によれば、プラトンもユダヤ教の剽窃だそうだが、そこは判断する能力を持たない。ただ、中世キリスト教のプラトン主義の展開は、ユダヤ神秘主義のキリスト教への浸透と無関係ではないかもしれないと想像してみたりする。

 キリスト教の千年王国は実現しないからまだいい。マルクス教団カルトの「革命」はロシアで実現してしまったため、惨めで陰惨な厄災となった。ソ連崩壊でその失敗がある程度明らかになったけれど、おそらく、本当のところは私たちが知っていることよりも酷い。しかも、失敗している国家は他にも不必要に多くあるし、さらに、マルクス主義カルトに洗脳されたままの連中までいる。

 ロシア革命後のレーニン=スターリン系マルクス主義カルトは、東欧、アジア、南米で失敗と悲惨を繰り返している。その大まかな所は一部なりと把握できる。だが、もうひとつの系譜であるロシア革命前からあるヨーロッパ貴族のマルクス主義カルトの動向はほとんどわからない。

 フランス革命でブルボン家を倒したフランス貴族たちは、今でも100家族がフランスの富を独占し、君臨している。西欧諸国のこうした貴族たちは、今はEUの行政官の地位に納まっている。この貴族たちの中にマルクス主義カルトが入り込んでいるかもしれない。アメリカのブラック・パンサー党との戦いの中からイルミナティ陰謀論を蘇らせたラビ・マービン・アンテルマンによれば、イルミナティは共産党だが、共産党の陰謀性とカルト性がイルミナティ像と重なるのは、アンテルマンが共産党をイルミナティと呼んだからかもしれない。

 カール・マルクスとも交友のあったユダヤ系ドイツ人のハイネは、確か『歌の本』の中で、ドミニコ会を想わせる強硬派の異端狩り修道会が、実はギリシアの異神を祀る集団だったという話を書いている。これが事実なのか、どこかで聞いた噂なのか、創作なのかわからないが、この話は、ユダヤ的であると同時にキリスト教的なイマジネーションであるように受け取れる。余談だが、ハイネがユダヤ人を毛嫌いしたルターに帰依したのは、ルターがユダヤ教神秘主義に血道を上げていたカトリックを批判したからかもしれないとちょっと思ってみたりするが、まあ、本当のところはわからない。

 イルミナティは、カトリック保守派との内部抗争でテロ活動を展開したイエズス会がカトリックを追放され、英国とロシアに逃げ込んでいた時期の地下活動のひとつだったようにも思えるが、とにかく、騒ぎ立てて商売をしたい人は大げさにしたがるだけの事のようだ。秘密結社の陰謀が、陰謀論者の主張するように着々と成功していたら、今頃、世界は北朝鮮のようになっている。

 大体、色々な陰謀の費用を考えてみるといい。地震兵器が使う電力の供給を考えてみるといい。考える力の乏しい人が、行き詰まって言い出すのが「陰謀」でしかない事がすぐにわかる。「陰謀」など都市伝説でしかない。

 ただ、ヨーロッパの貴族マルクス主義カルトが存続しているとしたら、フェミニズム、環境派、LGBTといった運動は、そのサブブランドと考えることはできるかもしれない。


2021年11月28日日曜日

身も蓋もなさと幻想の写像としての歴史

人間の美男子・美女は、ひっつめて言うと生命力を感じさせる人だろう。

生物にとって子孫を残す事は至上命令だから、子孫を残す確率を高められる相手を求めるのは当然だ。生殖し、繁殖するための選択だ。だから繁殖力のありそうな個体が「美」となる。

陽気な人が好まれるのも、身体能力の高い人が好まれるのも、同じ理由だ。

繁殖力が強く、丈夫なメスは美女という事だ。繁殖させる力が強く、丈夫なオスは美男子となる。

これが基本で、この基本に色々と注文がつくというか、バリエーションが出来て美男美女も様々となって行く。これが文化文明の基本で、これにそって歴史が発展して来た。

で、それが行き過ぎると不健康になり、繁殖という主目的から外れてしまうのも出て来るようだが、生命力=美という基本は変わらないし、変わりようがない。

共同体にとっても、この基本は共通していて、繁殖し、個体数が増える事で共同体が大きく、強くなるのを志向する。そのために他の共同体と争いになる場合は、戦わなくてはならない。これは善悪の問題ではない。

戦えば死者が出る。女は繁殖のために必要で命が惜しいから、男を戦士にする。こちらの命はそれほど惜しくない。別に女が弱くて男が強いからではなくて、種の維持という最重要の主題に照らしての役割によってそこは分かれる。

共同体は成員の生命の維持=子孫繁栄のための器だが、個々の成員の子孫が残らなくても、全体として繁栄すればいいし、繁殖すれば補充も出来るので、男が多少死んでも問題はない。

原始時代から、古代、いや、かなり近い時代まで、そういう身も蓋もない事情は変わらなかっただろうから、その事情を無視していい悪いをあげつらってみても意味はない。それ以上に、一部の者たちが共有している、薄っぺらな思いつきの価値判断を無造作に振り回しても健全性が壊れるだけだ。

歴史は歴史自身の速度で進む。それを早める事にも、止める事にも、成功した者はいない。自分はそれをやってのけるなどと、思い上がってはいけない。不可能はある。

来たるべき未来に取り残されているのは、今、自分は新しいなどとのぼせている者たちだろう。それは繰り返されて来た。


2021年11月23日火曜日

フェミニズム ー カラ騒ぎの終焉

フェミニズムには、何だかトンチンカンだなと思うところがあったり、すぐに仲違いするんだなと呆れるところがあったり、上野千鶴子のような幼稚なのをいつまで代表面させとくんだろうと不思議だったりして来たたが、基本的には威厳を感じて来た。だが、連続強姦魔広河隆一の犯罪に対して曖昧な態度をとって来たのが明らかになった事で、見切りをつける事にした。社会運動としてのフェミニズムは、本質的に自壊したと思う。

広河隆一は親パレスチナ派で、言ってみれば国際派左翼の筆頭といった位置にいた人物だったかと思う。フェミニズム運動の活動家や支持者は、卑劣な性暴力被害者よりも、左翼著名人の対面を重視した。それは、フェミニズム運動が、女性の権利を掲げながらも、実際は左翼運動の道具のひとつにすぎなかったためだとしか考えられない。原則を逸脱して、党派性に走ってしまったわけだ。

イタリアのロレッタ・ナポリオニが、著書「テロ・インク(テロ株式会社)」の中で、親パレスチナ派はPLOの腐敗を隠蔽したと批判しているが、広河はそういう批判を受けねばならない側の一人だろう。広河は事実を報道するジャーナリストではなく、親パレスチナ、親ソ連という党派性のジャーナリストだった。

広河をめぐっては、左翼性による隠蔽の連鎖しか見えない。フェミニズムは、隠蔽に加担した事で、自らの基盤を裏切った事になる。女性一般ではなくて、左翼女性(の中の、自分の党派性の内側の女性)の運動でしかなく、そこから半歩も出なかった。

それでも、反省するでもなく、フェミニズム活動家や指導者たちは、元気に日本叩き、自民党叩きに邁進している。とりわけ、最近は環境派と一緒になって(左翼だからね)文明を窮屈な所に押し込めようとしている。物凄く空虚に頑張っていて迷惑だ。このザマで、フェミニズムが女性のためになどなるわけがないと思う。

フェミニズムも、環境派も、掲げている内容とはまったく別物で、やっているのは奇矯な人か奇特(一応、わからない人もいそうなので皮肉だと、記述的に注記しておきます)な人ばかりで、世の中の進歩の役になど立たない事がバレて来ているから、これから終わっていくだろう。もう伸び代はない。


まあ、世界的にはマネジメントのうまい人達がいるから、お金を回して、存続して行くんだと思うけど、人の使い方がけっこうブラックな滅私奉公だし、マネジメントなんかもできない日本だと、小集団が点在し、細々とやって行く、宗教的な姿になるとしか思えない。


フェミニズムって、左翼やリベラル(偽装左翼)しかいない所が、まず嘘だよ。


思えば、「Me Too」騒ぎって、中ピ連の焼き直しだったな。(わからない人は、お年寄りに聞いてみよう。検索した方が早いだろうけど)。


もう、ジェンダーがどうしたとか、くだらない妄説など気にしない。フェミニズムのおしゃべりは空っぽすぎる。ジェンダー論は性を社会的問題にするためのファンクションのつもりなんだろうけどね。


「男は敵だ」と自分たちで(感情的に)規定しておいて、その後で「どうして味方じゃないのよ!」と怒り出すような所があって、おやおやと思っていたが、今はトランス運動が似たようなやり方でフェミニズムを攻撃している。両方とも時代錯誤を感じさせるが、被害者意識と権利意識のありようが時代錯誤なんだろう。


エコロもフェミニズムも、欧米先進国が、他の地域・国家にマウントを取る役に立つといった需要があるだろうからとりあえず続くだろう。ネットで出羽守と揶揄される嫌われ者たちと同じようなものだ。間違ってもそれ以上だとは思わない方がいい。


2021年11月12日金曜日

トゥーンベリのスタイル

 グレタ・トゥーンベリを見ていて、その行動の背後にある文化スタイルを思い起こす。

その文化スタイルは1968年頃の馬鹿げた時代を思い起こさせる。あれは、他の人が何と呼ぼうとも馬鹿げたとしか言えない時代だったが、トゥーンベリにはその馬鹿げた時代の薄っぺらで愚劣な文化スタイルから飛び出してきた印象がある。

今はそんな薄ら馬鹿はほとんど見かけなくなったが、あの時代、団塊の世代から、少し下まで、男女ともそういう奴らは沢山いた。

さて、これは何なのだろうかと考えてみた。今の欧州の指導者たちが、若い頃、この文化に触れていただろう事に思い至った。そう、トゥーンベリは、今は年寄りとなった指導者たちの若かりし頃の下位文化の空気を感じさせる。だから、指導者たちにわかりやすい。いや、わかりやすいと言うよりも、年寄りたちが、勝手に自分の青春を思い起こし、わかったつもりになりやすいのである。

トゥーンベリがそうであるのは、親たちが、あの時代の下位文化にどっぷりと浸かった親に育てられ、子供もそのように育てたからなのか、もっと別の誰かがデザインしているからなのかわからない。

年寄りは、トゥーンベリが若い世代の代表のようにとらえるが、若い人たちは、大人が注目するから、大人の目を通してトゥーンベリを見る。

そういう妙な形になっているから、トゥーンベリを何かの代表とか、象徴とか、そういうものだとするのは大間違いだ。


あの頃の文化が、今の時代に影響を残している部分もあるのかもしれない。片田舎には、妙なものが取り残されている事はままある。

欧州の指導者たちは、青春の思い出に浸りつつ、さて、それはさておきと、現在の現実に向き合い、欧州の影響力を強化するために環境問題を利用するだろう。環境問題を盾にとり、欧州による世界支配の強化といった、まったく別の課題を成し遂げようとするかもしれない。だが、姑息で陰険で横柄なだけの欧州に、世界を担うだけの力など残っていない。

トゥーンベリの、今ひとつの迫力のなさ、刺激の足りなさは、欧州の力のなさに由来しているかもしれない。

とりあえず、トゥーンベリについて、今の所これ以上考える事はなさそうだ。その主張は取るに足りないし、何より、退屈な人だからだ。


日本だと、環境派は左翼の中ですらはみ出したカルト的な部分の最後の居場所でしかなかったのだが、左翼が相手にされなくなって行く中で全体的にカルト化し、環境問題で合流してしまった観がある。実際はどうかわからないが、独善的な知能の低さは、おしなべて彼らの性質だ。