2019年5月26日日曜日

マルクス主義の言う革命の根拠なんてどこにもないから

月刊Hanadaが「日本共産党は”認知症”だ」とやったそうだ。
そうか、日共がプリウスに乗ってたら気をつけなくちゃなとか思ったりする。子供や母親は近づけちゃいけない。

認知症だと困るのは介護をしている近親者や施設の職員だが、政党の場合は若い党員や支持者といった身内に負担が集中する。まったく支持してないこっちは、ザマ見ろとか思いながら、あんなもの見たくもないので楽しい事に注意が向かう。ゴメンね、集中力なくて・・・

日共の他、新左翼とか過激派とかも高齢化してるはずだから、同じ道をたどる。
まあ、失敗しちゃったんだから、それなりに惨めに終わるしかないよね。上の方の連中はわりと金持ってたりするのもいそうだから、そんなに惨めでもないかな。

もうろく丸出しで「革命」とか口走りながら死んでくのもいるかもしれない。頭にウロが来るってなあコレだな。ナンマンダブ。



2019年5月18日土曜日

困ったな、丸山穂高と一緒にしないでくれ

 丸山穂高議員が北方領土を取り戻すには戦争しかないと発言したという。
「丸山が同じ事言ったみたいよ」
 と言われた。

 で、ネットで検索してみたら、確かに言ってた。

 困ったな。まったく違う筋道なのに、そこだけ同じだなんて・・・

 一般に領土問題は、戦争か金で解決するものだという事を常日頃言って来た。返してくれと言えば返してくれるかのような思わせぶりは政治家の嘘だからだ。そういうものじゃないだろという事だ。

 丸山穂高の馬鹿は、そういう常識的な事を言ってるんじゃなくて、戦争する気もないくせに、思いつきで「戦争」という言葉をもてあそんだにすぎない。酔っぱらってたしね。で、それは問題をもてあそんだのと同じだから、除名されたり、非難されたりしても当然だ。本気で戦争を主張するなら、どうやったら改憲できるかから始まって、政治家としてやる事はいくらでもある。シラフでね。

 誤解したい人は勝手に誤解するだろうからどうでもいいけど、理解したい人のために付け加えると、領土というものは、戦争するか買うかして手に入れるものだというのは、戦争をしようというのではなくて、領土というのは、そうそう簡単に取り戻せるものではないという事です。

 例えば、今は、ロシアは経済制裁の対象だから金を払うなどできない。だから、領土問題の交渉など出来ないとなります。
 また、戦後、戦争を自らに禁じている。だから、金で買う交渉にも迫力がない。しかも、戦争か金かという常識的な話すら出来ない空気があるから、そもそも金で買うという話もしていないみたいだ。
 その調子で、四島だ何だと内向きの話を上っ面でしている。本当は何もしていないか、何もしていないに等しい事しかしていない。 
とても不健全です。

 丸山穂高の口走った「戦争」は下劣極まりないですが、左翼なんかは、自分たちが非常識な戦争を口にする時には気持ちよくしているくせに、外の人が戦争と言うと大騒ぎする。左翼連中の「戦争」は丸山穂高よりも下劣です。

 丸山穂高がダメなのは、酔っぱらって戦争を口にしたからではなく、北方領土に本気ではなかったからです。



2019年5月16日木曜日

権力って大変なんだよな

 政治の事なんか書いたら、要望が出て来た。
 せめて自民党だけでも、政治家の躾をしてもらいたい。
 あまりにも非常識で馬鹿な発言をする政治家が後を絶たない。政治家というのは口説の徒なのだから、失言というのは全否定になる。後で「そういうつもりはなかった」という見苦しい言い訳とともに謝罪をしても、取り返しはつかない。
 また、礼儀というのは重要な事なのだし、小笠原流などをたしなむのはいいかもしれない。本気で言っている。

 野党方面には、人を指さして発言するといった無礼な者もいるようだが、外交の舞台で非礼など許されるものではない以上、そのような者の在籍する政党は永久に政権に近づけてはいけない。
 礼儀というのはそういう事なのだ。

 政治家が馬鹿なのはどこの国でもしかたのない事だが、行儀作法をしつけるだけで、随分と違いが出て来るはずだ。



あなた、自分に絶望しなさい

 政治に希望を・・・みたいな言い方をする人(たち)って、その希望の中身は野党共闘とかそういうのな。バカバカしい。
 第一、共産党や左翼、リベラルの皮をかぶった左翼を見捨ててるからって、何も政治に絶望してるわけじゃない。勘違いしてる。

 政治に期待できる事は限られている。だから期待は限られている。当然だ。
 政治、つまり、立法に期待できる事以上の、希望というよりは妄想を抱いたりしたらろくでもない結果になる。せめて政治家や政党は、そうした妄想をかきたてるような言動をしてはいけない。

 で、とにかく、政治に対して冷静であるのを絶望と取り違えるのは、とりちがえる人が妄想にかられているという事かもしれない。
 だとしたら、その人は冷静さ、思考力、政治的資質にまったく欠けていると言わざるを得ない。



自動車事故で車が止まらなかったみたいな言い訳、もう聞きたくないよな

 政府は70代の認知症を6%減らす政策を立てようとしてるらしい。

 94%にしようってか?



2019年5月12日日曜日

カレンダーの迷路

 連休後、雑談をしていて驚くべき事に気がついた。
 出勤についての話をしている時、ある人が
「カレンダー通り」
 と言うので、
「じゃあ金曜日はお休みでしたね」
 と応じると、
「いえ、カレンダー通りです」
 と繰り返された。
 相槌を打ってその場をしのいだが、どうもその人の定義では、カレンダー通りというのは、祝日はなく、土日だけが休みの事を言うらしいと後で思い当たった。
 こちらの感覚では、カレンダーだと日付が赤く印刷されている日祭だけが休みだというのが「カレンダー通り」だ。どうもカレンダー通りに二通りの解釈があるらしい。
 そこで検索してみると、土曜日が休みかどうかも解釈が分かれるらしい。週休二日が定着したためだろう。でも、「カレンダー通り」と言って、土曜日が休みの会社と、休みではない会社があるらしい。こうなると3通りになる。

 とても基本的な事に、これだけ意味内容がバラバラだと、カレンダー通りという言葉は使えなくなってしまう。
 日本人は「美しい日本語」とか言う時には、雰囲気だけでその気になってうっとりしているが、実際は、平気ででたらめなイントネーションで話していたり、言葉に対して鈍感だ。「カレンダー通り」はその結果のひとつなのだろう。
 日本語は美しいかもしれないが、使っている日本人の多くが美しさを棄損している。



2019年5月7日火曜日

ニンニクも忘れずにね

米ニューメキシコ州のスパ施設「VIP Spa」で美顔術「ヴァンパイア・フェイシャル」を受けた2人がHIV陽性になったそうだ。

これの治療は、胸に杭を打って、直射日光にさらしておけばいいはずだ。HIVは無理でも、ヴァンパイアは治る。

ヴァンパイア・フェイシャルってのは、顔に血を塗りたくる美顔術のようだ。
セレブに人気があるらしいけど、セレブってあさましいんだね。
つまり、そこまでやるか?

美女が
「私、ヴァンパイアやってるの」
と言ったら、気持ちがなえて、
「ああ、そう、いいね。それじゃ・・・」
と、フェイドアウトするだろう。
まだすっぴん風厚化粧の方が許容できる。



2019年5月2日木曜日

一見正しいようで雑なだけ

「嫌なことは嫌だと言おう」
 なんて言う人がいる。
 それにはいくつも条件をつけなければならないのが本当だ。

 まず、強引に性的な接触を求められた場合は、意思表示をしなければならない。
 次に、暴力や威嚇によって不当な行為を強要された場合は意志表示をしていい。

 こうした犯罪を構成する場合は可能な限り意思表示をすべきだ。

 次に、仕事上で嫌だなと感じた場合、

 これは嫌だなどと言わない方がいい。

 そして、学校で教員を相手にしている場合、

 これも嫌だなどと言わない方がいい。小学生であっても、容赦なく威嚇、叱責される。場合によっては暴力をふるわれる。

 基本的に、嫌なことは嫌だと言わないのが普通だ。それは生きる知恵であって、嫌だと言って、仕事を切られるより、黙って仕事をし、金にするのがあたりまえだ。その方がいい。無理な事や嫌味を言う取引先は、その取引先で同じ思いをしているか、馬鹿かのどちらかなので、まともに相手にしても無意味なのだ。

 ただ、時間差をもってはっきり言う事はできる。一般にそれを愚痴と言い慣わしているが、ちゃんと意味があって存続している文化なのだから大事にした方がいい。

 嫌なことは嫌だと言うなんて人は、そういう立場にいるか、嫌な事などない人なのだから、一般的な我々が参考にすべきではない。

 どんな嫌な事でも黙っている必要はないが、どんな嫌な事でも嫌だと言うのは間違いだ。嫌な事は必ずどこにでもある。その時々で柔軟な対処をするのが、丁寧に生きるという事だ。