2021年4月25日日曜日

コロナ対策 欲しがりません、勝つまでは

 昔、山谷を通りかかると、電柱に

「路上で酒盛りをしないように」

と貼ってあった。で、夜になるとその掲示の前で酒盛りしてた。

公園も同様で、浅草の隅田公園には、よく割れたワンカップの残骸が散らばってた。

それに、噴水で体を洗ってる浮浪者もいた。昼日中、股ぐらを洗うなと、心の中で絶叫した。真っ黒に汚れた下に、倶利伽羅紋紋が彫られてたりすると情けなさもひとしおだった。

唐獅子牡丹の歌には浅草の観音様が出てくるけど・・・


話はどんどんそれて行くが、路上や公園での酒盛りを抑止するには、強い手段はおそらく有効性に限界がある。警察官や行政の職員が見回りし、注意などしたら、相手は酔っ払いだ、暴れたりするのがせいぜいだ。それに見回りする人たちが感染したら可愛そうだし、問題だ。

それだったら、公園や路上に低い音量で興ざめな音を流す方が効果的だ。

例えば、

おばちゃんの井戸端会議

社長の訓示

エンゲルベルト・フンパーディンク

なんかだ。

おばちゃんたちが、山田さんの奥さんや、鈴木さんのご主人のどうでもいい話を延々と繰り返しているのに耐性のある男はいない。社長の訓示も同じ。エンゲルは婆さんなら好きかもしれないけど、他は・・・

後、お経を流すとか、幽霊の幻燈を夜だけ壁に映すとかもいいかもしれない。


「強い」対策なんて聞くと、ああ、言葉に酔いはじめたなと感じるところだ。

もちろん、基本は欲しがりません勝つまではという気持ちだから、行政に全面的に協力するけれども。


2021年4月10日土曜日

さようならユニクロ

ユニクロ、ファーストリテーリングの社長柳井正会長兼社長が、2021年4月8日の決算会見で、ビジネスを展開する中国のウイグル問題について質問され、

中国新疆ウイグル自治区で懸念されている少数民族ウイグル族の人権を巡る問題について政治的だとの認識を示し、「政治的には中立な立場でやっていきたい。ノーコメントとさせていただきたい」と述べた。


と、ロイターが報じた。

ウイグル問題は政治的であり、ノーコメント=柳井ファーストリテ社長 | Reuters 

(以下、ロイター記事を元にしています。)


アレ? 柳井センセイ、日本について色々言ってこなかったっけ? 政治なんかも。

マスコミはオピニオン・リーダー的扱いしてるよね。それが人権問題にはコメントしないんだね。他人の給料が高すぎるとか言ってたよね。そういう偉い人が、人権問題は無視するんだね。ふうん。

ロイターの記事では、

ウイグルに関する綿花を自社製品に使用しているかどうかについてもコメントを控えた

ってことは、使ってるって見らるんだけど、いいんだね。使ってるのを前提として。

ただ、綿花について人権問題に関わることがあれば「即座に取引を停止している」

とも言われたらしいですが、じゃあ、中国ビジネス停止したらとなるのが流れなんですが、会長兼社長、柳井センセイ、どうなんだろうね?

適正な労働環境が整備・維持されていることを確認するため、第三者機関による監査を定期的に実施している。
 なんて事もおっしゃってるけれど、中国の第三者機関て、WHOの事かな? いいや、中国共産党第三者機関部なんてのがあるかもしれない。機関名を明らかにせよという話にしかならないですよね。信用できる機関なのか、そこまで言わないと、今の中国では何か言った事になりませんよね。センセイ。

これまでの監査では、ウイグル自治区に立地する縫製・素材・紡績工場はなく、サプライヤーにも調達する綿花生産で強制労働がないよう求め、確認しているという。

直接自社の施設がウイグル自治区にないというのが、何かの保証になるのかね?

それに、中国政府のウイグルでの人権問題は、強制労働だけでなく、民族浄化問題ですよ。センセイ、昔々の映画『仁義なき戦い』のセリフになぞらえて言えば、

「ウイグル人の血ィで銭貯め込んでるんやないの」

(元は千葉真一が演じた人のセリフですが、あまりに下品なんで、躊躇のあげく、やっぱりしまっときます。はい)

という事になる。中国と直接関係のない者でも、それくらいは知っている。それを柳井センセイが知らないはずはない。何だろうね、ノーコメントって。

ノーコメントって、一般的には、嘘は言えないけど本当の事も言えないという時に出てくる言葉だ。

例えば、

「中国がウイグルの回教徒にひどい事をしているのは知ってる。強制労働なんて生易しいもんじゃない。民族浄化だ。綿花は血まみれだ。そんな事はわかってるが、止める力はない。妙な正義感を持ったら、あっちじゃ殺されるだけだ。それに、こっちが関わってる分だけ、少しはマシになる所もあるんだ。シンドラーだ。だから何も言えないんだ」

という場合もあるだろう。苦渋のノーコメントでも、センセイはどうかな?

このノーコメントは、会見にあたって想定された質問だったはずだから、この程度の事を言っておけばそれ以上は聞かれないで切り抜けられるという認識の、つまり、タカをくくった答えだったのだとしか感じられないから、苦渋のノーコメントではなさそうだ。


昔は、左翼連中が共産主義国の悪の隠蔽に加担していた。今は、経済人が金のためにとぼけるのか。ひとつ言っておきたいが、中国が経済大国となって以降、政治と経済は切り離されるものではない。とりわけ中国では、政府が厳重に経済を支配している。中国でビジネスをするという事は、中共に利益をもたらしているという事であり、政治行為の一端と言っていいのではあるまいか。


けっこう好きでよく行ってたんだけど、いいや、もうユニクロ、GUで買い物をしない。


孫正義といい、柳井センセイといい、このところメディアが持ちあげて来た人たちは中国絡みが多い。アップルもグーグルもそうだね。中国が我が物顔で振る舞うのをグローバリズムとまとめれば、そういう事だったんだろうね。



2021年4月1日木曜日

国粋主義の失敗と感情任せの戦後

敗戦時に自らを維持できなかった事が、国粋主義の失敗だった。本当は戦前から、負けた場合を考え抜いて準備をし、勝てたら、ほっとして、その準備をしまいこむぐらいでなければいけなかった。神国日本の勝利を信じるのは、当然の話で、良かったのだが、負けても神国日本である事を守れなければならなかった。

国粋主義は、敗戦の衝撃で茫然自失した人々の支えとならなければいけなかった。それが自らも茫然自失では話にならなかった。そのため、一瞬にしてお払い箱となり、消滅してしまった。

戦後の日本は、何とか天皇の存在は守ったものの、内面の、つまり、文化の多くを破壊されてしまった。だが、それを恨んではいけない。占領したら、そこは中途半端にしてはいけない所だからだ。あっちも仕事だったからね。ある面では、占領政策は、日本人よりも日本を知っている人々がいた事を感じさせる深みがあった。

占領政策がかなりの徹底性をもって日本の内面を破壊したかと言えば、日本が強かったからだ。当時、欧州諸国を撃破し、それ以前には帝政ロシアに勝利し、そのあげくアメリカと4年も戦ったのだから、かなり強かった。だから、放置してはおけなかったのである。

戦争に強いというのは、経済、教育をはじめ、科学、技術など、あらゆる面で先進的でうまく行っていた事を意味する。野蛮で知的に未熟な将兵では、戦争など出来ない。

もう少し言を進めておくが、戦争が出来る軍隊、国家でなければ、戦争の抑止もできない。国家がグズグズで、軍隊もなく、法整備もないとなれば、他国の侵攻を招き、戦争を呼び込むだけだ。


戦前の日本を考えると、神国日本=必勝という意識は当然だったと言える。そこで、負けた場合を考え、思考訓練をしておくだけの柔軟性を持ち得ていたら、本当に勝ったかもしれない。これは逆説を唱えているのではない。何が足りなかったかを考えているのだ。

  敗北 < 神国日本

という不等式はありえたのだと、今にして思う。

一度の敗北で神国を否定してしまうなんて、極端すぎる。

戦後がそうやって極端な感情で始まったかと思うと、ちょっと怖い気がする。

戦後左翼の凶暴さは、そのあたりに根を持つのかもしれない。



スモール・フェイセズと関数の日々

この2ヶ月ほど javascript をいじりながらスモール・フェイセズを聞いていた。

1960年代の英国のロックバンドで、メンバーはスティーブ・マリオット、ロニー・レーン、ケニー・ジョーンズ、イアン・マクレガンの4人で、ザ・フーと並ぶモッズの代表選手だったそうだ。

彼らが活躍していた頃は、情報もあまりなく、レコードどころか、プレイヤーも持ってなかったので名前しか知らなかった。後々、スティーブ・マリオットがハンブル・パイというバンドを率いて活躍したので、スモール・フェイセズの名前も出た。それで、へえ、スモール・フェイセズの歌手だったのかと記憶を新たにした。

バンドの残りは、ロッド・スチュワートを歌手、ロン・ウッドをギタリストとして入れ、フェイセズと改名して大活躍した。

スモール・フェイセズはロニー・レーンがベース、ケニ・ジョーンズがドラムス、イアン・マクレガンがキーボードという編成だったので、ギターと歌がなく、ロッドとロンの加入は必要だった。

スモール・フェイセズ時代もヒットを出していたが、フェイセズになってからは、ロッド・スチュワートの魅力もあって、大ヒットを連発した印象がある。

フェイセズの同時代にヒットを出していたのはT・レックスだったと記憶する。誰かが、ロンドンで、T・レックスとフェイセズがやたらとかかっていたと書いていた。

T・レックスとフェイセズが覇を競っていたなんて、凄い時代だった。

マリオットのハンブル・パイは、最初はピーター・フランプトンという、アイドル的なギタリストがアイドルから脱皮しようというので始めたバンドだったが、そこにマリオットが乗り、2トップのスーパー・バンドみたいな売りでデビューを飾ったらしい。でも、小難しい事をやりたがるフランプトンと、直球勝負のマリオットでは、中途半端な感じで、みんな戸惑った。マリオットの歌は物凄かったから、ガンガン来る。で、間奏になると、フランプトンのギターが何だかやらかし始める。せっかく火がついてるってのに、何難しくしてんだろねと不満が募った。

で、フランプトンが辞めた後は、もう素晴らしかった。

来日公演も最高だったようだ。安全バンドの長沢ヒロさんが、大感激していた。

で、必死にレコードを聞き、確かにこれは凄いと信者になった。

フェイセズの方も、好感度の高いバンドで好きだった。曲も良かったし。


いつの間にか、フェイセズハンブル・パイも話を聞かなくなり、忘れていた。友達から電話があった。マリオットが死んだという電話だった。


マリオットが死んだのは・・・ウィキペディアで見ると、1991年4月20日だった。元妻が止めるのを聞かず、大酒をあおった挙げ句、寝タバコで火事を出し、焼け死んだようだ。44歳だった。何だか、そこらの土方みたいな死に方だ。格好良すぎる。そして、俺たちは文字通り不世出の歌手を失った。


その前から、ロニー・レーンが多発性硬化症という難病にかかってしまったという話を聞いた。レーン支援の企画でCDが出たので知った。

レーンは1997年6月4日に亡くなったようだ。51歳。1973年というから、かなり早くにフェイセズを離れ、スリム・チャンスというバンドをやっていた。

スリム・チャンスは、ブリティッシュ・フォークというか、英国人のルーツ音楽というか、そういう独特の音楽を聞かせてくれた。ハードなポップ・ロックのバンドだったスモール・フェイセズから始まったレーンの音楽が行き着いた場所だった。いいバンドだった。


キーボードのイアン・マクレガンは2014年12月3日、脳卒中で死んだ。69歳でまだ死ぬ年齢ではないとはいえ、まあ、往生のうちだろう。マクレガンは妻を先に亡くしているが、その奥さんは、マクレガンと結婚する前はザ・フーのドラマー、キース・ムーンの奥さんだったという。


ケニー・ジョーンズは、ただ一人生き残り、ザ・フーのドラマーとして活躍している。ザ・フーには、元フリーのキーボード奏者ラビットがいたりもする。この感慨がわかる人は少ないだろうが、別にわかる必要はどこにもない。


年寄りに似つかわしく、色々と物思いに浸りながらスモール・フェイセズを聞いていると、元気で鼻っ柱の強い若者たちが、聞く人も元気にしてくれる気がする。荒削りだが、魅力にあふれてもいる。


おっと、いつまでも書いていると繰り言になってしまう。英国ではNo.1の大ヒットも持っていたバンドだが、日本では、今に至るも人気がなく、知名度もない。そして、もしかしたら、世界中で、今、スモール・フェイセズを聞いているのは、一人だけかもしれない。だが、どうしてか、それは孤独ではない。


javascript の方は、getElementByIdとaddEventListenerが使いこなせなくて困っている。クリック・イベントの始末と、関数の取り回しが楽になるような気がしているのだけれど・・・