この2ヶ月ほど javascript をいじりながらスモール・フェイセズを聞いていた。
1960年代の英国のロックバンドで、メンバーはスティーブ・マリオット、ロニー・レーン、ケニー・ジョーンズ、イアン・マクレガンの4人で、ザ・フーと並ぶモッズの代表選手だったそうだ。
彼らが活躍していた頃は、情報もあまりなく、レコードどころか、プレイヤーも持ってなかったので名前しか知らなかった。後々、スティーブ・マリオットがハンブル・パイというバンドを率いて活躍したので、スモール・フェイセズの名前も出た。それで、へえ、スモール・フェイセズの歌手だったのかと記憶を新たにした。
バンドの残りは、ロッド・スチュワートを歌手、ロン・ウッドをギタリストとして入れ、フェイセズと改名して大活躍した。
スモール・フェイセズはロニー・レーンがベース、ケニ・ジョーンズがドラムス、イアン・マクレガンがキーボードという編成だったので、ギターと歌がなく、ロッドとロンの加入は必要だった。
スモール・フェイセズ時代もヒットを出していたが、フェイセズになってからは、ロッド・スチュワートの魅力もあって、大ヒットを連発した印象がある。
フェイセズの同時代にヒットを出していたのはT・レックスだったと記憶する。誰かが、ロンドンで、T・レックスとフェイセズがやたらとかかっていたと書いていた。
T・レックスとフェイセズが覇を競っていたなんて、凄い時代だった。
マリオットのハンブル・パイは、最初はピーター・フランプトンという、アイドル的なギタリストがアイドルから脱皮しようというので始めたバンドだったが、そこにマリオットが乗り、2トップのスーパー・バンドみたいな売りでデビューを飾ったらしい。でも、小難しい事をやりたがるフランプトンと、直球勝負のマリオットでは、中途半端な感じで、みんな戸惑った。マリオットの歌は物凄かったから、ガンガン来る。で、間奏になると、フランプトンのギターが何だかやらかし始める。せっかく火がついてるってのに、何難しくしてんだろねと不満が募った。
で、フランプトンが辞めた後は、もう素晴らしかった。
来日公演も最高だったようだ。安全バンドの長沢ヒロさんが、大感激していた。
で、必死にレコードを聞き、確かにこれは凄いと信者になった。
フェイセズの方も、好感度の高いバンドで好きだった。曲も良かったし。
いつの間にか、フェイセズハンブル・パイも話を聞かなくなり、忘れていた。友達から電話があった。マリオットが死んだという電話だった。
マリオットが死んだのは・・・ウィキペディアで見ると、1991年4月20日だった。元妻が止めるのを聞かず、大酒をあおった挙げ句、寝タバコで火事を出し、焼け死んだようだ。44歳だった。何だか、そこらの土方みたいな死に方だ。格好良すぎる。そして、俺たちは文字通り不世出の歌手を失った。
その前から、ロニー・レーンが多発性硬化症という難病にかかってしまったという話を聞いた。レーン支援の企画でCDが出たので知った。
レーンは1997年6月4日に亡くなったようだ。51歳。1973年というから、かなり早くにフェイセズを離れ、スリム・チャンスというバンドをやっていた。
スリム・チャンスは、ブリティッシュ・フォークというか、英国人のルーツ音楽というか、そういう独特の音楽を聞かせてくれた。ハードなポップ・ロックのバンドだったスモール・フェイセズから始まったレーンの音楽が行き着いた場所だった。いいバンドだった。
キーボードのイアン・マクレガンは2014年12月3日、脳卒中で死んだ。69歳でまだ死ぬ年齢ではないとはいえ、まあ、往生のうちだろう。マクレガンは妻を先に亡くしているが、その奥さんは、マクレガンと結婚する前はザ・フーのドラマー、キース・ムーンの奥さんだったという。
ケニー・ジョーンズは、ただ一人生き残り、ザ・フーのドラマーとして活躍している。ザ・フーには、元フリーのキーボード奏者ラビットがいたりもする。この感慨がわかる人は少ないだろうが、別にわかる必要はどこにもない。
年寄りに似つかわしく、色々と物思いに浸りながらスモール・フェイセズを聞いていると、元気で鼻っ柱の強い若者たちが、聞く人も元気にしてくれる気がする。荒削りだが、魅力にあふれてもいる。
おっと、いつまでも書いていると繰り言になってしまう。英国ではNo.1の大ヒットも持っていたバンドだが、日本では、今に至るも人気がなく、知名度もない。そして、もしかしたら、世界中で、今、スモール・フェイセズを聞いているのは、一人だけかもしれない。だが、どうしてか、それは孤独ではない。
javascript の方は、getElementByIdとaddEventListenerが使いこなせなくて困っている。クリック・イベントの始末と、関数の取り回しが楽になるような気がしているのだけれど・・・