2018年12月17日月曜日

百年の計

「百年の計」なんて言辞を弄すると気持ち良くなる人たちがいるらしい。困ったものだ。
 百年後、つまり、うんと長期の事なんてわからないに決っている。本当はかいもく見当もつかないのに、上に国家をつけたりして「国家百年の計」というと、何だか偉い事のように感じ、いいかなと思ってしまう。実に軽率だ。
「百年の計」などと言われたら、
「ウチでは扱ってないので、他を当たってください」
 と正直に言うか、どうせどこがやってもデタラメなのだからとタカをくくって、当たらないに決っている予測を立てるしかない。脳にウロの来ている・・・いや、若干認知症・・・もとい、まだらボケ入って・・・ええと、とにかく面倒くさいじゃなくて・・・これだ・・・見識あるクライアントを怒らせないためには、真実よりも嘘の方がいいかもしれない。どうせそんな先にそのクライアントは生きてないし、誰がデタラメな予測をたてたかなんてわからなくなっている。

 という感じで、目先の気持ちよさと嘘の上に構築した砂上の楼閣の安心と、地味に目先の問題と格闘してやって行くしかない真実を見つめるのと、どちらを選択するかというだけの話だ。言っておくけれど、選択というのは気持ちの問題であって、嘘の安心を選んでも、実際には地味でミもフタもない方しか選択肢はない。

「百年の計」と、「お前、ロックじゃないな」とは、共に老人語という点で同じだ。モウロクの証明でしかない。妄想よりは、健全に事実を見つめて生きよう。