2017年12月14日木曜日

あの日の後

 震災の後ちょっとして、獣医さんからパニックになった犬や猫への鎮静剤の投与で忙しいと聞いた。
 当日、一匹だけでマンションの留守番をしていた猫が、怖がってマンションにいたがらないので猫を連れて実家に帰った女性の話は、別の所で聞いた。
 その頃飼っていたウチの猫は平気だったので、あの時、人が一緒にいたからだろうという話になり、あんたでも役に立つことがあるんだねと、女房に妙な感心をされた。

 福島の原発が停止に失敗した事故で、あれだけの大地震で事故はたったの一件で、他の原発は無事停止して安全を示し、しかも、事故を起こした福島でもその程度はさほどでもなく安心したが、難癖をつけて騒ぐ連中はいるだろうな、嫌だなと思っていたら、やはり左翼と新興宗教が騒ぎはじめた。
 驚いたのは、その騒ぎが影響力を持ってしまった事だった。犬や猫も鎮静剤を必要としたのだから、パニックを起こした人たちが、闇雲な恐怖心から馬鹿げた行動に走ったのも自然かもしれない。その影響力までは測れなかったが、そういう事が起きるのは予想できたという意味でも、あたりまえの成り行きだったのだろう。

 脱原発は、原発事故への反応というよりも、震災のショックに根を持つように思えてしかたがない。脱原発は、観念的に科学を否定し、文明を否定する考え方で、それを選択したという事は、日本では、非常に偏った情報空間に生きる事を選択したのと同じ意味を持った。情弱というのは、そうした選択をした人たちと言ってもいいかもしれない。
 脱原発をしかけた左翼は、日本を否定し、北朝鮮や支那の味方をしたい人たちで、支那や北朝鮮の核兵器や原子力発電、科学や統制社会、言論弾圧、軍国主義などは肯定しているから、情弱層を作り出さなくては嘘が通用しない。情弱の罠は脱原発が入り口だったと言える。そして、そんな罠に引っかかってしまったのは、震災の恐怖と、あまりに大災害で錯乱していたからだ。犬や猫までがパニックに陥ったのは、その恐怖や錯乱が根源的だったからだ。
 でも、実際は文明の中でしか生存できないのだから、いつまでも恐怖という自然に縛られているわけにはいかない。時間はこっちの味方だよと歌う "Time is on my side" は、いい曲だなと改めて感じたりもする。