敗戦時に自らを維持できなかった事が、国粋主義の失敗だった。本当は戦前から、負けた場合を考え抜いて準備をし、勝てたら、ほっとして、その準備をしまいこむぐらいでなければいけなかった。神国日本の勝利を信じるのは、当然の話で、良かったのだが、負けても神国日本である事を守れなければならなかった。
国粋主義は、敗戦の衝撃で茫然自失した人々の支えとならなければいけなかった。それが自らも茫然自失では話にならなかった。そのため、一瞬にしてお払い箱となり、消滅してしまった。
戦後の日本は、何とか天皇の存在は守ったものの、内面の、つまり、文化の多くを破壊されてしまった。だが、それを恨んではいけない。占領したら、そこは中途半端にしてはいけない所だからだ。あっちも仕事だったからね。ある面では、占領政策は、日本人よりも日本を知っている人々がいた事を感じさせる深みがあった。
占領政策がかなりの徹底性をもって日本の内面を破壊したかと言えば、日本が強かったからだ。当時、欧州諸国を撃破し、それ以前には帝政ロシアに勝利し、そのあげくアメリカと4年も戦ったのだから、かなり強かった。だから、放置してはおけなかったのである。
戦争に強いというのは、経済、教育をはじめ、科学、技術など、あらゆる面で先進的でうまく行っていた事を意味する。野蛮で知的に未熟な将兵では、戦争など出来ない。
もう少し言を進めておくが、戦争が出来る軍隊、国家でなければ、戦争の抑止もできない。国家がグズグズで、軍隊もなく、法整備もないとなれば、他国の侵攻を招き、戦争を呼び込むだけだ。
戦前の日本を考えると、神国日本=必勝という意識は当然だったと言える。そこで、負けた場合を考え、思考訓練をしておくだけの柔軟性を持ち得ていたら、本当に勝ったかもしれない。これは逆説を唱えているのではない。何が足りなかったかを考えているのだ。
敗北 < 神国日本
という不等式はありえたのだと、今にして思う。
一度の敗北で神国を否定してしまうなんて、極端すぎる。
戦後がそうやって極端な感情で始まったかと思うと、ちょっと怖い気がする。
戦後左翼の凶暴さは、そのあたりに根を持つのかもしれない。