2022年1月15日土曜日

戦争を防ぐため、あるいは終わらせるための管理ツールとして、軍備に代わるものはない

ヨーロッパでは、歴史的に戦争によって市民の権利が拡大した。

王と騎士だけで戦争していた時代は、領民に権利などはなかった。王が教会から金を借り、領土の拡大や維持のために戦争をしていた。その他、戦力といえばスイスやドイツなどの傭兵だった。

国民を兵士として動員するのはナポレオンが始めた事だが、それ以前にも、下層階級の与太者などを人狩りして集め、前線に投入するといった事も行われていた。これは弾除けで、訓練もなく、武器も持たせずに突撃させた。

映画「スターリングラード」によれば第二次大戦のソビエト軍も同じ事をしていたらしいが、史実かどうかはわからない。おそらく史実だろう。

中国は、介入した朝鮮戦争まではこれをやっていたという。駆り集めた農民などを素手で突撃させていた。後退させないために背後から機関銃で撃っていた。米兵は殺しても殺しても押し寄せて来る中国人に参ったようだ。中国軍の指揮者は林彪で、これで評価を上げた。

大東亜戦争時、国民党軍も同じやり方をしていて、日本軍は困ったという。どうも、中越戦争の時も、中国軍はこのやり方をしたらしい。中国軍と戦火を交えたのはベトナム人民兵だったが、殺しても殺しても中国人が現れるのが恐怖だったという。

ヨーロッパでは戦費を圧縮するために王権を縮小し、国民国家を認める事で国民皆兵の道に進んだ。徴兵した国民を訓練し、正規軍とし、武器を持たせる方が強いのはナポレオンが証明していた。このイノベーションによって国民は諸権利を手にする事となった。権利の他に、出費なしに国民を戦わせるインセンティブがなかったからだ。

戦争のたびに権利が増えるなどと言われが、国民の権利に照らしてみれば、革命などよりも戦争の方がはるかに効率よく国民の諸権利を確立した。まあ、革命はそれによって「人民権力」が樹立したという建前をとるので、それ以上ないわけだから、「人民」はいくら従事しても、実際のところは無権利状態のままにされてしまうわけだ。選挙もないので、「人民」には選挙権も被選挙権もない。何もないままだ。

ついでに反戦についても触れると、これは東部戦線と西部戦線を抱えていた第一次大戦のドイツが、ロシアに東部戦線の維持が出来ないようにしようとレーニンに金をやって封印列車でロシアに送り返したのだが、革命を乗っ取ったレーニンはドイツから依頼された仕事を片付けるために「反戦」と称して、東部戦線からロシア軍を撤収したのが始まりだ。つまり「反戦」の意味は、ソ連(今は社会主義国全般)に都合のいい戦争工作でしかない。戦争に反対し、戦争をなくすという理想の追求などではなく、一方に加担するというだけのごまかしである。マルクス主義者は美名詐欺がうまい。それだけ不誠実というわけだ。


平和は落ち着いていていいが、国民の権利の拡大はなく、それにともなう色々な関係の変化もないという事でもある。それが本当にいいかどうかは、何とも言えない。


戦争は起きる時には起きてしまうものではないかと思う。習近平や金正恩、プーチンといった好戦的な独裁者が望んでも戦争に至らない時もあれば、弱い指導者の存在が戦争を呼び込んでしまう時もある。

だからこそ、備えが大切だし必要だ。万が一戦争が起きた時、その被害を減らし、早く終わらせるためにも、しっかりとした軍備と運用が不可欠になる。

一部の人が望むように、努力をすれば戦争が起きないというものではない。物事はそういう風に単純化してはならない。