2021年3月11日木曜日

遠く深い闇 もう一度

 前に「遠く深い闇」と第して、フランスで18歳のチェチェン人移民が教員の首を切断し、殺害した事件について書いた。

 当時は報じられていなかったため、誤認していた事実があり、また、新たにわかった事もある。

 報道をまとめてみると、47歳の地理と歴史の教師サミュエル・パティが2020年10月、表現の自由の授業でイスラム教の預言者マホメット(今はムハンマドと呼ぶようになったらしい、イスラム教の教祖となったユダヤ人)の風刺画を生徒らに見せた。その後、ロシア・チェチェン(Chechnya)共和国出身の18歳の男(警察はアブドゥラフAとのみ発表)に殺害された。

 中学校の教員だったパティは、表現の自由の授業でマホメットを風刺したポンチ絵を教材とした。その後、パティが風刺画を見せる間、イスラム教徒の生徒らを教室から退出させたと、13歳の女生徒が言い出した。女生徒の父親は、盲目的で感情的な人物だったのだろう、娘の言葉を真に受けて扇動的な動画をフェイスブックに投稿した。(フェイスブックのコードには引っかからなかったらしい)

 ところが、この女生徒はパティのその授業に出席などしていなかった。嘘をついていたのである。この女生徒は、自分は他の生徒らの代弁者なのだと思い込んでいたらしい。また、みんなの代表である事で父親に良いところを見せたいという気持ちがあったようだ。迷惑で痛い子だ。それに、その軽率な嘘は無残な殺人の引き金にもなった。

 そして、ここはまったく誤解していたのだが、アブドゥラフAはパティやパティが勤務していた中学校とはまったく関係のない人物で、殺害現場となったコンフラン・サント・ノリーヌから約100キロ離れたノルマンディーに住んでいた。それが、フェイスブックでの嘘の拡散や、フランス内のイスラムのネットワークといったフィルタを通じて、また、祖父、両親、弟といった家族に背中を押されて犯行に至っていた。

 アブドゥラフAは、事件当日の金曜日、ノルマンディーからコンフラン・サント・ノリーヌにやって来て、学校前で生徒たちにパティについて尋ねた。4人の生徒が金をもらい、手伝ったという。

 アブドゥラフAは徒歩で帰宅するパティを追いかけて襲いかかり、ナイフで頭に何度も切りつけた後、首を切り落とした。

 通りがかった人々は、アブドゥラフAが「アッラー・アクバル」と叫ぶ声を耳にしたという。

 アブドゥラフAはパティの遺体を写真に撮り、ソーシャル・メディアに投稿した。その後、駆けつけた警官に空気銃を撃ったが、警官たちの銃撃で死亡した。

 この事件で、アブドゥラフAにパティの事を教えた生徒4人も含めて、現在まで16人が逮捕されている。


 こういう次第で、これはまったくのテロ事件だ。そして、アブドゥラフAにテロを教唆した宗教指導者などは政治が扱うべき範疇だ。そして、犯人に協力した4人の生徒、嘘つきの女生徒とその父親などは社会問題の範疇だろう。

 どちらも解決がつくものかどうか、途方に暮れる問題だ。もしかしたら、誰も取り組まないかもしれない問題でもある。例えば、嘘つき女生徒がサイコパスだった場合、とりあえず治療不可能だ。

 政治的には、イスラム過激派とされる団体を取り締まって行く方向に向かうだろうけれども、イスラム系移民たちは居続けるし、最も軽率な激しさである「過激」を正しさと誤解する傾向を持つ、まあ馬鹿と形容してさしつかえないたぐいの者も、これはイスラムに限らず多数存在する。

 過激派に走る馬鹿者どもは手に負えないとして、移民は理解が深まり、生活が向上すれば落ち着く。それは一般的な移民政策だが、時間のかかる過程を経なければならない。ただ、受け入れ側としては、他にやりようはないので、後は移民自身が頑張る以外にない。そこに失敗事例が発生し、過激派の温床となってしまう。さて・・・


 日本は、かつてイランの宗教指導者ホメイニ(シーア派はマホメットの子孫でなければ指導者になれないから、血統はユダヤ系だろう。イランに反イスラエル派ユダヤ人の大コミュニティがあるのと関係していると思う。イスラム教徒となったユダヤ人は、中世カトリックにとって大問題で、これをカトリックに改宗させようとする取り組みがルネサンスの動機のひとつのはずだ)について書かれた「悪魔の詩」という本を翻訳した大学教授が刺客によって暗殺されたが、曖昧にした。つまり、日本は誰も取り組まないという処理をした。

 おそらく、今後は、そうした緩いやり方は出来なくなる。どうするんだろうね?