2021年11月23日火曜日

フェミニズム ー カラ騒ぎの終焉

フェミニズムには、何だかトンチンカンだなと思うところがあったり、すぐに仲違いするんだなと呆れるところがあったり、上野千鶴子のような幼稚なのをいつまで代表面させとくんだろうと不思議だったりして来たたが、基本的には威厳を感じて来た。だが、連続強姦魔広河隆一の犯罪に対して曖昧な態度をとって来たのが明らかになった事で、見切りをつける事にした。社会運動としてのフェミニズムは、本質的に自壊したと思う。

広河隆一は親パレスチナ派で、言ってみれば国際派左翼の筆頭といった位置にいた人物だったかと思う。フェミニズム運動の活動家や支持者は、卑劣な性暴力被害者よりも、左翼著名人の対面を重視した。それは、フェミニズム運動が、女性の権利を掲げながらも、実際は左翼運動の道具のひとつにすぎなかったためだとしか考えられない。原則を逸脱して、党派性に走ってしまったわけだ。

イタリアのロレッタ・ナポリオニが、著書「テロ・インク(テロ株式会社)」の中で、親パレスチナ派はPLOの腐敗を隠蔽したと批判しているが、広河はそういう批判を受けねばならない側の一人だろう。広河は事実を報道するジャーナリストではなく、親パレスチナ、親ソ連という党派性のジャーナリストだった。

広河をめぐっては、左翼性による隠蔽の連鎖しか見えない。フェミニズムは、隠蔽に加担した事で、自らの基盤を裏切った事になる。女性一般ではなくて、左翼女性(の中の、自分の党派性の内側の女性)の運動でしかなく、そこから半歩も出なかった。

それでも、反省するでもなく、フェミニズム活動家や指導者たちは、元気に日本叩き、自民党叩きに邁進している。とりわけ、最近は環境派と一緒になって(左翼だからね)文明を窮屈な所に押し込めようとしている。物凄く空虚に頑張っていて迷惑だ。このザマで、フェミニズムが女性のためになどなるわけがないと思う。

フェミニズムも、環境派も、掲げている内容とはまったく別物で、やっているのは奇矯な人か奇特(一応、わからない人もいそうなので皮肉だと、記述的に注記しておきます)な人ばかりで、世の中の進歩の役になど立たない事がバレて来ているから、これから終わっていくだろう。もう伸び代はない。


まあ、世界的にはマネジメントのうまい人達がいるから、お金を回して、存続して行くんだと思うけど、人の使い方がけっこうブラックな滅私奉公だし、マネジメントなんかもできない日本だと、小集団が点在し、細々とやって行く、宗教的な姿になるとしか思えない。


フェミニズムって、左翼やリベラル(偽装左翼)しかいない所が、まず嘘だよ。


思えば、「Me Too」騒ぎって、中ピ連の焼き直しだったな。(わからない人は、お年寄りに聞いてみよう。検索した方が早いだろうけど)。


もう、ジェンダーがどうしたとか、くだらない妄説など気にしない。フェミニズムのおしゃべりは空っぽすぎる。ジェンダー論は性を社会的問題にするためのファンクションのつもりなんだろうけどね。


「男は敵だ」と自分たちで(感情的に)規定しておいて、その後で「どうして味方じゃないのよ!」と怒り出すような所があって、おやおやと思っていたが、今はトランス運動が似たようなやり方でフェミニズムを攻撃している。両方とも時代錯誤を感じさせるが、被害者意識と権利意識のありようが時代錯誤なんだろう。


エコロもフェミニズムも、欧米先進国が、他の地域・国家にマウントを取る役に立つといった需要があるだろうからとりあえず続くだろう。ネットで出羽守と揶揄される嫌われ者たちと同じようなものだ。間違ってもそれ以上だとは思わない方がいい。