2017年5月6日土曜日

安全と安心

ちょっと「安心」を考えてみた。
「安全」はいくつかの条件を置いた上での確率の話で、100%なんて事はありえない。100%じゃなきゃだめだという人がいたら、話がわからないだけだから、無視できれば無視し、できないならその案件はなくなる。
自動車は整備がきちんとできていて、運転者が速度を出しすぎないようにし、集中力を維持して・・・といったいくつかの条件を満たせば、かなり高い確率で安全だけれども、100%という事はない。
でも、100%安全でなければ、自動車を走らせてはいけないというなら、そこでは自動車は走らせられない。それだけの話だ。そこで100%を約束させられてはいけない。嘘になるからだ。
自転車だって、その意味では安全ではない。歩きよりも安全確率はかなり低い。乗っている人の意識のばらつきの大きさがかなり脚を引っ張っている。
世の中、その程度の安全で動いていて、そこそこ成り立っている。もちろん、安全確率を高める努力は良いことなのだからやって行くべき事だけれども、100%安全にならなきゃ、それを認めないというのは、意識が低すぎるというしかない。
例えばひとつの技術があり、危険性も含めたリスクと、それから得られるメリットを比較して、メリットが一定以上上回れば、その技術を採用し、安全向上を含めて努力をして行くという事でいい。それを進歩という。特に現在の日本の基準で言うなら、科学技術に求められる安全性はかなり高い。
でも、もちろん、100%というありえない安全確率には達していない。
100%というのは無限と考えてもいい。数学では無限を扱う理論があるし、神学は神の無限を考えるけれども、技術は無限など扱わない。
科学技術に100%を求めるのは、神学と科学、技術と呪術を取り違えているのだ。
もっとも、一神教の神の前で人の生命など無に等しいから、宗教戦争でいくら人が死んでも神学は意にかえさないという危険性がある。かつてのカトリック対プロテスタントの戦争、十字軍、そして、現在のISISの蛮行は神学として間違っていない事になるんじゃないかと思う。そのあたり、いくら危険であっても、神は無限だから、100%を求める向きにはフィットしているはずだ。つまり、100%というのは、もう安全では対処しきれないものだ。
安全ではとりあつかわない100%をとりあつかうのは、神学とか呪術以外には、つまり、とりあえず危険じゃなさそうなのは「安心」だろう。
でも、安心はその人の心の持ちようとか、感じ方とか、そういうものだから、原則として他人が口出し出来ないし、すべきでもない領域だ。例えば行政が国民・住民に安心してもらおうとしたら、それは信頼されるしかない。で、信頼されるにはちゃんと仕事をする以外にない。でも、いくらちゃんとしてても信頼しない人がいたとして、これはどうしようもない。信頼する人が極端に少ない場合は、その行政に何か問題がある可能性もあるが、いくらちゃんとしてても信頼しない人は一定にいる。それは想定内としておくしかない。

科学技術と安心というと、東日本大震災からこっち、原子力発電の問題になるけれど、反(脱)原発派は「安心」じゃないからダメだと主張している人たちだ。
恐怖心にかられる心理はある程度理解できないでもないが、それ以上ではない。停止途中に海水をかぶって停止できない状態になった福島以外、すべてきちんと止まった。
あの地震であそこだけで、あの程度ですんだのは大したものだと感じた。実はもうちょっとダメかもしれないと疑っていたのだけれど、見直して、心の中でゴメンした。
でも、共産党とか、進歩派がここぞとばかりに反原発の旗を振り始めた。民主党(現・民進党:面倒なので、この後消滅しても訂正しないのでご了承ください)の菅直人が自分の震災への対応がなってなかったのを誤魔化そうと、原発の恐怖を煽ったもの大きな要因だった(さすが全共闘、頭の悪さ、腹の悪さは大したもんだ)。
どうやら、そこにカルト宗教やら何やら有象無象が流れ込んだ。
その理由は、無知、妄想、悪意、無神経といった禍々しいものが吹き出しているからだ。
彼らは絶対に安心しないぞと思い定めた上で、政府や東京電力に安心を強要している。そしてその事で、日本、日本国民、被災地の復興、被災地の人々を踏みにじっている。
原子力発電は安全だ(安全確率がかなり高い)。火力発電よりも安全だ。この安全は、現在の人類に文明が達成している最高度の安全だ。文明が進歩すれば、安全も高まるだろう。でも、ないものはない。
政治も世の中も感情で動く面があるから、反原発の呪術が効果を発揮し続ける可能性もある。彼らは安全を作り出す事に興味はなく、不安を煽ってるだけだから、簡単なんだよね。

最近、妙なデマが拡散された。福島で森林火災があり、放射性物質が飛び散っているとかいう話だ。で、味噌汁を飲むといいとかいう話までくっついていた。これを言い出した人、信じる人とは理解しあえないと思う。もし、反原発派の中にマシな人がいたとしたら、こういうのは止めるべきだよ。福島の人が迷惑する。

以下、福島の人が迷惑し、困って発信したツイートを引用します。



「10年間、福島に住んでみろ」キタコレ。 あと4年も非科学デマに対して黙って我慢しろだそうですよ、福島県民の皆さん。

変な世の中 @2522nakano返信先: @ichii_tadafumiさん、@demekin_desuyoさん 「デマになったとしても」と言う言葉は、謙虚な気持ちから発しているのに、言葉尻を捉えて批判する。内部被曝は危険です。放射能が危険じゃないと言うなら、福島に10年住んでから言いなさい。


謙虚な気持ち、だと? 脳味噌わいてんのか。



「デマに なったとしても」じゃない。初めからデマなんだよ。原発事故時に放出されたセシウムは植物の葉や幹にも付着したが、落葉や雨雪で殆ど下に落ちて土壌の有機物や鉱物等に吸着している。そこから植物に吸収される量だってたかが知れてる。




実際に震災以降、今回の火災の前にも森林火災は発生しているが、各地の空間線量等のデータに異常値は確認されていない。火災によって放射性物質が拡散されていないことはわかっているんだ。 初めからデマなだよ。午後0:52 · 2017年5月2日


「火災で放射能が飛んで内部被ばくが~」とか言う人は、自分の体の中に自然核種のカリウム40が存在してること、知らないのか? 火災があった後でも、普通に露地栽培された福島の農作物の放射性セシウム量に有意な変化は見られていない。

また、コープふくしまの調査では、福島県に住んでいる人達の食事にも殆ど放射性セシウムは含まれていないか、含まれていてもカリウムと比較して完全に無視出来るレベルであることがわかっている。何も対策などとる必要はない。

呼吸については、食事によるよりもケタ違いに内部被ばくが小さいことが始めから分かっている。 また、ホールボディカウンタによる調査だって、一部の特殊な食生活を送っていた人達を除いて、異常なデータは出ていない。

ホントに放射能が怖いならキチンと勉強して下さい。 福島県民は反原発や反東電や反自民のために準備された道具じゃないし、怖がって楽しむ娯楽のネタでもない。