2017年9月28日木曜日

ガラパゴスな人々 2

 講談師の神田香織さんは
「私たち・・・は、安倍さんを首相と・・・認めたくない・・・安倍さんは国民の安全と財産と幸福追求権のために安保法制を通すといっているが、お断りしたい・・・私たちは私たちの力で財産権と自由と幸せに生きていく幸福追求権を堅持しようではありませんか」
安倍さんを首相と認めたくないというのは、民主主義的で決まった指導者を認めないという事で、それは民主主義を認めないという事になる。別に民主主義が嫌いでもいいし、自分の財産や幸福を自衛しようというのも止めないけど、そういうリバタリアン的な姿勢と、国策はちょっと次元が違うんですよ。安倍政権の政策(安保法制)と神田さんの「幸福追求権」はまったく矛盾しないんですよ。安保法制は神田さんの幸福追求を邪魔しないんですよ。
 安保法制は有事の際に、国民の生命財産を守るための行動に混乱がないようにするという法整備で、有事の際、講談師さんが自力で、例えば北朝鮮とか、支那とか、国家に立ち向かえるわけがないので、そこは国家でやりましょうという話で、そのために法整備をするというのは、日本が法治国家であるという事で、法治国家であるという事は、権力を委託されている存在であっても、法律には従い、場合によっては罰せられるという事なんですよ。
 ハリセンから荒唐無稽な事を叩き出すのは高座だけになさってくださいね。

 鎌田慧さんは、
「いまこの国会の柵の向こうに見えるのは、何か。これは圧政と独裁と隷属です・・・自民党の独裁とは、なんと総裁候補に誰も出られない。こんな独裁、見たことないです・・・こういうふうな政党に私たちは支配されている。これほど悔しいことはないと思います」
公正な選挙によって成立した議会に圧政と独裁と隷属が見えるって、耄碌して幻が見えるのかな?
 この先生を典型とする人たちは、権力者を超法規的なものとしてイメージしている。超越的権力者と言ってもいい。そういう権力者は、近現代では、共産主義国家や、共産主義に強く影響されたファシズム国家がひとつの典型で、後は、後進国の独裁者になる。
 かつてなら、レーニンとかスターリンとか、毛沢東とかだろうか、小さい所ではキューバのカストロになる。今だったら、北朝鮮の金王朝とか、支那の中共とかは共産主義国家の専制支配者で圧政と隷属を実行している。
 で、センセイがこんな独裁見たことないとおっしゃるのは、安倍さんが独裁じゃないから、他の類型とマッチしないという話だよ。独裁者じゃない人を、無理やり独裁者に分類しようとして、「見たことない」って、薄っすらと馬鹿かも・・・
 支配なんかされてないから、そんな世迷い言を言ってられるんだが、日本が独裁国家だったら、今時、国際社会で相手にされてないって。そんな事もわからなくなってしまったのかな? いや、最初からわかってなかったりして・・・?