2017年9月30日土曜日

ガラパゴスな人々 4

 落合恵子さん、
「そこの装甲車の配置はなんだ! 市民に向けて、何をやってんだ、お前たちは!・・・苦しいとき、苦境に立ったとき、人間の価値が上がります・・・こんなめちゃめちゃな政権が、私たちや子供、孫の人生を決めるなんて、許さない・・・私たちは十分に歴史から学びました・・・暴力は暴力しか呼ばないということ・・・戦争は戦争しか呼ばないのです。市民をみくびるな!」
落合恵子センセイ、どうしてか感情的になっている。でも、仕事をしている人(警官)に向かって、「お前たち」呼ばわりはない。仕事中には、何を言われても黙っていなければならないのは警官も会社員も同じだ。
 センセイに「お前たち」と言われて、例え「このクソ婆ァ」と思ったとしても、黙っていなければならない。
 例え、「この婆さん、誰なんだろう? 徹子の部屋に出たかな、だったらお袋が知ってるんだが」と思ったとしても、じっとこらえる。後になったら忘れてくれるかもしれないが、でも、恵子センセイのやった事が、無抵抗な相手に罵声を浴びせる、精神的な拷問に近い行為だった事に変わりはない。残酷な人だ。
 それから、恵子センセイ、この場でどうして「苦境に立った人」が出て来るのか、よくわからないけど、それで自動的に人間の価値が上がるって、そういう飛躍して、非論理的、かつ倫理的な展開も意表を突く。
 苦しんでいる人が、価値なんか上がるより、苦しくない方がいいという気持ちになっても、それはそれで自然だ。いや、それよりも、人の価値と苦しみなんて無関係だ。要するに、恵子センセイ、重々しく見せかけて薄っぺらな事を言っている。で、人を苦しめたいわけですかね。
 押し付けないで欲しいな。恵子センセイ、苦境に立った事なんてあるんだろうか? いや、きっととっても価値の高い人だろうから、苦境の10や20、こなして来てるんでしょう。
 価値の高い恵子センセイは、学ぶ人でもある。しかも十分に学んでいるらしい。
 ええと、現代史の最近のところで言えば、世界中で左翼やリベラルの思考の枠組みを作って来たマルクス主義思想が嘘で固めた酷いものだって明らかになったなんてあたりは学ぶべきポイントのひとつだ。
 マルクス主義はロシア革命で革命思想のチャンピオンになったけど、ロシアの実情はひどいものだったし、ロシアの勢力範囲化におかれた東欧諸国も最低の状態だった。マルクス主義政党は世界中で人を抑圧し、侵略を行い、戦争をし、虐殺を行い・・・(悪行のリスト)・・・というのが現代史から学べる。そして、それを知っていた各国の共産党や知識人たちが、その事実を隠していたなんて事もわかった。
 マルクス主義は戦争しか呼ばないし、マルクス主義は暴力しか呼ばない。そこは学ぶべき事のひとつだ。
 マルクス主義は問題解決の処方に使えない事がはっきりした。それで、世界中で知的活力を持った人が、過去を乗り越えようと働いている。そこから、この後どうしようという動きからネオコンなんかも出て来た。ネオコンは真剣な動きで、ただの右翼あつかいで片付けられるようなものじゃない。その後、あの人たちはそれぞれの方向に進んで仕事をしているけど、そのうちにまた見えてくるものもあるかもしれない。
 でも、恵子センセイ、そういう事は学んでない様子だ。センセイ、市民を見くびってないかな・・・いや、待てよ。センセイの言う市民は、「プロ市民」とかいう人の事かもしれない。活動家とか、シンパとか、そういう層だ。どうも、この人たちは言葉に別の意味を持たせて専門用語化して使うから混乱する。共産党は世界中で嘘ばかりついて来て、同伴知識人もその嘘(左翼コード)の中でしか発言しないようになってるから、普通の日本語だと思って聞いていると混乱する。
 ここで恵子センセイは、市民は見くびっているけど、プロ市民は見くびっていない。それだけの話だ。
 こっちは、市民を見くびるほどの立場にないけど、プロ市民は薄ら馬鹿だと思っている。もちろん、こんな演説をしていい気になっている人たちも馬鹿だと思っている。ひどいガラパゴス状態だ。

 よく劣化なんて言葉が使われるけど、この人たちは劣化なんかしていない。最初からこうだったんだと思う。世の中が進み、向上したのに、この人たちが同じ場所にいて、進歩も何もしなかっただけだ。
 進歩派というのは、この人たちを指して言う言葉なんだけど、自分たちの事を進歩的だとして来たのに、実際は、現状維持を続けて来ただけだった。進歩というのも、彼らの用語だったのね。
 スペイン内戦の体験から、生涯に渡ってロシア・マルクス主義を批判し続けたアナーキスト、ジョージ・オーウェルはソビエト・ロシアの体制を批判した「1984年」という作品で、共産主義体制内の人間の考え方を二重思考と呼んだ。ダブル・スタンダードというのはこれなんだけど、その言葉は、彼ら左翼リベラルのダブルスタンダードな用語によく現れている。オーウェルって、やっぱいいな。

 2015年9月14日の事を例にとったけれど、2016年3月26日の集会でも「戦争できる国はダメ」とか言ってるから、違いはないだろう。

「戦争できる国はダメ」「再稼働は絶対許せない」 安保法反対集会、脱原発も
(産経ニュース 2016.3.26 17:23)

 この時は脱原発派も合流しているから、彼らも時間が止まった人たちの仲間でしかない。相手にするだけ有害だから、もう相手になんかしない方がいい。

 安保法制、いや、平和安全法制整備に反対する事、そのものを取り沙汰しているのではない事は断っておきたい。反対もあれば、賛成もあって、それは健全な事だからだ。もう過ぎた事を持ち出しているのは、反対する事に反対ではない事を明らかにするためだ。その上で、この人たちの反対の中身があまりにバカバカしいので、それを言っている。そのバカバカしさは今も継続しているからだ。
 こちらが耳を傾け、納得し、議論できる内容だったら嬉しいと思うが、まったく違うのでガッカリしている。この人たちは空虚で、感情的で、まったく取り柄がない。それは悲しい事だ。この人たちが笛を吹いても、ついて行くのは、決まりきった人たちばかりだろう。その光景は退廃的だ。でも、私たちは、憲法も平和も、そして、自分も国も社会も退廃させるわけにはいかない。