2020年2月6日木曜日

言葉狩りというトンチキの末路

「差別用語」とか「差別用語辞典」なんて表題の本がある。左翼の活動家が文章などで間違って差別用語を使ってないか参照するための本だと聞いた事がある。手に取った事はない。

左翼の活動業界では、差別用語を使う事が差別らしいから、自分は差別をしないという姿勢を示すために必要な事なのだろう。
だから、差別用語を使いさえしなければ、差別をした事にならないのがかの業界で、でも、未指定の言葉で差別が起きて、指定差別用語が増えるらしく、その手の本が改訂されているようだ。

でも、本当は、言葉狩りにひっかかると面倒臭いから、問題を避けようとしているだけだと、外からだと感じる。

結局、そんな本を使って差別用語を使わないように気を使ってまで業界コードを遵守するなんて、同調圧力に弱いという話でしかないだろう。

差別をなくそうとする=正義=言葉狩り・・・という論法なのかな、疑問を持ったりしないで同調する。ああ、先の大戦で、ドイツをはじめ、ヨーロッパの共産主義者や社民はナチスやファシズムに同調していったんだよなと、思い出したりもする。

レーニンやスターリンやトロツキー・・・ロシア革命が正義だった時には、おかしな事があっても、自分をたわめて同調してたんだよね。無理を通すために、自分から道理をひっこめて来たんだよね。それが世界的なマルクス主義の姿だったですね。

放送業界やマスコミ業界でも、言い換えや使えない言葉がある。これも面倒を起こしたくないからで、いちいち考えたりしないでいいように手引きがある。マニュアル化しちゃえば、右から左で処理が速くて楽だもんね。

こちらも面倒臭い事は嫌いだから、同調しているふりはするけど、あんなんで差別なんかなくせないだろうとは思う。世の中が豊かになって、わざわざ差別みたいな嫌な事をするほどねじ曲がった人間が減ったおかげで差別がなくなって来たとは思うけど、左翼やリベラルは役に立っていない。あいつら糞も味噌も一緒だから。

環境派とか、野党とか、婦人運動とか、リベラルとか・・・結局、みんな左翼だけど、特殊なローカル・コードの中だけでやってて、何だありゃとしか感じられない。自分たちが掲げている目標と、やっている事がどんどん関係なくなって行ってるように見えるからだ。あんたたち、無意味だよ。

差別用語なんて、妙な本を参照しなければ文章ひとつ書けないなんて、全体主義の萌芽以外の何ものでもない。

そんな事も感じられないほど、あの人たちは荒廃した文化を作ってしまった。

他人事ながら無残なものだ・・・


それらはさておき、日本は、世界一平等な社会を作った。それは、戦後日本の特筆すべき美点だ。この平等は、言葉狩りによってではなくて、経済発展によって実現した。
ここは大事なはずだ。