2020年12月16日水曜日

戦争を避けるための戦争論

戦争は有利な交渉を目的とするものだ。有利な交渉をするために戦争を行う。政治的に優位に立つという事だ。ほとんどの戦争がそうして終わって来たから、今、私たちが生きている。

殲滅戦などと言うが、それが戦術の話でしかない。局所的な殲滅、つまり、虐殺は戦争につきものと言っていい。虐殺をしていない国家はない。ない方がいいが、残念ながら現実はその対極にある。

テロとの戦いが面倒なのは、交渉など最初から考えていない者たちを相手にしているからだ。イスラム・テロ集団は政治的優位など眼中にない連中で、宗教行為として戦闘に従事している。これを政治の視点で見るのは愚かな事で、政治という相対的な優劣の問題ではなく、宗教という絶対性に関わっているのだと認識しなくてはいけない。

神=絶対というのは無限という事でもあって、政治に無限を持ち込んではいけないというゲーム理論の教えがあるのだから、イスラム・テロ集団というカルトを政治的にとらえるのは間違いなのだ。マルクス主義テロ集団も政治的なようでいて特攻精神のカルトだから、左翼の中の軟弱で小狡い者たちが議員職にしがみついたおかげで文明が破壊されずにすんだ。左翼が無限を求めるのは宗教性の証拠と言っていい。吉本隆明はこれを指して超越性という言った。

テロは無限への衝動であり、政治は有限の営為だ。で、無限よりも有限が強いのはAIと同じで、お掃除に特化した有限のAI掃除機は商品価値もあり、どんどん有能になっていて力を発揮しているが、無限を目指す汎用AIは莫大なリソースを使って、馬鹿げた成果を出しているだけだ。現実的には、様々な用途に特化した有限AIが性能を上げて行くのが未来なのだろう。でも、掃除機よりも汎用AIの方が夢と希望があるように感じさせてはくれる。

戦争は政治的な道具で、政治であるからには有限だ。落としどころは交渉であって、どういう形で終わらせるのかを決める。平和が行き詰った時に他に解決方法がなければ、つまり、交渉しようがなければ戦争も打開方法のひとつになる。そういう風に戦争は平和を目指すための方法のひとつなのだ。

重要なのは、相手が軽率に戦争という手段に出ないようにする事で、これは抑止という。相手のスパイ行為を阻止するのも抑止のひとつだ。手の内を読んだと思った相手が戦争をしかけて来る可能性を減らすという事だ。相手に妙な気を起こさせないというのはとても平和的な態度なのだ。

日本なら、北朝鮮や中国を踏みとどまらせるのは日本の責任でもある。抑止がきちんと行われていれば、北朝鮮による日本人拉致などという悲惨な犯罪行為や尖閣はありえなかった。かつてスパイ防止法に反対した者=国賊の罪は大きく深い。

だから、今、私たちは物事をあまり広げて考えず、限定するよう注意すべきなのだ。