2020年12月31日木曜日

保守と国体の再建

太平洋戦争で手こずったせいか、アメリカはかなり徹底して日本の牙を抜いた。力で日本に勝ったのはアメリカだけだったから、他の連合国の要請もあったのかもしれない。昭和20年で日本は切断された。

それについて何も文句はない。負けるというのはそういう事だからだ。ただ、アメリカの尻馬に乗ったロシアをはじめとする国々のタチの悪さは記憶しておこう。

まあ、多くの場合、一時は牙を抜かれても、誤魔化し誤魔化し、すぐに元に戻って再起を期すものだから、アメリカもそれを見越して厳しくやったのかもしれない。ところが、日本は元に戻ろうとせず、昭和20年の切断をそのままに歩きはじめ、今に至った。そういう所は日本の不思議さだ。

切断が何かと言えば国体の破壊と喪失と言っていいだろう。国体は文化=無意識の基盤だとする。伝統を否定されたと言い換えてもいい。

切断に耐え、厳しい制限の中で日本文化を守ったのは天皇だった。天皇がなければ日本は矜持も何もない、負け犬根性だけの国に成り下がっていたかもしれない。その危機をしのいで来たのが天皇だ。

戦後精神とは、戦後を謳歌する精神ではなく、戦後に耐える精神である。国体を破壊によって喪失した空間は空虚であり、そこにあるのは精神などと呼べたシロモノではなく、空虚のオマケでしかない。それは、国体の破壊と喪失、つまり、文化の基盤の破壊と喪失の苦渋に耐え、知性を維持しようとする精神と言っていい。その戦後精神の後ろ盾こそが天皇だった。

戦後を謳歌した精神を「進歩派」と呼んでいいと思う。左翼だ。GHQに救ったアメリカ左翼が作り出したこのグループは、政治的闇市と言ってもいい。戦前の共産党はソ連が作ったが、戦後の共産党はアメリカが作った。彼らはその出自を謳歌し、そこに留まり続けた。そこが胎内だったからだ。彼らが政治勢力の名称としてではなく、言葉の意味として保守なのはそういう理由だ。

彼ら混乱に乗じた売国奴は最初から空虚だった。左翼野党が国会で何か足しになる事を言うわけでも、積極的に議論するわけでもなく、ただ国の足を引っ張る言動を繰り返すだけなのは、彼らが空虚だからだ。彼らには国を作って行く事=進歩など出来ない。彼らは売国以外に何も出来ない。その意志も、能力も、気持ちも彼らにはない。

だが、闇市などとっくになくなっている。大山倍達が闇市の利権を巡って繰り広げた死闘は、すでに伝説となっている。

胎児は母胎を失い、我儘な未熟児として戦後を過ごした。そして、成長せず、恋々と終戦直後に固執し、今に至った。

もう、問題は彼らなどではない。こちらにある。

私たちは護持する国体を持っていない。私たちが切断から回復するのは国体を持つという事だが、今あるのは、新たに設計し、再建すべき、まだ見ぬ国体だ。あの切断が、日本の保守を、自らを創出しなければならないものとしてしまうバラドクスの中に置いた。私たちは保守すべきものを作り出さねばならない。

鈍感なため、伝統が破壊されたのを意識すらできずに空虚に寄りかかり、保守を気取った馬鹿者どもは左翼と変わりはない。その知性のかけらもない自堕落丸出しを保守などとは呼ばない。

戦前日本の課題は第二維新だった。そして、国体の再建は戦後日本の課題である。未来を借りものですませるのは不可能であり、国体の再建は、私たちが私たちの未来を切り開く事そのものだからだ。