2021年8月2日月曜日

近代日本の主題と現在の課題

 日本の国粋主義は、よく誤解されていますが、排外主義ではなく、留学帰りが西洋カブれで薄っぺらな事を言い散らかし、日本を軽んじる反日傾向に対抗した思潮です。戦前の自由民権の思想でもあり、近代日本を良くしようという改革派でした。維新の完成という近代日本の主題に取り組んだ中でも重要な思潮ひとつです。

江藤淳が保守を作ろうとしていたのは、日本には保守思想がなかったからです。戦前の革新官僚が維新の完成を意識し、大正維新、昭和維新を唱えたのにも見られるように、近代に入ってからの日本のメインストリームは改革でしたし、それは今も変わっていません。

日本では改革がメインストリームで保守がない理由は、明治維新の未完にあります。明治維新は尊皇攘夷の徳川と尊皇攘夷の薩長土肥の戦いでした。どちらも尊皇攘夷なのに戦うというのはおかしいと感じる人もいるでしょうが、そうだったんです。割と近い関係にあると争いが起きやすいのかもしれません。薩摩藩などは、関ヶ原で負けたのが悔しく、「チェストー!」と叫んで江戸時代を過ごしたと言われていますが、それが維新の時に反徳川となって出たのかもしれません。ここは細かく理解するのは専門家に任せ、私たちは結果を受け入れて済ませましょう。

徳川幕府も、黒船の到来で、これは今までの通りではやっていけないと考え、改革を志向し、薩長土肥も改革を志向し、その方向は尊皇攘夷で概ね一致していたのが明治維新でした。

維新後、政府は近代国家を作るための改革に乗り出します。薩長が中心でしたが、優秀な人間がそれほどいるわけもなく、たいていは愚劣な連中でした。その手の人間にふれるのは字がもったいないので、やりません。自由民権派に対して、薩長を国権派と呼びますが、国権派の改革は概ね了解できるものだったと思います。ただ、色々と無理や横暴があったのも確かで、対抗勢力として自由民権運動が出て来ます。こちらの方では、自由民権運動と困民党運動が対立していましたが、細かな事情は不勉強もあってよくわかりません。まあ、主流は民権運動としておいていいでしょう。

明治維新で成立した近代日本の大きな主題は、維新の完成でした。国権派は日本の欧化をもって維新の完成を目指したと言っていいでしょう。それを国権の発動による強力な手法で行おうとしたのが国権派であり、それに異を唱えたのが民権派だったと見てもいいでしょう。改革という点では両者は一致していますし、その方向が欧化であるのは仕方のない事だという理解も一致していたと思います。その上での対立は、明治維新期の対立から来ているものだとする事も出来るでしょう。ここでは国権派と民権派の対立に踏み込むよりも、双方が改革派だった点を見ておきましょう。

明治以降、欧米列強に脅かされていた日本には改革の急だけが意識され、保守の余裕はなかったと言えるでしょう。その事情は大東亜戦争まで変わらなかったと思われます。

尊皇攘夷の攘夷論はアジア主義にもつながって行きますが、欧米列強からアジアを解放するとしたアジア主義は必然的に大東亜戦争につながります。

民権諸派と国権派が合同したのが大東亜戦争の大政翼賛会で、これが後の自民党になったと見る事が出来るかもしれません。

戦後、占領軍(連合軍=国連軍)によってやっと保護された日本共産党(連合軍に日本共産党の本部のソ連が入っていました)は、自分たちを「革命派」=革新派=改革派と自己規定していましたから、彼らが敵対する近代戦前期の日本すべてを保守としました。

そうした彼らの規定が、言葉の本当の意味とはかけ離れた無意味なものであった事は説明の必要もありません。彼らの「革命」はソ連に日本を侵略してもらい、占領後(略奪後でもあります)、ソ連の衛星国として、共産党に傀儡政権を作らせてもらう事でした。それをやりやすくする事、ソ連の侵攻・占領に道をひらく事が革新であり、改革の意味でした。確かにそういう「改革」と、近代日本の主題としての改革には意味の開きがあります。でも、自分たちが「改革」の本山だと取り違えた人たちには、改革が「保守」に見えたままでした。

現在のリベラル派も、共産党の派生ですから、本来のリベラルとはまったく趣を異にしていても平気です。おそらく不勉強で、元々のリベラルの意味は知らず、左翼の事をリベラルだと思いこんでいるのでしょう。

いや、最近は改革派として本流であるはずの自民党までが、共産党的な間違った言葉の意味で、自分たちを「リベラル」だとか言い始めています。よくも馬鹿が揃ったものです。

近代にあって日本を改革して来た人々、改革を担って来た人々は愛国者でした。彼ら先人は、根気よく、現実に向き合い、現実を改革して来たのです。口先ばかりで何も出来ず、混乱を撒き散らすだけの左翼とは違います。

「改革派」、「革新派」を標榜する左派は、自称としてその言葉を使っているだけで、未熟で馬鹿げた事しかしていません。時には、菅直人が原発を止めさせたような違法行為すら平然と行っています。

江藤淳はアメリカの大学で教鞭をとった人でもあり、勉強家でもあったため、世界をよく知っており、晩年は保守の創造に取り組んでいました。江藤淳は、日本に保守を望んだのでしょう。江藤淳の日本に保守がないという認識は鋭いものでした。ただ、維新の完成という近代日本の主題からすれば、保守は維新の完成の後にやって来るものです。まだ望むべくもありません。

日本のメインストリームである真の改革派は、黙って改革を進め、実行します。言葉だけの左派「改革派」は、改革を邪魔し、邪推し、誹謗し、止めようとし続けて来ました。極めて保守的で、変化を嫌う体質だからです。彼らの絶頂期から現在まで、ほぼ座して死を待つ状態で何もしないで来たのを見てもわかります。彼らは必要であり、自分たちのためになる現状把握、体質改善すらしないで、ひたすら「改革派」「革新派」の、無意味な看板だけを掲げてここまで来ました。実にバカバカしい連中です。

維新の完成=改革にとっての現在の課題が憲法の不備の改正である事は論を待ちませんが、同時に、民主党政権の負の遺物である原子力発電停止の終了と、原子力発電の再開である事も又緊急かつ重要な課題です。経済の大きな足かせとなっている、非科学的な原子力停止の解除すら出来ずに、憲法改正が出来るはずもありません。

尖閣への領土侵犯を繰り返し、台湾侵攻を目論む中国の野望を阻止するためにも、以上の国内問題の整理は緊急の課題でしょう。