2017年8月1日火曜日

昭和30年代:アトラクティブな大人たち

 小学生の頃、子供相手の色々な商売がいた。
 有名なところでは、粘土と型、それに色付けをする粉等を売りに来る大人がいた。型屋と言われる商売だが、私の方では粘土屋と呼んでいた。
 紙芝居も来たし、プラスチックのシートを舟形に切って樟脳をつけたオモチャ売りもいた。吹き矢も来た。
 紙の筒にピカピカした紙テープを巻いて豪華にしたものに、紙で作った矢を付けて買うと、その場に的がしつらえてあって、遊ぶ事が出来た。楽しかったが、すぐに学校で禁止された。
 映画バスも来た。小型バスに上映設備と客席をしつらえたもので、十円か二十円だったのだろう、料金を払って乗るとマンガ映画を見せてくれた。お金を払うとグロンサン・ガムをくれた。最後に乗った時の料金は確か五十円だった。
 粘土屋は、型を取り、粉で着色した作品の出来がいいと点をくれた。公平ではなく、高い大きな型で沢山色を使っていると高評価だった。特に金銀の粉を使うと高かった。点数がたまると、そこに置いてある大きな型と交換してくれることになっていた。
 粘土屋のまわりには、その型をめざして制作に励む子供がひしめいていた。
 粘土屋は毎日来た。何日も、粘土を買い足したり、色粉を買い足したりしながら、制作を続け、点数をためた。
 みんなの点数がかなりたまったある日、粘土屋は姿を見せなくなった。
 粘土屋は、時々現れては、同じ消え方をした。同じ手口で同じく騙されるのは、遊ぶのが男子だけだったからだろう。女子のままごとで死ぬほど退屈な思いをしたり、女子に混じってゴムだんをするなど考えもつかない事だった。
 来なくなるというのは、紙芝居も同じだった。続きは明日のはずが、来ない。母親からの送金をくすねてしまうひどい親戚の家に預けられ、給食費も払ってもらえず、昼はお腹をすかせて一人で校庭にいると、優しい先生が弁当を分けてくれる主人公の運命がわからないままになった。どうしてくれる。
 紙芝居を懐かしがるのは、きっと最後まで見られた人なんだろうと思う。