2019年5月2日木曜日

一見正しいようで雑なだけ

「嫌なことは嫌だと言おう」
 なんて言う人がいる。
 それにはいくつも条件をつけなければならないのが本当だ。

 まず、強引に性的な接触を求められた場合は、意思表示をしなければならない。
 次に、暴力や威嚇によって不当な行為を強要された場合は意志表示をしていい。

 こうした犯罪を構成する場合は可能な限り意思表示をすべきだ。

 次に、仕事上で嫌だなと感じた場合、

 これは嫌だなどと言わない方がいい。

 そして、学校で教員を相手にしている場合、

 これも嫌だなどと言わない方がいい。小学生であっても、容赦なく威嚇、叱責される。場合によっては暴力をふるわれる。

 基本的に、嫌なことは嫌だと言わないのが普通だ。それは生きる知恵であって、嫌だと言って、仕事を切られるより、黙って仕事をし、金にするのがあたりまえだ。その方がいい。無理な事や嫌味を言う取引先は、その取引先で同じ思いをしているか、馬鹿かのどちらかなので、まともに相手にしても無意味なのだ。

 ただ、時間差をもってはっきり言う事はできる。一般にそれを愚痴と言い慣わしているが、ちゃんと意味があって存続している文化なのだから大事にした方がいい。

 嫌なことは嫌だと言うなんて人は、そういう立場にいるか、嫌な事などない人なのだから、一般的な我々が参考にすべきではない。

 どんな嫌な事でも黙っている必要はないが、どんな嫌な事でも嫌だと言うのは間違いだ。嫌な事は必ずどこにでもある。その時々で柔軟な対処をするのが、丁寧に生きるという事だ。