2021年5月21日金曜日

正しくても、負けたら間違いという嫌な世界もある

高須克弥氏の国賊大村リコール運動は、オソマツな幕切れとなった。だが、これは高須氏がオソマツだったのではない事ははっきりさせておこう。

頭の悪い「表現の不自由展」(だっけ?)もオソマツだったし、そんなものに金を出した愛知県知事・国賊大村のオソマツが始まりだった。

もちろん、リコール運動をやっている時には、まったくとりあげず、やめるとなったら騒いだメディアも相当にオソマツで、本当に何なんだろね、あいつら、やはり、行動を起こしたために向こう傷を負った高須氏が一番まともな事に変わりはない。

まあ、志と現実の落差というのはこんなもので、政治などという愚劣なものに関わると最低の部分の現実に直面する事になる。普通の政治はオソマツな連中同士の争いで立派な所などまったくないものと心得た方がいいかもしれない。

高須氏は、人を信じ過ぎたみたいだし、まだ、倫理的すぎる責任感を持ち続けている。こんな事をやるには偉すぎる人物だと感じる。彼は日本の宝だと思う。だが、それはマキャベリが手掛けるべき領域には不向きだという事でもある。

ビール瓶を割るのにダイヤモンドを使うなというのは、誰がどんな時に言った言葉だったっけ?