2017年10月8日日曜日

大人の男のくつろぎについて

 食堂に入って、
「アレくれ・・・何だ?」
 と言ったオッサンの話を聞いた。
 店員さんに理解できるわけがない。
 でも、そのオッサンのそういうの、身にしみてわかる年齢になった。
 これは大人の階段を登ったというか、天国への階段というか、そんじょそこらのオッサンというか・・・そういうものだ。レッド・ツェッペリンのあの曲も、食いたい物の名前がわからなくなって、いきなり「アレくれ」と言うオッサンの歌だと思うと、味わいが違って来る(そんな曲なわけはないが)。
 大人になるというのは、色々とわからない事が増えるというか、ほとんどがわからなくなって、でも、面倒だから、まあ、いいかと、そのままにするようになる事でもある。
 ファッションなんか、わからなくなるのは最初の方だ。ファッションなんか、どうせゲイの思いつきだから、いいや、みたいな気になる。中共の人民服は、絶対にオッサンがいちいち面倒がないように、いつでもどこでも一着で間に合うよう、面倒じゃないように考えたものに決まっている。
 悪しき部分で、体質が共通しているのを感じる。
 大人になるという事は、やたらと屁が出るようになる事であり、それがひどく臭くなる事でもある。ちっとも偉くない。年を取れば自動的に偉くなるなんて、どう考えてもありえない。自動的に来るのは劣化だけだ。
 そりゃあ、偉い人もいるが、みんながみんな偉いなんてありえない。ほとんどが、まったく偉くないし、それどころか、かなりくだらないものなのだ。
 だから、くだらないからといって軽蔑とかしてはいけない。平均的なだけだ。人間くだらないのが平均だと理解できれば、神経を尖らす事も減る。
 つまり、アレもナニだって事だな。うん、ムニャムニャ・・・