2019年6月25日火曜日

三波春夫の呪縛 あるいは客は神様ではない

三波春夫は尊敬に値する歌手だった。その影響も大きかった。ただ、ねじ曲がってしまった影響もあった。
「お客様は神様です」と言ったのは三波春夫で、これは三波春夫が、自分は客を神だと思い、へりくだるという心構えを言葉にしたものだ。三波春夫一人の信条である。
これを、企業が社員に「お客様を神様だと思え!」と号令した。ここまでは、サービスを提供する側の信条の範囲だったが、でも、企業の「神様」は「金様」でしかないので、ここで曲がり始めていると言える。企業は世俗の存在なので、神を云々する権限は持たないのです。
企業のこの「お客様は神様」は、企業の思惑もあって喧伝された。そのあたりから事が大きく曲がって行った。
そして、頓馬というか、馬鹿というか、程度が低いというか、そこらに転がっている否定的な表現がすべてあてはまるような連中が、自分は客である、故に神様であると思い込むに至ってしまった。
もちろん、これは間違いだ。信者は神であるという信仰は、おそらくどこにもない。信者とともに神を崇めようというのが信仰の形だと考えられる。

ただ道を歩いていても何でもない。しかし、一歩店内に入った途端にそれが神様になるというのはおかしいではないか。だから、客は神様ではない。神を冒涜してはいけない。

客は客でしかなく、神ではない。しかも、常軌を逸した者は、すでに客ですらない。

企業が神を金と読み替えたのが誤解の始まりだ。吉本隆明の幻想論で言えば、自己幻想と共同幻想の取り違えと言ってもいい。誤解に従属する必要などない。だから、無制限(無限)に、店員が客に従属する必要もない。奴隷でも使用人でもないのだ。