2019年10月26日土曜日

尊王攘夷の中身

尊王攘夷の中身を見るのに、佐久間象山を通じて見るのがいいかと思う。
当時随一の知性だった佐久間象山は、勝海舟の妹を妻とした人であり、何より吉田松陰を弟子とした人だった。
しかも、徳富蘇峰の著書『吉田松陰』に、象山の思想を垣間見るのに手頃なメモが引用されている。このメモは、国会図書館のデジタル書籍をインターネットで閲覧できるが、短いものなのでここに孫引きさせてもらった。
「政策目安書」と題されたメモで、象山の死後、家人が見つけたものだという。岩波文庫からの抜き書きだ。


「政策目安書」
佐久間象山
一、遠くは本邦古先帝王に法らせられ、近くは魯西亜(ロシア)のペートルに則られたき事
一、外国へ学生遣わさるべき事
一、出交易の事
一、交易法修業の事
一、邪宗幷(なら)びに仏法の事
   人倫を廃せる仏法といえども、御法を設けられ御用御座候えば、その分に従って世用も成し申すべく候。去りながら世用をなし候ところは真の出家道にこれ有るまじく候。また邪宗と世に唱え候えども、真に邪の実を存し候ものこれ無く、それにては西人の口を塞ぎ難く候。いずれにもこの筋道に候故、御国禁の第一に御定め申されたき事
一、名実の事 林、江川のごとき、これなり
一、天下の御式備は天下の御式備にして、徳川家一家の御式備に御座なく候事
一、西洋より諸学の師を召出され、就中(なかんずく)詳証術盛んにおこなわれ候よう御座ありたき事
一、西洋厚生利用の諸工作広く天下に開き申したき事
   例えば木像製活字版等の如し
一、西洋書、漢籍同様売買自在に御座ありたき事
   交易の品に御定め売捌所、御許し御座ありたく候
一、蝦夷開き方の事
一、兵制の事
一、馬制の事
一、僧徒の事
一、倹約の事
一、乞食非人の事
一、片輪者の事
一、囚徒の事
   年々獄中幷に溜中死亡夥しき事
一、穢多の事
一、服色制度の事
   以上
これだけの箇条書きにすぎないが、日本の近代化に必要な事の主要点はおさえているメモだと思う。

4条あたりまでは、国を開く事を主張している。
5条の邪宗はキリスト教の事だ。戦国時代にイエズス会が日本で日本人の奴隷売買に手を染めていた事から、徳川幕府がこれを禁止して以来、キリスト教は邪宗とされて来たが、もう時代が違うのだから、宗教の自由を認めるべきだとしている。
西洋書の売買自由化も言っている。今、洋書が読めるのもこうした政策のおかげだ。
象山に限らず、当時、危機感を持った人たちは禁止されていた海外の書物を読んでいた。命がけの事だった。そんな馬鹿げた所に命をかけていたら、国を救えないと、切実に訴えている。
政策であるから兵制といった項目は当然だ。
僧徒の事といった宗教政策も重要になる。江戸時代の僧侶は、寺と神社を守っていた。信仰の中心は仏教だったから、僧徒を重視するのは当然だろう。

これらに続いて「乞食非人」「片輪者」「囚徒」「穢多」などに触れているのは、差別をなくすべく社会政策を行うべきだという考えからの事だろう。そうでなければ触れる必要がない。

最後に「服色制度の事」に触れているのは、身分によって衣服が決められ、制限されていた事を指しているのだが、それは身分制の廃止につながるしかない提起だ。

そこから、この服色制度の事の前の4条が、それぞれ、差別を廃し、囚人であっても人として扱うべきであり、死者が出続けるような環境を放置してはならないと言っていると読むべきなのは当然だろう。
象山は、身障者差別、同和差別もなくすべく、社会政策を実施すべきだと考えていた。

国を開き、貿易立国を目指し、知を尊び、兵を養う。内にあっては、弱者の差別、身分の格差をなくす。これは、日本の近代をつらぬいて、私たちの現在にまで及ぶ洞察と見通しを示している。
これが佐久間象山、吉田松陰の「尊王攘夷」の中身であり、思想であり、人々に共有された「尊王攘夷」だった。


ざっと大づかみに象山のメモを紹介したが、補足等があれば、また追加したい。