2018年9月9日日曜日

国粋主義は右翼ではありません

「サヨク(反日)ウヨク(国粋主義者)・・・(略)」

 とあるツイッターの投稿がありました。
 中身をうんぬんではなくて、この表現に困ったなというところがあるので、ちょっと、その困る理由を書きます。前に書いた内容と重なります。

 明治21年までは「国粋」という言い方はなかったけれど、右翼はいましたし、右翼=国粋主義というのは成り立たちません。
「国粋」というのは、明治時代の何でもかんでも欧米を上位に置きたがる極端な欧化志向に対して、日本の歴史文化の長所を意識しようよというだけの話です。
 政治的には、大正時代に自由党が民権派系建築業者に呼びかけた事から「大日本國粹会」の結成に至ります(この時、言い出しっぺの自由党が途中から煮え切らない態度をとったので多少の紆余曲折がありました。いかにも自由党らしい話です)。
 つまり、国粋派は、政府国権派に対する民権派の系譜という事になります。
 右翼には国権派もいて、普通選挙開始の時には、警察を通じて政府から金をもらい、選挙妨害に動きました。民権派の壮士は、これに対抗して、抜刀の上、選挙会場に突入し、投票を行うといった行動をとりました。
 ここでは、後に國粹会となる壮士団が国権派右翼を排除して普通選挙を成立させる役割を果たしました。この時、右翼は国権派であり、国粋派ではありません。

 戦前の政治的な対立軸は、国権対民権になります。これは欧化対国粋でもありました。
 戦前の大政翼賛会は、国権派と国粋派の合同です。

 左翼は国権派からの派生で、留学帰りの人々から出て来ます。大衆には相手にされず、支持はまったくありませんでしたが、インテリ層(官僚、学者など)の間に一定の勢力を得たようです。ソ連の政策に影響されて「計画経済」をやろうとする官僚が出たのも不思議ではありません。
 共産党左翼が力を持つのは、戦後、GHQが占領政策で左翼育成を行ったからです。利に聡いインテリが雪崩を打って共産党員になったのはもちろんですが、敗戦のショックで判断力を失ったたくさんの人々も共産党に入信しました。
 GHQには、戦前から米政府内に浸透していたアメリカ共産党の人々が入り込んでおり、後に、更迭されます。

 アジア主義者というと、右翼という感じを持つ人が多いかもしれませんが、これにも民権派のアジア主義者と、国権派のアジア主義者がいました。白蓮事件の宮崎龍介の父宮崎滔天は民権派のアジア主義者で、滔天の兄は民権運動家でした。
 宮崎滔天は、孫文に近く、支那革命に深く関係した人でしたが、土佐民権から出た北一輝は滔天のつてで支那に渡り、現地で革命運動に従事しました。
 北一輝は、国権派の中心人物山県有朋を攻撃し、宮中某重大事件の怪文書を仕掛けた他、山県が死の床にある時に、部下を山県邸に忍び込ませるといった事もやっています。よほど憎かったのでしょう。

 国粋主義は、自分の国の歴史・伝統・文化を大切にし、長所を伸ばしましょうねという考え方であり、排外主義ではありません。四書五経漢詩といった支那文化の素養、欧米に関する知識を持った人も多くいました。
 現在、国粋主義者は私を含めて2人しか確認できておりません。

 また、左翼というのはマルクス主義(マルクス・レーニン主義と言ってもいいですが)政党とその影響下にあるリベラル派というくくり、あるいは、共産党、共産主義者集団とその同伴者という事になるかと思います。「反日」というのは、とても限定された現象にすぎません。

「サヨク(反日)ウヨク(国粋主義者)」

 といった整理は、レッテルを貼ったにすぎず、最終的には思考の妨げになるのではないかと考えます。ただ、これが、現在も続く「戦後」という時代の不真面目な浅薄さを表現しているという事は言えます。
 もちろん、浅薄なのは時代であり、これを書いた方の事ではありません。