2021年7月16日金曜日

レーニン=スターリン主義の現在:同じものは違わない

 左翼は「スターリン主義」という言葉を使う。自分たちではない左翼を非難する時の用語だ。この言葉の背景には、自分たちは「レーニン主義」=正しいマルクス主義だというアピールが込められている。「トロツキスト」を自認・自称する人たちもいるが、それは「トロツキー=レーニン」という認識をしているというアピールが込められており、純血性なり、正統性を主張している点に変わりはない。

しかし、レーニンとスターリン、スターリンとトロツキーの間に、どれほど違いがあるのかというと、ほとんど同じと言っていいのではないかと思う。あいつらに思想と言うべき何かがあるというかなり苦しい前提に立つとして、思想として同じだ。もちろん、毛沢東も加えねばならない。こちらは、これらの名前が出たら、共産主義と考えればいい。どれもひどい奴らだった。さらに、金日成の一族、習近平、キューバのカストロやゲバラも同じだ。この名簿を長くしても退屈なだけだから、このくらいにしておく。

その違いを声高に言うのは、結局、左翼内の派閥争いに他ならない。そんなくだらない事につきあう義理はないのだから、全部共産主義で十分だ。

さて、共産主義とファシズムが行き来可能なのは、同じものだからで、左翼の学者はこれが違うという前提でしか考えないから、ファシズム(右翼)と全体主義(左翼)を別けたが、これも無意味なので、両方ともファシズムないし、全体主義でいい。あるいは、包括的な名称を別途作り出すべきだ。ここでは、とりあえずファシズムとしておく。

こうした前提の上で、1960年代あたりから1980年代の半ばぐらいまでだろうか(1950年代からとする説もあるけど)、西欧は「鉛の時代」と呼ばれる、左右のテロと暗殺、暴力の横行する暗い時期を過ごす。背景はソビエト・ロシアが侵攻を考えていたためだろうと思う。ソ連はパレスチナを経由した地中海ルートで大量の武器を極左テロ・グループに流していた。

ドイツのバーダー・マインホフ・グループ(いわゆるドイツ赤軍)、イタリアの赤い旅団、パレスチナのPFLP、これらの左翼用語で言えばスターリニスト・テロ集団は、爆破、暗殺、銃撃を繰り返し、右翼、公安機関などと暗闘を繰り広げた。

(パレスチナのPFLPは、ハイジャックを発明した事で世界中の航空会社から金を支払われていた。PLOの中で飛び抜けて資金を持っているグループだったため、アラファトのファタハと並んで、ソ連製兵器の卸問屋の地位を得ていた。PFLPには、KGB直轄のグループもいたらしい)

右翼の背後には、英国が第二次大戦前からヨーロッパに構築したステイ・ビハインド・ネットワークがあり、戦後、それを継承したアメリカの存在があった。ソ連圏のファシストは共産党になり、西欧ではステイ・ビハインドに吸収された。

フランスのステイ・ビハインドの存在が興味深い。戦前からステイ・ビハインドだったフランスの暗黒街(フランスのレジスタンスはギャングによって担われた。戦後のノワール映画はゴダールの『勝手にしやがれ』などもその歴史を前提にしている)に加え、ベトナムやアルジェリアの植民者たちがフレンチ・ステイ・ビハインドとなった。アメリカがベトナム戦争に関わるようになったのは、戦前、仏領インドシナを植民地としていたフランス人を支援するためだった。ド・ゴールはベトナムにそれほど興味を示さなかったらしい。これが、後の植民者たちによる暗殺計画につながる。

ベトナムにはアルジェリアからの派兵もあった。アルジェリアがフランス領だったからだ。ベトナム植民者は、敗北後、アルジェリアに行く。そして、ド・ゴールがアルジェリアの独立を認めた事に激怒し、暗殺を決意する。ド・ゴールはその背後に英米ありとして、敵対的姿勢を取る。ソ連はそこにつけこみ、フランスでの共産主勢力の拡大に力を入れた。

ベトナム戦争で、アメリカはソ連の政治宣伝、政治工作に散々にやられた。ケネディが介入を決め、ジョンソンが継続と拡大を結構した民主党の戦争を終わらせたのは、共和党のニクソン大統領だった。

ニクソンは民主党の盗聴がバレて辞任に追い込まれたが、歴代大統領は様々な盗聴をして来ており、どうしてニクソンだけが問題視されたのかはアメリカ政治の謎だ。第一次大戦、第二次大戦、ベトナム戦争と、大きな戦争を決めて来た民主党と産軍複合体はいい関係だろうから、そっちの方からニクソンがやられたのかもしれない。

ニクソンは中国がベトナムを支援しないよう国交を樹立した上で、ベトナムから軍を退いた。北ベトナム軍は南ベトナムに進軍し、その後、略奪を行った。少しすると、ベトナム人はベトナムから逃げ出し始めた。ベトナム難民はしばらく続いた。北ベトナムに味方した「反戦」運動の人々は、それについて何もしなかったし、何も言わなかった。

ベトナム戦争の終わりとともに、世界の若者が憧れたアメリカで大流行した反戦運動が終わり、ベトナムのろくでもない内情が知られるようになった。ソ連の工作で作られた反戦運動と革命運動を取り違えた馬鹿どもが行うテロ活動も嫌われるようになった。中国の事などよくわからなかったから人気の出た文化大革命も、徐々に化けの皮が剥がれ、色あせて行った。

イランでホメイニ革命が発生したが、ただ反米というだけのイスラムの反動革命で、情報がないのにつけこんで左翼がいくら嘘を吹きまくっても、人気は出なかった。

そうこうするうちにエコロが流行し始めた。60年代末からあったのだが、注目が集まったのは80年代になってからだった。運動に行き詰まった左翼がエコロに転じ、ドイツのゴルツだったかが『エコロジスト宣言』なんて本を出し、日本でも一部で話題になった。

何か気色悪いと感じる繊細な人は多数派にはならないので、良い事してる感のあるエコロは広まりやすい。中身などなくても大事なのは良い事してる感なので、実は共産主義の隠れ蓑にすぎないのだけれど、何だか広まった。ソ連のチェルノブイリ原発事故もエコロの求心力になったかもしれない。恐怖は人を支配する。

エコロの薄皮を被った共産主義者は、環境にも、人権にも、まったく興味がないくせに、宗教関係者、宗教的な人々、良心的な人々をその気にさせ、根拠の薄弱な環境問題に人々を動員している。優れた発電システムである原子力発電を危険だと言い募って、効率が悪く、環境負荷が少ないわけでもないソーラーパネルを普及させようとしてみたり、電気自動車を推進している。だが、日本ではソーラーパネルは環境破壊の元凶のひとつでしかなく、その事が徐々にだが認識されはじめている。

それでの、エコロ=共産主義者には、ソーラーパネルが、中国で製造されている事の方が大きいのだろう。ウイグルでの奴隷労働で作られているにも関わらず、中国共産党のためになるよう、ソーラーパネルを推進する。

共産主義の「革命」は人類に厄災しかもたらさなかった。革命は失敗国家を作り出しただけだった。革命に先などない。未来などなかった。持続可能だ何だと、甘ったるい事を言って、環境派の好むやり方を飲み込ませようとしているが、それは革命と同じだ。ありもしない理想の未来の幻影を語っているだけだ。未来は、今までのやり方を良くして行く事でしか作れない。歴史や経験の積み重ねは、合理性の積み重ねであり、磨かれているものだからだ。技術をあなどるな。中国の都合や、欧州の夢想は有害なだけだ。


ベトナム反戦と同じくエコロジーも嘘だが、エコロの方が金にまみれている。