2018年1月4日木曜日

四文字言葉 マルクス

 マルクス主義を信じる人たちは、1989年に最後のチャンスを得た。これはソビエト・ロシア崩壊おめでとうの200%引きバーゲンと言うべき大サービスだった。だが、それで反省し、マルクス主義を捨てなかった人たちがいた。検証能力がなく、また怠惰、かつ鈍感、あるいは単に頭がおかしかったのだろう。
 ソビエト・ロシアでも、支那でも、東欧でも、北朝鮮でも、マルクス主義が人に強制と暴力と死と不幸をもたらす厄災であり、しかも、それが好転する見込みはまったくないという事実は明らかだったのに、何も感じない人たちがいた。
 マルクス主義とその影響下にとどまった人はまったくの馬鹿か、人類に害を及ぼしたい悪意の人か、とにかく異常者だと判断する以外にない。
 マルクス主義は出来もしない事を出来ると思い込み、あげくに失敗に失敗を重ね、歴史を後退させ続けた。マルクス主義を信じる人、何となくいいと思っている人たち、つまり、そのシンパもふくめた左翼は、今にいたるもせっせと人類の足を引っ張ろうとしている。まったくタチが悪い。
 まあ、それ以外、マルクス主義に出る幕はないのだから自然の成り行きではあるが、邪魔だし、困ったものだが、社会主義国ではないので、収容所に入れたり、殺してしまったりするわけにはいかないので、困り続けるしかないのだろう。
 今、日本で停滞していたり、形式主義だったり、不効率だったり、統制的だったり、風通しが悪いのは、左翼が浸透した部分だ。役所などにはけっこういる。
 そういう部分を見て、それを「日本的」だとか、「社会主義」だとか言う人がいる。
「社会主義」であるのは、左翼が浸透した部分だからその通りなのだが、それを「日本的」だと言うのは誤解だ。それはシロアリの巣を見て、それを家だと思うのと同じだからだ。
 シロアリの巣などどしどし駆除した方がいいのだが、シロアリというのは例えで、本当は人間なので乱暴は出来ない。まったくやっかいなのだ。
 ここでは、投票による多数決という民主主義を毛嫌いするくせに、「民主的」とだけはやたらと口にするリベラルや、過去にしがみつき、現在に背を向ける「進歩派」などもふくめて、左翼をマルクス主義に入れた上で言うが、少なくとも日本では、「マルクス」は四文字言葉だ。