2018年1月11日木曜日

しかたがない。来るなら戦おう

 北朝鮮か支那が(もしかしたらロシアもかな)日本を攻撃し、攻め込んで来たら降伏するとか、逃げるとか言っている人がいるようだ。考えてみよう。

 北朝鮮、支那、ロシアの軍隊の場合、略奪、強姦、虐殺といった事が行われる可能性が極めて高い。おそらく、やると考えておくべきだ。また、降伏を受け入れず、攻撃を行う可能性もわりとある。ロシアなどは、シリアでの行動をリファレンスすると、非戦闘員と戦闘員の区別はしない。
 つまり、降伏すれば、運良くそれが受け入れられた場合でも、略奪、強姦、虐殺の憂き目にあう。女性や子供の場合、さらに人身売買の商品にされる可能性がある事もつけくわえておく。

 つまり、降伏するよりは戦う方が生き延びる確率は高い。

 次に、逃げるという選択だが、戦う事に退却は含まれているのでそこは除外して、ただ逃げるという選択を考える。
 いつ逃げるかによるが、攻め込まれた時点で逃げる事を選択したとすると、相当な資金を持っていなければ逃げられないだろう。円が下落していた場合、別の通貨か金、あるいはダイヤモンドといった物が必要になる。
 つまり、金があるなら逃亡は選択肢になりえる。
 で、飛行機に乗れた場合はいいかもしれないが、船しかなかった場合、太平洋横断をしなければならない。翻訳でいいからレヴィ・ストロースの『悲しき熱帯』の最初の方を読むと、たかが大西洋を渡ってアメリカに行くだけで大変な思いをしている。船は考えない方がいい。
 さて、飛行機で逃げられる人は逃げればいいが、おそらく庶民は飛行機に乗れないだろう。つまり、逃亡という選択肢は狭き門なのでこっちが選択しても、弾かれてしまう可能性が高い。

 生き延びたければ戦うしかない。
 これは好戦的とか違うとか、そういう問題ではない。選択の余地などないという事だ。
 危機になると韓国の金持ちは子供をアメリカに留学させるという。北朝鮮軍の虐殺を恐れての事だろう。
 今の危機を危機と感じ、選択できるうちに逃亡を選択したいなら、日本で発言などしていないで、さっさとどこかに行ってしまう事だ。
 日本にいて、逃げるだの降伏するだのと言っているのは、結局、意匠でしかない(ここで、意匠はかつての小林秀雄と同じ意味あいで言っている)。

 危機管理とは、今のうちに逃げてしまうといった事で、結果として危機が発生しなくても管理は成功したとなる。何かが起きてからドタバタともみ消しをはかるようなのは危機管理と言わない。何も起きないように、あらかじめ手配りをしておくのが危機管理であって、なかった事にするのではない。
 昔風に言うと、そこんとこよろしく。