2018年1月28日日曜日

『「反原発」異論』を読んでいる

 吉本さんの『「反原発」異論』を読んでいる。長崎浩さんとの対談からはじまって、つい全部読んでしまっている。
 前書きを副島隆彦氏が書いているが、太田龍もどきのヘタな陰謀論よりも、はるかにいい事を書いている。感情的な人のようだから、自分を抑えて冷静に思考を進める事を学ばないとすぐに限界が来るんじゃないかと思うけど、ともかく、ここではいい所を見せてくれた。
 この本で、「反原発」の背景にあるマルクス主義が主題で、マルクス主義がダメだという認識は吉本さんも、長崎さんも同じだ。その上で、人類と科学の関わりをかなりの所まで、つまり、ここから先はないかもしれないという所まで考え、話している。
 全学連や全共闘は、長崎さんより猿に近かったんじゃないかな。

 吉本さんは、マルクス主義を否定するけど、マルクスは否定しない。
 ロシアで革命が起き、途中からのこのこと帰国したレーニンが、革命指導部に背後から襲いかかり、革命を乗っ取った後、マルクス主義は革命思想の主流となった。
 それまではアナーキズムが革命思想の主流であり、マルクスは知らない人の方が多かったし、マルクスを知る人には、マルクスを嫌う人の方が多かった。
 マルクスは、身勝手で頑固で偏屈で、人を見下していたから、嫌われて当然だったと思うが、異常なところがあり、人望のないマルクスが、思想的にも孤立していたのは性格的な問題ではなく、やはり思想的に魅力がなかったからだと思うのだが、吉本さんは、その、革命思想の主流になる前の変人マルクスさんの思想を評価している。
 その評価というのは見かけより大きな事だと感じるのだけれど、今は謎と言うしかない。ここで妙にわかったふりをすると、底の浅さがバレる気がする。
 ただ、革命以前のマルクスさんなら、福島を「フクシマ」と表記して、何もないのに何事かありそうな演出をするたぐいの連中や、わけのわからない反原発派を吉本さんと同じように「恐怖を組織する」者たちと否定しただろうという気もする。おそらく、もっと凄まじい罵詈雑言を投げつけただろう。

 マルクス主義など、もうどうでもいいものだが、科学の問題は興味深い。そこは、後で、吉本・長崎対談について考えてみる事にする。