2018年1月6日土曜日

本質を欠く礼を何と表現するのだろうか?

` 池坊の膿婆ァが「礼」を欠いていると貴乃花を批難したそうだ。
 さて、どうだろうか?
 暴行があった。これは刑事事件だ。相撲協会の内規よりも法が優先されるべき事態だ。貴乃花は規範通りに行動した。
 貴乃花には、相撲協会に対する不審があった。暴行事件をうやむやにされてしまう危惧があった。そこで協会の手を触れさせない方向に持って行った。
 おかげで、私たちはその後の成り行きをかなり知る事が出来た。
 ここは強調しておきたい。貴乃花がああした行動に出なければ、事件そのものがなかった事にされた可能性すらあるからだ。
 そして、事態の推移から、相撲協会、危機管理委員会、そして、評議員会といったものが、気味悪く癒着している臭いを嗅いだ。
 貴乃花に対する処分は、貴乃花の危惧が当たっていた事を証明したと言える。

 池坊膿婆ァは、貴乃花が八角理事長からの電話に応答しなかった事を「著しく礼を欠いている」としているが、貴乃花はやり取りをすべて文書で行う事として証拠を残し、後で言った言わないの泥仕合になる事を避けた。
 貴乃花は相撲協会に不審を持っており、その不審を理由として危機管理委員会による弟子の聴取に応じない姿勢をとった。つまり対立があったわけだ。
 対立を前提としているのだから、貴乃花の行動は礼にかなっている。証拠の残らない所で脅しでもかけようとしたのか、安易に電話をかけてくる八角の方が礼を失しているのだ。
 また、大きく、貴乃花の行動は相撲に対する礼から一分も外れていない。それに比べて、相撲協会、危機管理委員会(しかし、笑わせる名称だ)、評議員会には、無理を通して道理を引っ込ませてでも現状を維持しようという欲があるだけだった。「礼」などとよくもまあ言ってのけたものだ。

 池坊膿子の言う「礼」というのは、形骸化して中身のない、その本質とは正反対で誠のないシロモノでしかない。
 何かね、池坊の流儀ってのは礼なんかどうでもいいのかね? たいしたもんだね。