2018年2月11日日曜日

学校は社会の問題児なんだけど・・・

 後にスタンフォード監獄実験と呼ばれるようになった心理学の実験が行われた事がある。

 生徒を2つのグループに分け、それぞれ看守と受刑者の役を演じさせ、どうなって行くかを観察する実験だった。
 その結果、看守役の学生たちは、受刑者役の学生たちを虐待するようになって行った。
 実験を主催した教授までがその空気に支配され、暴走し、異常になって行くのを止めようとしなかったという。

 これは有名な実験で、アイヒマン実験と呼ばれる実験の一種に分類されるものだという。
 アイヒマン実験は平凡な市民が、一定の条件の下において非人道的な行為を行うという事を示したものだ。

 で、何が言いたいかというと、学校って、こういうアイヒマン実験の空間になってしまっている場合があるんじゃないのかという事だ。
 イジメなんか、その可能性がある。
 これは、そこらの教員には想定外だろうし、対応するどころか、呑まれている場合も多いだろう。

 学校で心理実験をやっているわけではないし、ナチスのアイヒマンと同列に論じられる事が理解できない人もいるだろう。
 だが、悪い人間ではないのに、生徒に暴力をふるったり、いじめを放置したり(いじめがあるのを知らなかったというのは、完全な言い訳だ)、いじめを助長したり、率先していじめを始めたり、生徒を虐待するといった行動をとる教員がいる事の説明は、アイヒマン実験から説明できる可能性がある。

 生徒にしても同じだ。悪い子ではないはずなのにイジメをするとしたら、その理由はこうした人間の危うい部分を見るしかないかもしれない。

 まあ、そういう事を考慮しながら教育のシステム設計をするなんて芸当が出来る者が、文部省や学校関係者にどれだけいるかわからないし、まったくいないかもしれないとも思うが、教員が刑事犯罪である暴力をふるった場合など、個人の責任を厳しく追求すべきであるのは当然の事として、それとは別に、システム・デザインについても、点検する必要がある。

 学校関係者が、自分たちはいい事をしているんだから、これでいいんだ、などといった意識を持ち続けている限り、学校は社会の問題児である事をやめないだろう。