2018年3月19日月曜日

音楽の老化

 最近(と言っても、若い人よりもかなり前から最近の期間内に入っているが)の大衆音楽は、演奏の部分を全部サンプラーやシンセサイザー、つまり打ち込みというヤツでやってしまって、歌だけを人間がやっているものばかりだ。その理由は、低予算で録音が上がるからだ。
 そのつもりで聞いていると、打ち込みの演奏がかなり聞き分けできるようになる。そして、それは、まず、つまらない。呼吸のない演奏だ。聞いていて苦痛になる。
 安上がりだからと、こんなものを提供されてはたまらない。これは、そう、例えれば百均音楽だ。
 本物の百均はよく行くし、なかなか役に立つけれど、百均音楽なんて言うと、百均から苦情が来るかもしれないと、少し危惧してしまうほど百均音楽はカスだ。あれじゃ歌手も可哀想だと思う。

 昔から、あそこのバンドは本当はスタジオ・ミュージシャンがレコーディングしているとか、そういう話はあった。それも、レコーディングを手っ取り早く、安上がりにすませるためのやり方だった。でも、全部が全部そうではなく、そういう事もあるという範囲の話だった。

 今の打ち込みは違う。システムになっているから、歌わないミュージシャンはライブ要員でしかない。人によってはライブも録音を使うから、そういう人の場合、ミュージシャンは大道具の一種だ。舞台にギターアンプを壁のように並べるなんて事する人たちがいるが、あれ、あそこから音が出てるんじゃなくて、虚仮威しの大道具だ。演奏家たちも、それと同じ扱いだったりしているわけだ。

 そういうところからも、音楽はどんどんつまらなくなっている。俺は昔(と言っても、最近の定義からして、若い人には大昔とか古代のように感じられるかもしれない)のを聞いてればいいからいいが、若い人は可哀想だと思う。