2018年8月3日金曜日

原理主義は硬化した独りよがりにしか見えない

 孫悟空らの旅の目的地だったのは、今のアフガニスタンだ。かつては仏教の地だった。その後、イスラムが奪った。
 もちろん、アフガンの地を失地として回復の戦いを呼びかけようというのではない。ただ、ありのままを言っている。
 イスラムはユダヤ教に異端として追い出されたマホメットの宗教で、キリスト教の弟のようなもので、マホメットもキリストと同じくユダヤ人だったと思われる。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教のどれも、偶像崇拝を嫌う。
 さて、仏教はユダヤ教起源の信仰ではなく、ヒンズー教のように階級差別に基づかない、平らかな思想を持つ優れた宗教だ。
 イスラム教には、仏像を拝む事を偶像崇拝と見る考えもあり、アフガンでは、タリバンという集団が、遺跡の仏像を破壊した事もあった。
 だが、仏教に偶像という考え方も、偶像崇拝という考え方もない。仏像は仏教において偶像になりえないわけだ。
 もとより、イスラム教においても、仏像が偶像として崇拝される対象ではないだろう。
 イスラムにおいても、仏教においても偶像ではないものが、どうやって偶像となれるのだろうか?

 仏像が偶像であるなら、メッカも偶像となる。
 仏像を破壊するイスラムは、考えの浅い者でしかない。考えが浅いという事は、信仰が浅いという事でもある。不信心者だ。