2019年3月8日金曜日

2019年3月8日、今日は夜になっても寒かった

今でも自分が「左翼」だという自意識を持っている人たち、つまり、左翼を妄想している人たちは、マルクス主義が乗り越えられ、破産した事が受け止められない人たちなのだろう。社会主義のどの国よりも、アメリカや、西ヨーロッパや、日本や、資本主義諸国の方が国民を幸福にした。もちろん、それでは幸福になれない「左翼」の人々は面白くないだろうけれども、彼らが面白くない事などが問題になる場面は社会的に存在しない。
命がけで、それこそ、他人の命までかけて打ち込んできたのに、それが大失敗だったというのは、確かに認めにくいだろうが。だから、知らん顔して、これまでと同じやり方を続けて来た。
ソビエトは、今はFSBと名前を変えた情報機関KGBが見切りをつけ、崩壊させた。ゴルバチョフ、エリツィン、プーチンと3代続いたKGB出身指導者の下で、ソビエトはKGB=FSBのシナリオ通りにロシアとなった。
ロシア革命はあまりにも大きく、悲惨な愚行でしかなかった。ない方が良かったとはっきりした。ロマンだと思っていたものは、ただの虚妄でしかなかった。
その時に、こちら側では、オルタナティブはもう存在しない事がはっきりした。私たちは、今あるものを、今の方向で良くして行くしかない。
冷静に考えられていれば、はるか前から明々白々な事だった。だが、ついうかうかと、もっといいやり方があるという宣伝を信じてしまっただけだった。
でも、それではつらいのかもしれない。「左翼」の人々は、うんと鈍感になって、時間をやり過ごそうとした。それで何とかなると思ったのだろう。だが、鈍感になりきれない人たちもいて、福島の原発の停止事故が起きると、ここぞとばかりに危機感にかられ大騒ぎをはじめた。彼らは無限の安全を求めた。
彼らの周囲の鈍感な人たちも、よくわからず、わかろうともせず、手ごたえが良かったのだろう。騒ぎに乗っかった。政治的にも利用価値があったのだろう。後で、カンだけはいい小池百合子が「安全」と「安心」などという言い方で、政治に無限を飾り付けて見せたのを見ても、政治に無限を持ち込む効果のほどがうかがえる。
意思決定論では、無限を持ち込む事を戒めているが、ゲーム理論の簡単な計算も出来ないだろう人たちは、無神経に無限を持ち込み、戒めの通りに、奇々怪々、おかしな結果をもたらしている。
「脱原発」などと格好をつけているが、彼らのやった事と言えば無根拠な風評を広めただけだ。つまり、ウソだ。その食い違いの間に無限が横たわっている。

彼らは今、神経症的な被害者意識、嘘、陰謀論といった病に蝕まれ、最後の時を過ごしている。ある意味では哀れだが、実際は迷惑極まりない。

「左翼」も「右翼」も、本質的にはもう存在しない。そんなものがあるほどのんびりした時代ではない。