2019年3月6日水曜日

LGBTの問題(Qって何なの? Qがつくと意味わかんない)とか、行政を関わらせようって、間違ってるよ

いい事って難しいし、恐ろしい。
ユダヤ人/ロマ虐殺収容所も、カンボジアのポルポト毛沢東派共産主義政権の大虐殺も、共産主義諸国の全体主義体制にしても、どれも悪い事をやろうとしていたわけではない。いい事を推進した結果がああなった。

第一次大戦で負けたドイツは、負けたショックから、ユダヤ人の陰謀に敗戦理由を求めた。西部戦線の兵士は妻は許したが、ユダヤ人は許さなかった(と言っても、「西部戦線異状なし」にひっかけたのがわからない人のが多いとは思う。しかし、説明はしない。映画でも見ておくれ)。ユダヤ人排斥は、キリストを裏切ったユダを敵視するカトリック・キリスト教世界の倫理にも合致したし、ワイマールの理想の延長でもありうるので、とてもいい事に思えたかもしれない。そして、その「いい事」はユダヤ人とロマの虐殺収容所に結び付いた。

マルクス主義も一緒だ。レーニンもスターリンもトロツキーも同じで、区別する必要がどこにあるのかわからないが、あいつらはマルクス主義の実行実現が人民のためになる「いい事」だと信じて、アナーキストが革命にこぎつけたのを、ドイツからの工作資金を使ってどさくさ紛れに乗っ取り、マルクス主義から見たら(「的な」と言うべきなのかな? 「いい事」に邁進したら、全体主義国家を作ってしまった。
ロシアでもユダヤ人排斥・虐殺は歴史的に行われて来たし、マルクスは自分がユダヤ人なのにユダヤ人を嫌う、反ユダヤ的ユダヤ人だったから、革命後のロシアでもポグロム(虐殺)をふくむユダヤ人差別は継続された。(ソビエト体制は、ナチスと同じく、ロマも弾圧した。ああ、コサックも弾圧したね)。スターリンはユダヤ人を嫌悪していたし、トロツキーは自分が反ユダヤ的ユダヤ人だった。レーニンはドイツのために後方攪乱の目的で革命ロシアに乗り込んだが、日露戦争時にも、何のアテもなく日本の味方をすると吹聴して日本から金をもらうような職業売国奴の詐欺師だったから、大量に餓死させたウクライナ人と同じく、ユダヤ人の事などどうでも良かっただろう(もしかしたらロシア人もね)。レーニン、かなり重度の異常者の可能性が高い。スターリンも、トロツキーも病的だが、レーニンははるかに異常かもしれない。

いい事の推進はナチスでもファシズムでも共産主義でも、結果として全体主義になる。これは20世紀の教訓だ。だから、政治権力は「いい事」の推進を行うべきではない。とりわけ、政治分野を超えて、社会的に「いい事」の推進をするなどはもってのほかだ。
政治がその権力をもって社会を変えようとするのは、結局、全体主義でしかない。
「いい事」をするんだからいいんじゃないかと考える人もいるだろう。だが、ユダヤ人排斥がとてもいい事に思えた時もあったのを忘れてはいけない。今「いい事」と思える事に過剰な自信を持つべきではない。それどころか、「いい事」ほど疑わしいものはないという意識を持つべきだ。
とりわけ政治権力をもって「いい事」を推進などしてはいけない。うまくいって無駄、たいていは悪い結果にしかならない。
だから政治は社会問題に、あまり気軽にしゃしゃり出るのは慎む方がいい。

政治運動家などは社会問題を取り上げていい顔をしたがるものだが、悲しいかな彼らは社会問題をきちんと把握する能力も、考える知力も持っていない。感情的になって、こちらの心情に訴えようとするだけだ。社会問題を感情論で解決しようというのが世の中をあなどっている。